Agnes b での「顔たち ところどころ」の協賛イベント

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15日土曜、PFFのあと急遽わかったアニエスb本店でのアニエス・ヴァルダ、JRの「顔たち ところどころ」の協賛イベント。JRのフォトワゴンがやってきて参加者のポートレートを撮影。と言うことで巴里映画の高野さんは夕方からアニエスbに移動、僕はその前からの外せない先約が2件あったので涙を飲んで断念。行ってれば高野さんのとなりに僕の醜い顔もあったのですが (^_^;、まだ、頑張って生きて、きっとJRには会えることを信じて 笑
今日、銀座に向かう前に寄って、事情を話したらアニエスbのスタッフの方は快く店内も含めて撮影を許してくれました 。感謝 \(^o^)/
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顔たち、ところどころ Visages Villages

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アニエス・ヴァルダの最新作「顔たち、ところどころ Visages Villages 」を見てきました。ヌーベル・バーグの祖母と言われ、映画監督になる前は写真家として活動していたアニエスがストリートアートのプロジェクトで世界的に注目されるJRと組んで制作した、JRのプロジェクトとその思想をテーマに旅をしながら、アニエス自身もアガンジュマンしていく長編ドキュメンタリー映画。JRが「Face2Face」「Women are Heroes」「Inside Out Project」に取り組んだ被写体へのアプローチをそのまま再現しながら描かれていくストーリーにはワクワクするし、見終わってとても幸せな気持ちになれる作品。

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題材は現実の淡々とした描写にあるのだが被写体たちの日常を非日常へとドラスティックに変え、それをまた日常に押し戻していく捉え方が、ヌーベル・バーグの祖母アニエスの真骨頂かも知れない。
二人のすれ違いから出会いまでをコミカルに描く映像がプロローグとして展開され、映画は本題に入っていく。二人はノルマンディー、アルプ=コート・ダジュール、オー=ド=フランスと旅をしていくが、その映像もツール・ド・フランスのコース沿いの風景のレースのない日の美しい日常を彷彿とさせる。ヴァルダはJRのプロジェクトを再現させて彼の魅力を引き出しながも、JRの祖母に会いに行ったり、かつて知り合った人々と再会したり、作家ナタリー・サロートの家や写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの墓などを訪れることで旅の主導権を握っていく。

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そしてラストはフランスのスノッブたちの時代をリードし、盟友とも言えるジャン=リュック・ゴダールの家を訪ねて映画は終わるけれど、映画の外できっと旅は続いていく。「Regardez le lac!」とアニエスがJRに囁くエンデイングの映像はブレッソンやドアノーの美しい郊外の写真を思い出させてくれ、それだけでも絶品。つまるところアニエスとJRの完璧なまでの即興的なヴィサージュ(顔)とヴィラージュ(村)のコラージュであり共同作業(パタージュ)と主題だけで韻まで踏んでしまう作品。そして最後にその作品にゴダールがスパイスを加えて映画の完成度をさらに押し上げているけれど、そのゴダールの手法は見てのお楽しみ!

こんなにフランスのアートとしての写真、映像満載の映画でもあるのに、前回この映画を紹介した投稿には、普段FBで僕の周りで写真だ、アートだと発言している人たちからは不思議なことになんの反応もなかった。ゴーマン噛ませば、所詮そんなもんなんだよね、日本の自称写真家たち(笑)。唯一、那須さんだけが「この映画見たい!」とコメントがあり、さすがの目の付け所と思った。

映画は第70回カンヌ国際映画祭コンペティション外で上映され]、ルイユ・ドール賞を獲得。第90回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネート。2017バンクーバー国際映画祭国際ドキュメンタリー賞。『タイム』誌では2017年のトップテン作品の1本。Rotten Tomatoesでは86件の批評家レビューで支持率は100%、平均点は8.9/10。Metacriticでは19件のレビューに基づき加重平均値は95/100。

www.uplink.co.jp

小さな声で囁いて【PFF2018】

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僕にとっては巴里映画に集う仲間、そして巴里映画にとってはかつて働いていた優秀なスタッフ(高野社長談)の 村上さんがアシスタント、プロデュースをする山本英監督の作品『小さな声で囁いて』がマルセイユ国際映画祭で正式にノミネートされたほか PIA FILIM FESTIVAL (以下 PFF40th)コンペティション部門で529本の応募作品の中から最終18本の入選作品として選ばれたのでPFF40thの上映会とトークショーに行って来ました。

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作品はうまく将来像を描けない若いカップルの距離感を彼らの熱海と初島への4泊5日の小旅行を舞台に、音楽ではなく波打ち際の水音をBGMに淡々と描写していくもので、僕の大好きなエリック・ロメールの作風にも似たとてもリアリティーがある作品でした。
結婚を考え始めた飯田芳さん演じるりょう君と、結婚には乗り気じゃなくて一緒にいてもひとりぼっちの感覚の大場みなみさん演じる沙良。たまたまだけれど僕のすぐ側にもうまく将来像を描けないまま離れてしまった若いカップルがいたと言うことと、その女性の方がみなみさん演じる沙良に、話し方や突然の話題の転換や声のトーン、そして人との距離の取り方などがとてもよく似ていてリアルなストーリーとしてどんどん迫ってきました。フェイスブックで巴里映画の高野さんが「受け狙いのない、自分との葛藤の中で、最後まで自分で決めて作り上げたピュアなエスプリ」と述べていますが、まさにそれがアートとしての映画の真骨頂でしょう。

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作品は東京藝術大学大学院映像研究科の卒業作品として製作されたということもあり、打ち上げでは山本監督を始めとする芸大生のスタッフのみなさんや指導教官の諏訪敦彦さんとも、旧知の芸大大学院教員の荒木さんや柳島克己さん、そして Muk カメラサービスの小菅さんのお話が出てとても盛り上がりました。さらに山本監督がイトピンこと伊藤 泰信さんとも繋がっていることもわかって楽しい交流でした。

本作品『小さな声で囁いて』は、こちら青山シアターでも視聴できます。500円〜と有料ですがぜひご覧ください。
小さな声で囁いて【PFF2018】

小林愛美 – Piano Concerto in E minor Op. 11

Aimi Kobayashi – Piano Concerto in E minor Op. 11 (final stage of the Chopin Competition 2015)


Aimi Kobayashi – Piano Concerto in E minor Op. 11 (final stage of the Chopin Competition 2015)

昔だったらアルバムを買ってライナーノーツを読んで、初めて同世代の同楽器の音楽家を知るというパターンがほとんどだったのだが、最近は YOUTUBEという優れものがそういう人の演奏を聞きなさいとどんどん提案してくれる。
これはある意味幸せなことではないだろうか?数々のコンクールを総なめにし、小澤征爾氏の信頼も厚いと言われる小林愛美さんという天才と言われた少女が成人して2015年のショパンコンクールで残念がら入選から漏れてしまったのは記憶に新しけれど今年も彼女は "ならぴ" をはじめとして大活躍だった。彼女の感情を移入したような全身でピアノに望む姿は大好きだが、感情移入をしすぎだと言う批判もあるけれど彼女自身インタビューの中で「直感のままで終わっちゃえば、すごい楽なんです。聴いてくださる方にもある程度、世界観を楽しんで頂くこともできますし、逆にそっちのほうが「すごい演奏だ!」と感じられる方もいるかもしれません。でも、そこで満足しちゃったら終わりだなと。そういう音楽家には一番なりたくないかもしれません。やはり、私たちは弾き手であって、作曲家本人ではないですから。彼らが残してくれたものをどれだけ理解できるか、理解しようと努力するか。その過程を表現することが、私たちの一番の役目なのかなと思います。」と言っている。2006年、まだ11歳の彼女がミスタッチはあったけれどもしっかりと美しく、時には酔うように演奏したウラジミール・スピバコフ、モスクワ・ヴィルトゥオシと共演したモーツァルトピアノ協奏曲第26番で瞬殺された僕は仕事ではなく音楽を聴くと言うポジションで彼女を追いかけてきた。ところが最近はその YOUTUBE が 韓国の天才と言われるイム・ジュヒ Ju-hee Lim、シンガポールのケイト・リュウ Kate Liu などどんどん紹介してくれるのでもう時間が足りなくて、足りなくて。読みたい本も沢山あるし、みたい映画も沢山あるし、聴きたい音楽他にもあるして、マジでつまらないことに時間を費やしていられない(^^;;
実はラフマニノフを引かせたら絶品の某天才少年のラヴェルを聞いて失望した話を「録音が悪いんだと思いたいんだけど」と条件付きで友人のピアニスト Azumi さんに話したら、「市場の期待に応えるために無理なスケジュールでやらされて気の毒な面もある」と言っていたので小林さんをはじめとする彼女たちにはそんなふうにしないでほしいと思う今日この頃。

子宮頸がんワクチンのメディア報道、安易な「両論併記」はやめよ

学問的手続きを踏むと言うこと

newspicks.com
僕の友人の元カノが子宮頸癌で亡くなっていて、彼がワクチンを全否定するのでその印象とメディアの両論併記に触れてワクチン禁止は妥当なものだと思っていた時期があった。たまたま2年前くらいにこの話題がメディアで持ち上がりその友人がFBでワクチン全否定の投稿をした時、見つけたのが鈴木貞夫さんの投稿だった。鈴木さんの投稿と関連リンクでワクチン否定論者は学問的手続きを踏んでいないことを知って愕然とした。学問的な手続きが当然であると思っていた医学界ですらそういうことかがあるのか!と。
僕が学生時代に経験してきた東洋哲学〜仏教学の分野ですら信仰を超えて学問的手続きをきちんとした上での通説への反証が常識となってきていたからである。
そしてさらに音楽もそうした手続きを踏まえていくとを知る。今年の春の僕の個展会場に指揮者の曽我大介マエストロが来場いただいて他の音楽関係のゲストとともにいろいろお話をする機会を得た。その時マエストロが良い作曲家と凡庸な作曲家の違い、オペラの解釈と再構成の仕方など、理路整然と先人の前例や解釈などを配しながらお話してくださったけれでも、これは明らかに学問的な手続きを踏んだ話だったのだ。
そしてこのリンク先の憲法学者・木村草太氏の憲法解釈の話。ここでも学問的な手続きをしない解釈はNGであると理路整然と語られる。集団的自衛権が合憲であるなどと言う学者はほとんどいないのにその少数に肩書きをつけて両論併記すると各論が同等の正当性を持つように語られてしまう。
鈴木さんが言われるように『エビデンスが大きく異なることに両論併記はおかしいと思います』というのは全く賛成だし、できれば一人でも多くの人が感情や好き好きに惑わされずに学問的手続きということを考えながら物事を判断してほしいと思う。その点では政治家や宗教家が一番ダメなのかもしれないけれど。

ちなみ鈴木さんは元はといえば音楽つながりの友人。名古屋市立大学の医学博士であることはたぶん後から知ったと思う (^_^;A

『【硬派認定】私も,科学でエビデンスが大きく異なることに両論併記はおかしいと思います.
対談の最後に名古屋スタディへの言及があります。
個人的な感想ですが,メディアごとの「クセ」みたいなものもあって,新聞がいちばん硬直化していると思います.論文を書き終わってから,いくつか取材を受けましたが,新聞はゼロです.』