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ボジョレー・ヌーボー、タスタリベ!

ボージョレ・ヌーボー出生秘話

 ボジョレー・ヌーボーの解禁は以前ほど大騒ぎされなくなったしなななんと今日の今日になるまですっかり忘れ去っていたんだよねと自称ワイン愛好家、他称ただの飲んべえの小生としてははたと気恥ずかしくなるって、忘れていたということはやっぱりただの飲んべえか?ええ、ええ、そうでしょうきっと。

 自分で忘れるくらいだからブームも下火なのかと思っていたら、ああそうですよ、自己中心的ナルシズム、嗚呼、実際その筋の方にお話を伺えば毎年確実に需要は伸ばしているんですって、嘘じゃなく。ある新聞社のデータをベースにすれば国民100人に一人が買うことになり、これは浜崎あゆみのCDより売れているということになるから凄い。大騒ぎにならないのに需要を伸ばしているというのは日本人の潜在的ワイン愛好家が確実に増えている?のかそれとも今やでコンビニでも居酒屋でも扱うボジョレー・ヌーボー、なんとなく買ってしまうのか、それとも無理矢理飲まされる?

 本国フランスでも以前ほどの大騒ぎはされなくなったといえ、やはり11月の第三木曜日は美食家達が、学生のいたずら騒ぎを思い出させるような大騒ぎ。しかしこのいたずら騒ぎの歴史は意外なほど短くまだ30年位なのである。「ボジョレー・ヌーボー、タスタリベ!(ボジョレー・ヌーボーただ今到着!)」のケバケバしいポスターと共にショービジネスの人々を動員して「今年はワインの偉大な年だ・・・このボジョレーは最高だ!・・・今年のボジョレーは値が上がる!」と手をかえ品をかえたいくら形容詞を使っても誇張したりないアメリカ製の洗剤の公告と競い合うこの騒ぎは、毛沢東語録でもあるまいが、やっぱりもう少し西の中華思想を持つわがまま民族のとりわけ冗談好きなリヨンの料理界の大元帥、ポール・ボキューズの発達したビジネス感覚で考え出された鳴り物入りの大宣伝なのであった。

 それよりさかのぼる少し前、そうあの結果は勝利に終わったものの、その内容において惨憺たる大敗北(開戦6週間でパリは陥落。ナチスの手に落ち、南方資源の拠点、植民地ベトナムラオスカンボジアヒロヒト日本に奪われた)のセカンド・ワールド・ウォーのあと、ボジョレー村はフランスで一番貧乏なワイン生産地だった。これを何とかしようと栽培家を教育し、その栽培家から葡萄を買い上げ、ブレンドをおこない、出来たワインを売りさばくため、フランス版農村大躍進運動の提唱者ジョルジュ・デュブフは最善の努力をした。彼のワインづくりのセンスをその畑のすぐ南で三つ星レストランを経営する売り出し中のポキューズが見逃すはずがない。ボジョレーという名前の響きの軽やかさまで兼ね備えた、果実味に富み、はち切れそうなフレッシュな芳香を持つこの新酒の一大イベントは、秋のジビエ、木の子のシーズンとクリスマスまで少し間が空いていたパリの美食家のイベントカレンダーの隙間を見事に埋めて、「市場の料理」と銘打つポキューズのヌーベルキュイジーヌ・ムーヴメントと共に彼らの心をがっちり捕らえたのである。フランス中がヌーベル・キュイジーヌ(あの重たいデミグラスソースから解放された新鮮な素材の軽い料理)とボジョレー・ヌーボーに沸き、その事実はニューヨーク・タイムスの記事になった。やがてこのワインはヌーベル・キュイジーヌと共に、世界中へ輸出された。

 戦後再びベトナムを支配しようとしたフランス軍は1954年5月ディエンビエンフーの戦闘でベトナム解放戦争に大東和共栄圏の夢を託した日本陸軍の残党にゲリラ戦の指導を仰いだホー・チ・ミンの軍隊に完膚なきまで叩きのめされ。遂にベトナムをアメリカに託せざるを得なかった。1950年代から60年にかけて北アフリカ諸国のフランスへの戦闘も凄まじく、フランスはことごとくその植民地の独立戦争に敗北した。その間隣国のイギリス、ドイツの復興は目覚ましく、フランス人は自信を失いつつあった。

 それから10年、ボジョレー・ヌーボーはフランスで戦後もっとも成功した輸出品になった。フランス料理は世界で最も美食家に尊敬される料理になり、オートクチュールは世界の富豪、貴婦人達の羨望になる。フランス人は今度は戦争ではなく文化を世界に輸出した。そして彼らは自信を取り戻していく。ボキューズは対独レジスタンスと植民地支配の英雄ドゴール将軍に取って代わり、デュブフは卓越したワインブレンダーであり、最も成功したビジネスマンとして尊敬された。

 フランス料理は世界最高の料理なる宣伝はコンチネンタル指向のニューヨークっ子たちの心をとらえそれはまるでほんとうの事のようにアメリカの後進国ニッポンをも圧巻する。しかもしかもシズオ・ツジなるフランス料理の広告塔まで現れて、ひょーっ!高度経済成長に疑問を持った青年たちが根拠もなくフランス料理、さいこ~っ!と雄叫びをあげながら料理界にどっとなだれ込む。やがて青年たちは大挙して海を渡る。あこがれ~のパリ航路、なんちゃって。み~んなフランス料理の前に傅いた。フランス人はビックリ!かつて自分たちが手を焼き、勝利することが出来なかったベトナムハノイに無血進駐して見せたあのイエローモンキー。その日本人がいまや我々の前に傅いている。当時のフランス人が日本の料理人を褒め讃えたのは決して日本人が器用で真面目だからだけではないんだな~。復讐的な優越感が少なからずあったんだよ。ところがところが最初は一緒になってフランス料理さいこ~っ!てやってたマスコミはかけた梯子をすうっと外す。がらがらと崩れ落ちるフランス料理。だけど今宵もおでんに焼き鳥でボジョレー・ヌーボー。やっぱりフランス人はしたたかだったのね~。