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しほととうさん - 仔熊のメルヘン物語

しほととうさん

 しほは夏が去り山が赤く色づいてくると秋が来ることを知っている。--つかの間の夏が過ぎ去り山の集落は冬支度を始める。登別の秋は早い。--

毎年その秋になるととうさんが島村さんという女の人を連れてしほに逢いにやってくるからだ。とうさんがやってくるとしほは臭いでわかる。一目散にとうさんのほうへ走っていって一旦、10m位前で立ち止まり胸を張って肩を怒らせて「ウオ~ン」と一吠えする。そしてとうさんの「しほ!」という呼びかけに答えて鉄格子越にとうさんのかおを思いっきり舐める。とうさんは顔をくちゃくちゃにして喜ぶ。しほにとっても至福の瞬間。

 しほがとうさんと初めてあったのはもう6年f:id:lovelovebear:20081024213014j:image:rightもまえの春、しほが生まれた初めての春だった。といっても知床の春は遅い。お腹をすかせてかあさんと山を降りた。かあさんはさっさと勝手知ったる獣道をいく。はじめて穴蔵を出てきたしほにはとってはとってもしんどかった。なにか獲物を見つけたのだろう、かあさんが走り出した。その瞬間「パン、パ~ン」と言う音がせん光とともにして前のほうでかあさんが倒れるのがみえた。しほは何か危険を感じたから藪のなかに咄嗟に身を隠した。するとどうだろう人間達が倒れたかあさんの廻りを取り囲んでいる。やがてかあさんは四つ手に縛られその間に長い棒を通されて人間達に担がれてしまった。人間達は歩をあわせ要領よく獣道をかあさんを担いで降りていく。しほはそっと後を追った。やがてかなり開けた所までくると人間達はかあさんをトラックの荷台に移した。ブオ~ン。トラックは走り出した。

--かあさん、かあさん。

しほはせつなくなった。でも一生懸命かあさんの臭いの残る空気を嗅いで、その臭いが濃いほうへ、濃いほうへ四本の足で必死にはしった。気が付いた時にはあたりはすっかり真っ暗になっていた。ようやくたどり着いた一軒のおうちの前でしほは血とかあさんの臭いが一緒くたになっているのを発見した。光が漏れている隙間からそおっと中にはいるとそこには平らな毛皮だけになったかあさんがいた。しほにはまだ悲しさや怒りという感情がわかなかった。ただお腹がすいたのでかあさんのおっぱいを探した。さがして吸ってみた。でもおっぱいは出なかった。そこへ人間の声、しほは身構えた。

--あれま、めんこい仔熊がいるよ。かあちゃんのおっぱいかっついできたんだなぁ。あんた!仔熊、仔熊。

そんなそのうちのおばさんの奇声にひげ面のいかつい男の人が出てきた。

--ほんだま。とうきょうのK先生に連絡すっぺよ。先生メスの仔熊がつかっまたら欲しい仰ってたもんな。

 しほは低い声で唸って威嚇を試みたが、この道数十年の猟師のおじさんには通用しなかった。あっという間に取り押さえられ小さな網の小屋に入れられた。でもミルクが沢山振る舞われたので一生懸命飲んだ。飲んだら疲れて眠ってしまった。あくるひ目を覚ますとそこには昨日はいなかったちょっと都会的なおじさんがいた。満足そうにしほを見ていた。

--この仔熊なまえは着いてるんですか?

--まだだなぁ、ゆうべきたばっかりのもんだから。

--じゃあ、僕が着けましょう。奥さんは志保さんだたよね。じゃあ決まり、しほちゃんだな。仔熊ちゃん、いまからお前の名前はしほだよ。しほちゃん、しほりん。

 このときしほの名前は正式にしほと決まったのだった。でもしほにとってはそんなことはどうでもよかった。このおじさんが猟師のおじさんのようにたくさんミルクを振る舞ってくれれば満足だった。そしてしほは小さな仔犬用の籠にいれられおじさん、そうあたらしいとうさんと東京にむかった。

 一日掛かりで東京に着くと明くる日からしほととうさんの"二人暮らし"が始まった。しほはまだなんとなくとうさんを警戒していた。でもとうさんはそんなしほを愛おしい目で見つめ、お腹がすくころミルクをくれた。しほそれを一生懸命たいらげると遊びたくなった。するととうさんはまるでクマになったかのようにしほと遊んでくれた。その頃のとうさんは事業に失敗して奥さんが出ていってしまい一人ものだった。だから知床の志保さんからしほのことを聞くと東京の郊外の小高い丘の上に一軒家の借り家を借りてしほとの二人暮らしの準備をした。

 ある日とうさんはしほに真っ赤な革の首輪を買ってきてくれた。それをつけたしほは縫いぐるみのように可愛かった。そしてとうさんは毎日新しく就職した仕事に行かなければならず、とっても大変そうだったけれど朝は早起きをしてしほを近くの多摩川の河原まで遊びにつれていってくれた。そこで二人(一人と一匹)は走り回ったりレスリングしたり、水遊びをしたりした。ただ散歩に行くとひとつだけしほには気に喰わないことがあった。近所の子供たちから「わ~、かわいい仔犬」と言われることだった。そんなときは--わたしは犬じゃないわ。クマなんだから--と二本足でたって胸を張り、肩を怒らせて「ウ~ッ!」と低い声で威嚇をした。

 ある日とうさんが蟻地獄を見つけると蟻さんを一生懸命掘り出してくれた。

--しほ。この蟻さんを食べると胃が活発に動くようになってこれからやってくる夏の食べ物を思いっきり食べらるようになるぞ。

とムツゴロウさんのようなこと言ってしほに差し出した。しほはそうすることを頭では知らなかったがDNAに織り込まれた行動であるかのように蟻さんをむしゃぶり食べた。

 またある日とうさんは

--中国製のハチミツが渋谷市場で安かったんだ

とおおきな瓶をたくさん買ってきてくれた。しほは瓶にのなかに吻を突っ込んで顔をベタベタにしながらハチミツを食べた。そしてそれにもましてしほはとうさんが最初にくれた食べ物、そう明治のキャラメルが何よりの好物だった。とうさんは最初はそんなことまで意識していなかったらしくしほがキャラメルを喜んで食べたのを覚えていてたまにキャラメルを買ってきてくれたが、それがグリコだったっり、森永だったりするとしほは食べなかった。それが明治だとしほがすぐにぺろりとたいらげてしまうのでとうさんは不思議がった。そんなときはしほは言葉をしゃべれないもどかしさを感じた。ただただ、しほにとって好き嫌いを言っているわけではなく本能的に最初にもらった食べ物が安心できるだけだった。

 最初のうちはとうさんとじゃれるとしほは思い切り爪をたててしまいとうさんの身体はすぐに傷だらけになってしまい血が出た。するととうさんはどこかで聞いてきたのか本を読んだのか解らないがしほとじゃれるときは裸でじゃれるようになった。とうさんがそうしてくれることでしほは人間の肌は弱いからあんまり爪を立ててはいけないことを理解出来るようになった。そんなことをしているうちにしほはとうさんが大好きになっていった。

 とうさんが毎日仕事にいってしまうと夕方帰ってくるまでしほはいつも退屈だった。だから家の中を歩き回り食べられそうなものは何でも囓ってみた。家の中は次第にボロボロになったがとうさんはそんなしほに文句は言わなかった。ただ呆れた顔をしてしほを撫でてくれた。そのうちしほのほうが嬉しさがこみ上げてきてとうさんにじゃれつきだすととうさんもうれしさがこみ上げてきてしほの吻にかじりつく。しほはそれが痛いやらうれしいやらでとうさんの脇の下に吻をつっこんでしまう。いつのまにかおたがいが掛け替えのない存在になってしまっていた。

 ある日、とうさんが女の人を連れてきた。そしてこの人は島村さんといってとうさんの新しいパートナーだとしほに紹介してくれた。島村さんはしほのことを可愛い可愛いと撫でて頬ずりもしてくれた。その晩は人間たちはワインを飲み、しほはハチミツ入り牛乳を飲みながらみんなでタスマニアサーモンのローストを食べた。勿論一番たくさん食べたのはしほだった。だからしほはすぐに島村さんになついたし島村さんもしほが大好きになった。

f:id:lovelovebear:20081024213015j:image:left しかし夏も過ぎ秋になってくるとしほの身体はどんどん大きくなり体重も50キロを超えていた。しほはとうさんが大好きだったけれどなにかとうさんのからの中から外にでてみたいとも思うようになっていた。もうしほは時速60キロで走れるようになっていたのでたまに多摩川の河原でとうさんのいうことを聞かないでとうさんを困らせた。とうさんはそんなしほに困った顔をしてたまにイライラするようになった。そして悲しい顔をした。それがおもしろくてしほはとうさんのいうことを聞かずに河原の中をずっと遠くにいってしまっては父さんを困らせた。そしてとうとうある日、パトカーが出動する大騒ぎになりしほはとうさんではなく警察官たちに捕まってしまった。

 二人(一人と一匹?)は無言で警察暑から出てきた。とうさんはこっぴどくしぼられたみたいだった。だまってクルマにのって家に帰った。しほもなんとなくことの重大さを感じてシュンとしていた。家に帰るとしほも大好きなとうさんの新しい彼女の島村さんが食卓の準備をしていた。テーブルの上にはしほの大好物のタスマニアサーモンのローストやキノコのバター炒め、キャベツのスープ煮、ハチミツにリンゴとなんかとっても豪勢だった。しほはいつものように島村さんに前掛けをつけてもらい人間たちと食卓についた。しほの前の洗面器にはハチミツ入り牛乳。とうさんは島村さんとシャトー・ラグランジュで乾杯をしてから目に涙をためて話し出した。

--しほ。おまえにはいよいよ野生の目覚めが始まっている。とうさんにはもう手に負えなくなってきたよ。このままではおまえもとうさんも不幸になってしまう。仔熊と暮らすのはとうさんの子供の頃からの夢だったんだ。短かったけど楽しかったもんな。知床では仔熊に野生の目覚めが起きたら森に返すことになっているんだそうだ。でも東京で育ったおまえは自然ではやっていけないだろう。それで知床の志保さんとも相談したんだがおまえを登別のクマ牧場に引き取って貰うことにしたんだ。そこならとうさんも会いに行けるしな。そういってとうさんはいつものようにしほの吻をかじった。しほもお返しにとうさんの脇の下に吻をつっこんだ。

 勿論しほにはとうさんが何を言っているのかわからなかった。ただいつもと違うということがわかった。それに島村さんも貰い泣きしている。人の涙をみてしほはふっと毛皮になってしまって薄く平らになってしまったかあさんを思い出した。

 明くる日登別のクマ牧場から迎えの車がやってきた。何人かの男達がとうさんと話をしている。そして突然しほはそのクルマの檻の中に閉じこめられた。しほにははじめて理解ができた。なにか違うこと、いつもと違うことが始まっていることが。しほ急に不安にになって「ウオ~ン!ウオ~ン!」と吠えた。とうさんと島村さんが近づいてきて

--しほ。心配ないよ。ちょっとの辛抱だ。むこうにつけば仲間や友達がいっぱいいる。それにおまえの兄弟にだってあえるかもしれないぞ!

しほはとうさんのやさしい語り口にすこし安心したがやっぱり不安になってまた「ウオ~ン!ウオ~ン!」と吠えた。そしてとうさんが男達に頷くとクルマは出発した。しほはとうさんのそばにいたかった。だから一生懸命吠えた。とうさんは遠ざかっていくクルマのしほに向かって泣きながら手をふっていた。見えなくなるまで手をふっていた。とうさんはこれでいいんだと思った。

 訪れの早い登別の秋の気配を感じながらしほは今年もそろそろとうさんがやってくるなと漠然と思っていた。するとふっとしほの知っている臭いが鼻に感じた。でもとうさんの臭いじゃない。あっ島村さんの臭いだ。やがてしほのいる檻の方へ一人でやってくる島村さんの姿がみえた。しほはうれしくなって駆けだした。いつものように一旦、10m位前で立ち止まり胸を張って肩を怒らせて「ウオ~ン」と一吠えする。しほを見つけた島村さんが「しほりん」と声をかけてくれた。でも島村さんの声は元気がなく寂しい。すぐ近くに対面した。島村さんはなにか大きな写真を抱えている。それをしほの方に向けている。しほにはそれがなんだか、はっと理解できた。とうさんが写真になって薄べったく平らになっている。しほのあんまりものを考えたことのない頭にかあさんとの別れの時が思い出された。島村さんの目に涙があふれている。やがてまぶたがそれを支えきれなくなって大粒の涙が島村さんの目からこぼれ落ちた。

f:id:lovelovebear:20081024213016j:image:right--しほりん!あのひと死んじゃった。とうさん、死んじゃったのよ。私たちを置いて。

しほにはなぜか島村さんのいうことがはっきり理解できた。かあさんとわかれた時の不安な気持ち。とうさんのところからここに出発するときの不安な気持ち。あのときおっぱいが出なかったかあさんのようにとうさんも薄べったく平らな写真になって島村さんに抱かれていた。島村さんの涙を見ていたらしほの目にも涙があふれてきた。島村さんと一緒に「ウオ~ン!ウオ~ン!」と泣いた。島村さんもしほも、とうさんにあいたかった。だから一人と一匹は思いっきり泣いた。でも一人と一匹は泣き疲れるとお互いに顔を見あわせて微笑んだ。

--しほりん!あなたといるとあの人が側にいるみたいだわ。

しほもそう思った。島村さんの横に優しいとうさんが笑っていた。

          ----- 完 -----