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西空の彼方へ~四大分離して甚の処に向かってか去る

奇妙な出来事

 それが大学時代のサークルの集まりだったか、高校生の時の文化祭の準備の集まりだかよくわからなかったけれど部屋の片隅に一人静かに佇んでいる少女がいて、気にはしながらも入れ替わり立ち替わりやってくる人たちと打ち合わせをこなしながら漸く彼女と一言二言言葉を交わすことが出来たのは彼女の存在に気がついてから少なくとも2時間は経過していた思う。その間彼女も僕が空くのを待っていたように思うのだけれど、彼女と話が出来た途端に僕の意識はどこかへ飛んでいた。我に返って改めて彼女を捜したけれどもう彼女はそこにはいなかった。その出来事が実際に僕が学生時代の体験が思い出されたことなのか、最近見た夢の中の出来事なのかを意識することもなく幾日かが過ぎた。

 僕の仕事は僧侶である。いわゆる禅宗坊主の端くれだ。実家は勿論寺なのだけれど今は実家を離れて3年間の僧堂修行の後、ある寺に役僧として雇われて早5年。仮にD覚寺とでもしておこう。役僧と言ったって別に役員で偉いと言うわけではなく、境内の掃き掃除から廊下の雑巾掛け、東笥と呼ばれる便所掃除まで何でもござれである。早い話が人手を補う雇われ坊主。しかも檀家の数も結構多く、法事、葬式、座禅会と結構多忙だ。しかもそのうちひと月に一週間は僧堂の老師の元に帰り参禅修行を続けなければならない。今の寺は和尚さんと僕ともうひとりまだ出家得度したばかりの僧堂に行く前に坊主としての作法の見習いをしている丹念という少年の3人所帯だ。「僧堂で3年修行して自坊に帰って親父が死んだら住職なんてコースじゃいかにももったいない。僧堂で身につけた仏法を現実の娑婆世界で生かし切ってこそ仏祖の恩に報いるというものじゃ。一つ菩薩行で辛酸を舐めてこい!」とう老師の鶴の一声で僧堂を追い出され、同期生たちが自坊に帰り副住職という立場で出世していく中でこうして一人遊行を続けるいわゆる雲水というやつなのだ。

 再び彼女に会ったのはそれはもう夢に違いなかった。今度は明らかに高校の時の視聴覚室で光に包まれた彼女が目を潤ませながらしきりに僕に何か訴えかけていた。彼女を包む光は虹色の無限に広がる網の目のようなこれもまた光の糸に絡まれて彼女のいるところだけが妙に明るいのだった。訴えかける彼女に僕は手を差し伸べるのだけれど、そうすると彼女は僕から離れてしまうのだった。こんな光景は夢以外の何ものでもなく僕はいつものように本堂で朝課と呼ばれる朝のお経を上げながら、だけど昨夜の夢はいったい何っだたのだろうと間違いなく夢であろうその夢の残像を反芻した。いったい彼女は何者なのか?否、だれなのだろう?

 僕は僧侶といってもいわゆる霊魂を信じるタイプではないし、それこさお釈迦様が信者さんに人は死んだらどうなるのですかと聞かれてノーコメントを通し続けたことが唯一仏教こそ科学と矛盾しない現代でも通用する宗教だと自分に言い聞かせて自分の存在の拠にしているほうだ。そもそもお釈迦様の教壇は葬式を出した記録はないし、本来己自究明の宗教が仏教なのだから、我が宗門もこと霊魂については檀家さんには冷たいくらい否定する和尚もいる。同門にOという霊魂を呼び出すタレント僧侶もいるがありゃ例外だ。

 あれが高校時代の記憶が底辺にある夢ならばなんと遙か昔のことだろう。同級生の中に彼女は存在したのだろうか?夢の残像をたぐり寄せながら彼女のことを思い出して考えてみてもいったい誰なのか皆目検討がつかなかった。覚えているのは肉厚の唇とその割には締まった口元、二重瞼と長い睫と色黒な顔の色くらいなのだ。それから数日気がつく度に僕は彼女がいったい誰だったかを高校時代のことをなぞりながら懸命に思いだそうとした。そんなことを思考のうちに繰り返しながら幾日かが過ぎ去りいつの間にか僕はもうそのことを思い出さなくなっていた。

 ある日いつものように駅前のロータリーを横切り右手に見えるコンビニを目指していた僕の目に突然前から歩いてくる彼女が飛び込んできた。まさか!と驚きながらも僕の視線は彼女を追った。明らかにあの夢の中の彼女だった。そんなばかなことがあるだろうか?とっくに中年になっていなければいけない彼女が高校生のまま、いま、ここにいるのだ。僕は我が目を疑いなんどもなんども目をこすりながら彼女を凝視した。驚く僕を見透かしたように彼女は僕にどんどん近づいてくると、微笑みかけてこう言った。

「こんにちは。久しぶりね、芹沢くん。突然だから驚かせちゃったかな?私のこと忘れちゃいました?今村です、今村。そうだよね、卒業してからもう15年は経っているものね。」

 そう言うと彼女はあっけに取られる僕を左手に見ながら会釈をしながらすれ違っていった。しばらく呆然とした僕はなんとか自分を取り戻し振り返って彼女を追おうとした。しかし振り返って改めて街頭を見渡してももうそこに彼女らしき姿はなかった。

 僕は家に帰ると高校の卒業アルバムを探した。物置の段ボールからようやく埃にまみれたそれを引きずり出すと、埃を叩き落とすのもいい加減なまま開いてみる。・・・後にそのことが眠っていた僕のアレルギー性鼻炎を呼び覚まし一晩鼻水が止まらず眠れないことになるのだが・・・まず集合写真で彼女を捜した。そしてついに僕は今日の姿形そのままの今村を発見した。本当に今村だ。だけどしかし今頃なんで今村なんだ?床についても鼻がむずむずとしてなかなか眠れない。一晩中今村のこと考えた。

 どんなに記憶をたぐり寄せても僕と今村はあまり接点がないのだ。学校の行事で話をしたことくらいはあっただろう。だけど個人的に親しくしていた覚えはこれっぽっちもないのは勿論のこと、彼女が僕に関心を持っていたとか、僕が恋心を抱いていたとうこともない、まして卒業してからは僕は東京を離れて京都の大学に行った。彼女はたしか東京の体育系の大学に進学したことは聞いていたけどその後の接点はまるでない。今日まであったことがすべて夢の中の出来事だったとしても僕の潜在意識のなかに彼女が登場する道理がわからなかった。

 ただ言えることは今日までのことが夢の中であれ現実のことであれ僕の意識の中での体験には違いがない。僕たちは学校教育の中で知らず知らずのうちに論理的にものを考え整理する術を身に付けさせられている。無意識に時系列で経験を整理するのもその効果である。しかし現実の自分の周りの世界は実はすべて自分の意識から発しているのであって意識がなければ自分にとって周りの世界もまた無いことになる。今村の場合は僕の時系列による論理的な体験のなかに時系列突き破って現れたことになる。しかしこれもまた僕の体験なのではないか?だとすればこれはいったいどういうことか?これは僕の意識と言うより彼女の方の意識なのではないか?次第に僕はこう考えるようになった。そうでなければ自分に説明が付かないからである。

 実際のところ今村についてはそれが夢であれそうではなく現実に起こっていることであれ僕にどうでも良くなっていた。すでに嫁いで母親になっているはずの今村にこちらから連絡をいれて会ってみようなどとはさらさら思わなかったし、ただ僕の意識の中に現れる今村にこんどはいつ会えるのかが楽しみになっていたに過ぎない。この自分の周りに起こる奇妙な出来事を僕は楽しみながら受け入れていた。そしていつの間にか高校生の頃の今村をはっきり思い出すことが出来るようになっていた。回転レシーブが旨かった今村。バレーボールの練習が終わると校門前の売店でゴクゴクと美味そうにファンタオレンジを飲み干していた今村。不条理なことがあるとホームルームで目を潤ませながら意見をはっきり発言していた今村。

 ある晩、僕は再び今村の夢を見た。今村はまた高校生の時の姿形そのままで現れた。今村を包む光はよりいっそう強くなっていた。そして今度は光だけでなく彼女の指先からはっきりと七色の光を放つ糸が発せられその糸が無限に延びて網の目のように交点を持ち無限に広がっていた。それぞれの交点は瑠璃色のダイヤのように輝き、まるで発行ダイオードで制御したように虹色を変化させながら輪廻する。その光がほんのわずかに遅れてとなりの交点のダイヤに映りこんで輝く。すべての網の目の交点が互いにその光りを映しあいながら無限に続いていた。そしてその光りの網は緩やかに翻り今村の躯を支えているのだった。僕は掌を差しだしその今村の光りの糸を放つ掌を握った。光りの網がお互いの顔に反射して眩しくさえあった。

「さようなら、芹沢君。もう怖くはないわ。」

 僕はゆっくり頷いた。握りしめた掌を放すと今村の周りを取り囲む網が無限の広がりからいつの間にか西の方の大きな光から放射状にこちらに向かっているように変化していた。今村は穏やかに優しい笑みを見せるとその光りの網に包まれるように西の空に光る大きな光りの方に見る見ると吸い寄せられていった。

「今村、元気でな。」

葬式依頼

 僕は去っていく今村を見続けた。今村がどんどん小さくなって大きな光りと同化するのを見届けないうちに僕は電話のベルが鳴る音で起こされた。吉田さんという男性から僕の実家の寺に電話があったという母親からの電話だった。その吉田さんという方の奥様が亡くなったらしい。檀家の方ではないがお父さんではなくあんたに葬式をお願いしたいと言っているわ。事情を話すとそれも何かの仏縁と、それになにかと人手も必要じゃろうと丹念まで連れていけと暇をくれた上に快く送り出してくれた和尚に感謝しながら母親から送ってきたファックスを片手に僕はまだ通夜の準備も出来ていない吉田家を訪れた。

 目を真っ赤に腫らした体格の良いご主人らしき男性が現れ今回は突然不躾なお願いを申し訳ありませんと深々と頭を下げた。合掌して招かれるままに仮の仏間となっている部屋に通されるといつもの枕経の時と同じように棺に入る前のご遺体が白布でお顔を覆われて北枕に臥していた。「家内でございます。もうすっかり覚えておられないでしょうが・・・・こんなに窶れてしまって。」涙ぐみながらご主人が白布を静かに捲った瞬間僕は絶句した。そこに現れたのは痩せ細りながらも美しく死化粧を施された、紛うかたなき今村そのひとだったのだから。

 ご主人が卒業アルバムの連絡先を調べてわざわざ僕に連絡をくれたことの顛末を時折嗚咽を交えながら静かに語ってくれた。聞いている僕も頷きながら涙がこらえ切れなくなっていた。こんなとき僧は泣いてはいけない。ご遺族の話に泣いているような坊主に人は身内の弔いを委託できないではないか。

 家内とは結婚して10年になります。知り合ったときはずいぶんと自分をしっかり持った強い女性だなと思いましたがその何事も実行しようする意志の強さに惹かれたようなもんです。ところが最近家内が癌に倒れてから打ち明けられたのですが私と出会うほんの半年前に男に捨てられ妊娠中絶をしていたことを知ったのです・・・・

  そのとき私はこんな男と一緒にいたって自分が駄目になってしまうと中絶しました。会社も辞めてなんとか一人で再出発しようと部屋を借りようと思いましたが、職もない若い女には世間は冷たいものです。茫然自失の状態でしたが就職したときに研修をうけた禅寺を思いだし、行き詰まったらいつでもおいでなさいという和尚さんの言葉を思い出して電話してみると来週から在家の方を対象にした接心会(何日間か集中的に座禅をする会)というので藁をもすがる思いで参加しました。毎日座禅に明け暮れ和尚さんの法話を聞いているとなんとか心は晴れやかになるのですが、夜床につくと私はいったいなにをしているのだろうと止めどなく涙があふれてくるのです。将来を思うと不安で不安でたまりませんでした。それがまた涙に拍車をかけていたのかもしれません。ひとり座禅堂を抜け出し廊下で月を見ながら泣いていました。そこへ一人の雲水さんが現れ私の肩を抱いて掌を強く握ってくださいました。

「泣きたい時は気が晴れるまで思いっきり泣いておしまいなさい。泣いている自分が笑えるようになるまで涙に徹してしまうのです。大丈夫、大丈夫ですよ、あなたならきっとだいじょうぶ」

  そのとき私はなにか大きな愛に包まれているような安堵感を覚えました。雲水さんの掌を通じて生きていくエネルギーが伝わってくるようでした。そして私は暗闇の中でその雲水さんの横顔を見て驚きました。雲水さんは芹沢くんだったのです。でも芹沢くんは私にはまったく気がついていない様子でした。でもここで芹沢くんと声をかけたら、今まで本当に仏さまのようだった芹沢くんが私の中では忌まわしい男という動物に戻ってしまうようで恐ろしくて声をかけられませんでした。このことは黙っていよう、芹沢くんは禅宗の修行をしているのだから私を力づけてくれたことは仏さまの代理でしてくれているんだ。私はなにかこんなに安心感と元気をもらって芹沢くんもう立派に仏さまの侍者がつとまっているじゃない。わたしも頑張らなくてはという気持ちになれたのです。

  あくる日和尚さんの法話の時に参加者のある男性が和尚さんに意地悪な質問をしました。

「昨晩廊下で泣いている女性がいました。そうしたらあろうことか雲水さんが彼女に近づいて抱擁をしたのです。お坊さんがそんなことで良いのでしょうか?」

「そうか、わしにはそうは思えんけどのう。彼は本山の僧堂から昨日一日手伝いに来てもらった雲水じゃ。昨日は、昨日。今日は今日。昨夜はそうして差し上げるのがそのお嬢さんには一番よいと判断したからそうしたんじゃろう。その証拠に彼はそのお嬢さんを昨夜のうちにさらりとそこに置いたまま今日はもう自分の修行に戻られてしまったよ。そういうのを仏さんの働きというんじゃよ。あんたのほうこそまだ今に至るまでそのお嬢さんをこころで抱擁しておるんじゃないんかのう。あんたのほうがよっぽどスケベっちゅうもんや。わっはっは。」

  その場の一同からどっと笑いが起き誰からとなく拍手がおこりました。一瞬たじろいだ私もその和尚さんのひとことでほっとしたしとても暖かな気分になれました。芹沢くんにやっぱりお礼を言おうと思ったのですが、お寺としては個人的な連絡を入れるわけにはゆかない。そういう参加者の方がいらしたことはお伝えしましょう。あなたが座禅を続け

ていればいつか仏縁で彼に再会出来る日も来るでしょうとのことでした。

同時進行のプロセス

 家内がそのことを打ち明けてくれたのは数日間まえのことでした。まだ30代の癌はあっというまに進行するものなのです。いよいよ自分の死期を悟ったのかこの話をしてくれてあなたに会いたいと言いだしたのです。しかし私は死を迎えようとする自分の妻からほかの男性の名前が出てきたので一瞬驚き、躊躇しました。そんな私を見て家内は「ばかねぇ、やましいものはなにもないのよ。へんに疑われたら私はともかく相手に失礼よ。」と私の複雑な気持ちを見透かしたように言うのです。そこで家内の症状が落ち着いた時を見計らって家に家内の卒業アルバムを取りに帰ったのです。病院に戻ると医者からいよいよ奥さんが危ない、今晩が峠ですよと宣告されたました。私の気持ちの整理を待たずに家内の躯でどんどん増殖する癌。まことに世の無常を感じました。

 それが仏教の教えなら家内が言う仏さまの代理のあなたになんとか家内を会わせてやりたい、私が素直にそう思える頃には家内の呼吸は一段と荒くなり、いてもたってもいられない私は病室の窓から夜空を眺めて泣いていました。本当はあなたのように苦しむ家内の掌を握っていてやりたかったです。でも私は自分が悲し過ぎてどうにもならずにそれが出来なかった。娘たちが「おかぁさん!」と叫び続け、家内の母親が家内の名前を呼び続けるなかで、家内の鼓動を伝えるピーン、ピーンという電子音だけが私の耳に大きく響き響いていました。そしてついにその音が消え振り向いたときには家族の嗚咽が聞こえてきたのです。私はあわてて家内のベッドに駆け寄りました。

「すまん、芹沢さんお留守で連絡がつかないんだ。」

 私がそう言って彼女の掌を握ると家内は微笑みながらこういうのです。

「大丈夫、いま送ってもらっているわ。」

 そうして家内はゆっくり瞳を閉じました。最後にあなたに励ましていただいている夢でも見たのでしょうか?闘病中はあんなに痛くて苦しんだのに最後はとても穏やかな死に顔でした。いまこうしてあなたとお話をしている生きているうちにあなたに会わせてあげたかったと無念の思いでいっぱいです。どうか家内を楽園に送ってやってください。

 あなたに変わって僕が今村の掌を握ってあげましたよとなんて勿論僕は言わなかった。僕の体験したことが実はやっぱり現実そのものであったことも。いつか悲しみから立ち直った吉田さんに僕の体験を話すときが来るだろうとは思うけれどいまここでそんなことをしゃべっても生き残った吉田さんには何のプラスにもならないだろう思ったからだ。ただここ数週間前から僕の身辺で起こった奇妙な出来事が僕の体験そのままに収斂されていくことに妙に納得がいった。だから通夜、葬式と終えて吉田さんには美しい瑠璃色の光の網にに包まれて今村が西の空に昇っていった夢を見たことだけを告げた。

生死を脱得すれば便ち去処を知る。四大分離して甚の処に向かってか去る

 ところで、ああやって何度か僕の前に現れた今村はいったい僕になにがして欲しかったのだろうか?僧堂時代に在家の接心会に手伝いに行かされることはしょっちゅうあったけれど、そこで今村に再会していたなんて僕は全く気がつかなかった。そしてそのとき以来、今村が人生に向き合えた礼を取りに来てくれたのだとしたら僧侶としては望外の喜び以外のなにものでもない。魂が本当に死者の亡骸から離れてああやって好きなところに移動できるものなのかどうか僕にはわからない。単に極めてまれにみる偶然の一致とだと言ってしまえば実際そうなのだ。ただ僕は今村が礼を言いに来てくれたのだと信じることにした。仏さまの代理、今村ったら上手いことを言うじゃないか。

 今村は僕を励ましてくれたのだ。仏さまの代理だから知っている女だと分かれば男という動物に戻ってしまうだって?実に言い当て妙な台詞だ。仏のそのさき。お釈迦さまだって、達磨だって、臨済だって仏のその先に向かっていつも修行中だ。それなのに僕と来たら男にもどるようじゃまだまだ代理なのだ。どうやって代理を脱するか?3年僧堂に居て一つや二つ公案(全身でそれになりきって見解を呈さなければならない禅修行の課題)を通ったからって言ったって仏の代理にすぎない。遺影の黒い縁取りの中でまるで宝塚の女優のように微笑む今村が教えてくれたのだった。

 禅語に「生死(しょうじ)を脱得すれば便(すなわ)ち去処(こしょ)を知る。四大分離して甚(なん)の処に向かってか去る。( 生死を脱するとことが出来たら行き場所が分かる。死んだらどこいくのか。)」というのがある。この語にに対する卓州老師(1760 ~ 1833 ・臨済宗中興の祖と言われる白隠の法流が臨済禅を席巻する基礎を築いた白隠の孫弟子)の「十字街頭の破草履」という語が晴れやかに親しく自分の心境に等しくなった。