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七夕だよー

七夕の起源を脚色してみる

 中国の長江周辺では7000年~5000年前に稲作文化を基本とした蚩尤(しゆう)王朝と伝えられる大規模な都市文化が栄えていたという伝説があります。蚩尤は九黎族の首領で稲作文化の証拠が多数発見された良渚がその根拠地ではないかとされているのですが、最近もその周辺から多数のの遺跡が発見されています。

中国には古代稲作文化が存在した

 中国の古代伝説には黄帝と炎帝の連合軍が異民族の蚩尤(しゆう)王朝を滅ぼして中国を統一したという話が残っていますがそれはその地理的条件と滅亡の次期が一致するからなのでした。そして天の川を隔てた織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が年に一度の再会を許される日とされた七夕の寓話は古代中国に稲作文化とその国家が存在していたことを示唆しています。牽牛は稲作農民を織姫は機織が得意な農民の妻を象徴していると考えられるからです。

釈迦族また稲作文化で絹を好んだ

 そして黄帝の妻は絹を大変好んだという言い伝えがありますが、黄帝は蚩尤を滅ぼしたあと機織が得意な農婦を北に連れ去ったのではないでしょうか。そして南に遺された夫は同じく長江南でやや西の城頭山に移り住んだのでした。もちろん破れたすべての人たちが中国に残ったわけではありません。一部の人たちは遠くヒマラヤを越え今のネパールの方に移り住んだのでした。そこで再び夫たちの農作業と妻たちの機織りを中心とする稲作文化は栄え有名なカーシーのシルクを生むのです。やがて彼らは釈迦族という北インドでは希な穏やかな都市国家を形成し遂にはゴータマ・シッタルダ王子が出て仏教が興ります。

 一方北へ連れ去られた妻たちは南に残された夫たちを思い、夫たちはといえば辛い仕事に耐え北の空を眺めながら妻のことを思ったのでした。近年その城頭山遺跡から大量のカジの木の種が発見されたのですが、これはその葉が七夕のときの短冊として使われたといわれています。まさしく天の川とは長江のことだったのかもしれません。この寓話は美しく正しい夫婦愛のあり方として中国では道徳的にも語り継がれました。

異国の地日本で再び相見え

 その後数百年を経た日本には旧暦の7月15日の夜に戻って来ると言われる祖先の霊に着せる衣服を機織して棚に置いておく習慣が生まれ、棚に機で織った衣服を備えることから「棚機」という言葉が生まれました。その後仏教が伝来すると、7月15日は仏教上の行事「盂蘭盆(盆)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって7月7日に繰り上げられました。それを記念して 734 年に聖武天皇が宮中で七夕の詩を作らせました。聖武天皇が蚩尤の悲劇を知っていたはずは無いのですが、聖武天皇の手によって七夕と仏教は一つになるのでした。

 七夕も仏教も同じ民族によって同じ無常観から出発していて、それが何千年も経た後に異国の地日本で統合されたと考えると、星空の雄大さと相まってなんかワクワクしませんか?今日のお話は必ずしもすべてが事実であるとは言い切れませんがこう考えると楽しい気持ちになれるくまなのでした。