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朝日新聞編集部の方に聞いてみました

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朝日には何も見えていないのかも

 わたしは自分のサイトで過去何回かずいぶん朝日が無責任に左寄りであるとか、戦前の戦争宣揚報道に対する反省がな無いとこき下ろしてきました。そしてその報道の偏り方、何かニュースがあれば朝日の論旨を展開するために必要な事項を全体像の中から捨象してピックアップし、それをベースに自説を展開するという朝日新聞の特徴ではあるのですが 7月22日の愛・蔵太さんのはてなダイアリーを見てどうも朝日は論旨を展開した後いったいどういう議論を建設していきたいのか朝日新聞自身も見えていないのでは無いかと思いました。

 朝日の得意なパターンとして事実と違うことをでっち上げて批判するというのがあります。くわしい検証は愛・蔵太さんのはてなダイアリーがかなり客観的に詳しく検証されているのでそちらに譲りますが、クオリティーペーパーと自称する朝日が何故そんなことをしなければならないのでしょうか?朝日新聞には品質を追求する(この場合は記事)という自負があると同時にそれ以上に売れる新聞を創るという大きな力が一貫して働いているように見えます。商業新聞ですからそれはそれでよいのですが朝日は品質よりもそちらの方が大きく働いているように見える。昔から読売は景品を読をの拡大に使ってきたようなところがありますが、朝日は想定済みの読者層に支持される記事を提供して(朝日の言葉を借りればクオリティーで)読者を拡大しようという傾向があります。昭和の初期は不況や農業の凶作の上に更に国際連盟と米国の圧力や中国の反日運動の盛り上がりという社会状況の中で日本国民には非常な閉塞感があった。だからこそ日華事変真珠湾攻撃は日本国民にとっておおいなるカタルシスだったわけですが更に朝日はそれを煽ったわけです。

 朝日はよく当時は軍部の統制が厳しかったから公正な報道が出来なかったようなことを主張しますが軍部の統制が厳しくなったのはミッドウェイ海戦以降負け戦が続いてからの後の話で初めのうちは軍部より朝日をはじめとする新聞の方が戦争熱が高かった。満州国建設のプロセスでも朝日新聞の果たした役割は大きかったと言われています。それが一転して敗戦。軍国主義が悪者にされると朝日は180度転換して、左寄り論調に変わり、軍国主義者をやり玉に挙げ、毛沢東文化大革命金日成主体思想を絶賛したのは記憶に新しいですね。それでもいわゆる東側社会が崩壊するまでは左寄りの論調でも良かった。左寄りの人の方が進歩的と言われたしそれで新聞も売れました。ところがその後東ヨーロッパ陣営が崩壊しマルクス主義がシステムとして人類を解放できない現実が突きつけられると朝日の部数は減りだします。

左寄り論調で何を建設したいのか?

 それでも朝日は躍起になって左寄り論調を続けています。まるで報道すると言うことより世論を形成しようとしているようです。たとえば愛・蔵太さんのテキストのように事実でないことをでっち上げて政府を批判するというのはもう報道を通り越したペンによる破壊活動です。取り憑かれたようにこそんなことを繰り返している。そこに何か戦争宣揚をしておきながらも読者に謝罪すらしなかったトラウマが幽霊のように朝日を支配しているように見えるのです。もっとも信頼できる新聞として新聞界のリーダーであった自負もアンケート調査では日経に逆転され、部数も激変。更に同調し絶賛してきた人民中国や北朝鮮が日本にとって何ら有益でないばかりでなくむしろ敵対している現状。そして他のマスコミや国民の冷たい視線。まさかの戦後憲法下で戦地へ軍隊を派遣する政府を支持してしまう国民。それらが大きなうねりのように怪物となって朝日に襲いかかっているのかも知れません。

 朝日にとってその怪物は現実より遙かに大きな幽霊となりその幽霊の恐怖におののきながら集団ヒステリーを起して迷走しているのでしょう。実際に個々の記者や編集者にはこの現実をちゃんと認識している方もいます。わたしも何人か知り合いがいますがどうしてこの人たちが集まるとあんな新聞になってしまうのか不思議なほど。朝日はこの幽霊の呪縛から脱し目を覚ますのでしょうか。これらの事柄についてあるパーティーで朝日新聞編集部の方と色々お話する機会があったので最近疑問に思っていることとわたしの分析をどう思われるかお話を伺ってみました。ただしあくまでも個人的な見解で朝日新聞編集部の公式な見解ではないですが、内部で出稿に関わっている方のお話は興味深いものです。

朝日にはやっぱり亡霊がでる

 わたしの朝日についての印象はおおむね彼も同感なのだそうです。特に「世論操作をしようなんていう意図は編集部には全くなく、どうしたら部数が伸びるか?再び信頼出来る新聞へと返り咲くかということに必死であって、今やっていることの効果が世論としてどう形成されていくかなんて全く見えていない」とのことでした。愛・蔵太さんのブログのことも話題になりましたが、「あそこまで検証されても、そこまでなんかとても考えずに記事を作っているのだから困るんだよなぁ」と苦笑いしていました。それと社内の世代のギャップもかなり大きいらしく「戦争宣揚をしておきながらも読者に謝罪すらしなかったトラウマが幽霊のように朝日を支配している」というのはその時代を体験した高齢の編集員や記者の方に見受けられることで、それは編集会議で幽霊のようにもこもこと頭をもたげてくるのだそうです。

国民感情としての反戦と論理のうえでの戦争

 彼は憲法九条が非常に歪な形で自衛隊と日本の軍事戦略を規定していることは良く認識していました。ここからは意見の一致を見たところでもあるのですが、憲法九条があるが故に自衛隊が軍隊として正常に機能し得ない。良い悪いは別とすると憲法を変えずに対米外交上軍事力としての自衛隊を機能させるためには政府は歪んだ方法を使わざるを得ない。たとえば現実的に北朝鮮などに対しては自衛隊はちゃんと軍隊として機能するんだぞと言う具体的な意思表示は必要なわけですが、それを現行法内だけで処理しようとすると今回のように対米外交と絡み合わせてイラクへ派遣するという方法をとるしかありません。憲法九条が「軍事力の行使」を放棄していなければ、わざわざイラクへ派遣しなくとも北朝鮮に対して脅威、もしくは牽制となるような展開の仕方があるわけです。特殊部隊や情報組織も含めた軍が「国防力」として正常に合法的に機能していれば拉致事件などということは金正日ももっと起こしにくかったと思います。政府がやっていることはある面現行法内でなんとか辻褄を合わせて「国防力」を機能させようと言うことなのですが、アメリカやフランスは軍が合法的に活動できる国家であるからこそ、単純な国民感情というか市民レベル(ここで言うのはプロ市民とは違います)で堂々と「戦争はイヤだよ」と訴えることもできる。ところが日本の場合、今の国際政治力学や軍事に対してのリテラシーの高い人たちはメディアやジャーナリストも含めて「東京裁判史観」から脱皮をとげ、とりあえず自分が兵士として戦場に赴くというよなことよりも、政治力学や軍事バランスなど論理の上で北朝鮮や中国との関係を考慮しつつ憲法の改正も視野に入れた立場で自衛隊のあり方を真摯に考えて発言していて、故に「国民感情」や「市民レベル」で戦争が嫌だというと「公」と「私」の論理をきちんと理解出来ない奴だとか何でも反対の左翼的なヤシだと批判されてしまう風潮があります。

 戦争というのは相手があることだからどうしてもやらなければいけないと政府は決断しなければならないときがあると思う。普段ただ「国民感情」や「市民レベル」で反対している人たちだって自分の国土が戦場になればこれは銃を取らなければならないと思うようになる。それはそれとして、たとえば現在の憲法九条下で対米外交への配慮での軍事力の派遣と言うことになれば今の状況下で論理的には理解できても自分も含めて家族や恋人が兵士として戦場に赴くのは誰だって「イヤ」と思うでしょう。その感情には右翼も左翼もありません。ところがそういう感情だけでものを言うと「公」と「私」の論理が理解出来ない「バカ」な奴でそういう奴が多数を占めたから今の日本はダメになったような「低レベル」な主張として退けられてしまう。朝日はそこをそれは「低レベル」な主張じゃないんだよ!と第二次世界大戦当時の体制や今のイラクの状況などを多少歪曲してオーバーな表現をとることしても敢えて「戦争はイヤだよ」と言うことを、これも新聞自身が作り上げたイメージである「権力を監視する公器」のひとつのメディアの主張として記事にしているのです。それがある意味論理で戦争を考える風潮と現実化したときの指導部の集団無責任体制の暴走への歯止めになるのではないかいうことで「権力を監視する公器」としての役割を果たしつつ「国民感情」や「市民レベル」に訴えて部数を確保するという商業新聞としての営業努力と重ね合わせているのだと思いました。企業を維持していくための販売部数は当然各新聞社によって違います。その制約の中でどういう風に記事を創りメディアとしてのリテラシーを守っていくかというのは両立しにくいことです。

公器の前に商業新聞

 朝日の場合、朝刊 826万9377部(日本ABC協会の2003年5月の販売部数データ) というのを維持して行かなくてはなりません。読売の 1006万9100部 には及ばないですが他の新聞に比べればたとえば毎日、日経の約2倍、産経にいたっては約4倍の発行部数であり、その中で朝日を含めた各社とも産経の前年同月比5万部増を除けば読売の11万部減を筆頭に数万部の減少の傾向にあります。読売が比較的自民党寄りの記事を売り物して読者を掴んでいる以上朝日が記事で冒険は出来ず、今まで通り左寄りの読者の「情感」に訴えた紙面作りをして行かざるを得ない現状が浮き彫りにされていると思います。それにしても朝日新聞を批判すると言うことはそのまま「国民感情」や「市民レベル」の「情感」でものを考える層に対する批判・警告でもあるわけですね。ネットでの無料ニュース配信が新聞全体の部数を減らしていく傾向は今後も加速するでしょうが、そのなかで各新聞社がどういう生き残り策を打って出てくるか興味深いものがあります。

じゃあ、聖教新聞は?

 最後に聖教新聞の OEM 印刷がどれくらいの部数があって売り上げのどれくらいを占めるのかと言うことについては編集部レベルには全く知らされないとのことでした。朝日では聖教新聞については別会社にしているとのこと。彼自身も創価学会公明党については特に記事にすることで(社内で)言論統制を感じたことはないと言っていました。むしろ創価学会公明党が少数派であるにもかかわらず政権のキャスティングボードを握っていることは好ましいことではなく、それを批判、警告する記事は書かなければならないだろうとも・・・。もう一つお互いに一致したことなのですがカルトだった創価学会にも長い歴史の中で人格者が出て来てしまったことは困ったことだなぁと。なにしろ池田の意のままに動く人格者。そういう方から問題点をえぐり出して批判し、創価学会と切り離して論じていくのは難しいことです。というわけで今日は終わり。彼の素生を明らかにするようなことはわたしはしません。慈恵医大絡みの裏切り者の「朝日」の記者とは違いますから(笑)


*このテキストは旧「くまりんが見てた!」の 2004年7月23日『朝日には何も見えていないのかも』と 同 8月7日『朝日新聞編集部の方に聞いてみました』をまとめたものです。