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時間軸を無視した空間的断面

歴史散策 Blog 仏教

日本人という意識へのコメント雑考

f:id:lovelovebear:20080106145729g:image拙稿 日本人という意識 がなにやらにぎわっているガウ。つい先ほどまでいろいろと思い巡らしながら 女性の「渇愛の性」と「性戦略」--仏教における女性差別雑考 を書いていたので今度は「国民意識」ということに頭を切り換えるのは少しインターバルを要するかとも思ったものの、このところ頭の中は「国家神道」なるとどのつまりは現象の背後には真理があってすべてはその真理に帰納するがごときの、神道とは名ばかりの「大乗起信論」にその源を認められる「本覚思想」なり、その日本的発展形態である「天台本覚思想」の網の目の結び目の一点一点がどうしてこんなにも日本人を骨の髄まで侵してしまったのかを考えていて「即非」だの「場所」だの「梵我一如」やら「全同にして全別」だのと一足飛びに「宗教体験」としての「真理」なるものが、実は「言語を絶する」などという思考をするふりをして「分かる奴にしか分からん。」などと権威主義的に嘯くことは、時間軸に出来うる限りとどまって明快な「言葉」で論理的に思考することを放棄した「無思考」なのであって、それこそ楽賃な思想であり、その楽珍さと神秘的魅力と権威がいとも簡単に日本人を虜にしたのかなどと考えていたものだから。釈尊の時代にはその教団が成立すると直ぐに釈尊と同じ境涯と釈尊が保証した「阿羅漢」が61人もいたのだし。その延長上で「仏教における女性差別」の問題にも触れてしまったので、そのまま違和感なく「国民意識」というテーマにも滑り込んでいくことが出来ていまこうして書いています。我が日本の仏教者でその「本覚思想」を一番忌み嫌い批判したのは言うまでもなく曹洞宗の開祖道元禅師であるが、実を言うならくまとしては我が白隠禅師も臨済禅的大悟徹底の後に「法華経」への誤解が氷解して「本覚思想」の誤りに気づき、それを徹底的に退けていくために一度は「見性」という時間軸から一足飛びに飛び出す初関を「方便」として位置づけて公案体系を再構築し、再び時間軸に戻ってくる「洞上五位・十重禁戒・末期の牢関」を重視したのではないかという白隠禅の再考証のフレームワークを考えてはいるのですが、「起信論」の否定と方便としての「見性」などという論理に済門のだれが協力などしてくれようかという思いもあり、逆に山岡鉄舟のごとき「本来無一物の者にどうして戒など授けるのか」というような傲慢な発言をエピソードなどと称して嬉々として語る僧侶が跋扈するような宗門にはこちらとしても反吐が出るが、ただ、芥川賞作家でもある玄侑宗久師がどこかで「見性」は心の拡大に過ぎないと思うという旨を書かれており、それどころか元仏通寺派管長の対本宗訓老師も同様のことを「禅僧が医師をめざす理由(春秋社)」か「坐禅〈いま・ここ・自分〉を生きる」のどちらかで書かれていたように思い心強かったりするわけで、ようやくそうした研究の端緒についたばかりなのではあるのですが、その下地となる周辺をラフなスケッチ程度でもなぞっておくことは自分にも有意義であると思うのです。

f:id:lovelovebear:20080106145728g:image「見性」した「見性」したと喜んで、公案解きが楽しくて仕方がなかった時分に始めて袴谷憲昭博士の「本覚思想批判」や「批判仏教」を手にしたときはずいぶんと反発を覚えたものだが、一回りして、道元禅師や日蓮聖人の教えに触れて、再び手にしたここ数年、いまやくまは袴谷憲昭博士に恋をしているのかと思えるほど思想的に傾倒していることを告白しておく。そういうわけで 日本人という意識 についたコメントへのお答えとしてはずいぶん回り道をしたとは思うのですが今のくまの心情の吐露ということでお許し頂きたい。

日蓮上人はあの時代において新しい日本像を示したお方だと思います。 ただ、日本人意識の変化は、元寇以前より徐々に起こりつつあったと思っています。 日蓮上人にしても、元寇の後に辻説法をはじめたのではないと思います。comment by 隅田清次郎 2004年9月5日 @ 3:45 pm

f:id:lovelovebear:20080106145724g:imageこれはその通りだと思います。日蓮聖人の仏教がその後広く受け入れられたと言うことは、その受け入れた層である下級武士や農民とその時代が要求するものに日蓮聖人が応えたとも言えるのです。勿論それ以前からも「現代」の「日本人という意識」に連なるものはあったはずです。たとえば天皇家は当初、ヒンドゥー文化圏における農民に対するバラモンの役割を担っています。どういう事かと言うと、稲作や農業に関する祭事や儀礼を農民に代わって執り行うのです。これによりルソー的論法で言えば近代国家でなければ生まれない筈の「御門」と「民」の無意識的な契約関係が実際は生まれるのです。さらに竹取物語にも出て来るようにかぐや姫を月から迎えに来る宇宙人の撃退を農夫であるおじいさんは「御門」に要請し軍隊を派遣してもらいます。これなどはこの当時ですら「御門」と「民」のあいだに契約意識があったことが推測されるテキストでしょうし、江戸時代に庶民に盛んに行われた「お伊勢参り」などは「民」にとってはレジャーであると同時に「御門」への忠誠を表明する意識の吐露でもあったと言えるでしょう。さらに日本語の口語の普及もありました。おなじ「言葉」を話すことから共通の文化習慣が生まれます。当初朝鮮半島的な朝廷の衣服や装飾はやがて日本の「民」のセンスも取り入れられ、いわゆる「和」のものとして歩み出します。こういうなかで農業だけでなく日本独自の産業も育成されやがて江戸時代にはなにも意識することなくお米は陶器の茶碗で、汁は木の椀で食べることが当たり前になってきます。ちょっとラフな言い方ですがこれが日本人ならだれでも当たり前に持つ文化というものな訳です。それは網の結び目の一つを持ち上げるとその一番近い近辺から持ち上がっていくように、時間の経過のなかで少しずつ広がり、定着していきます。ですから「国民意識」とは近代国家の成立とともに突然生まれるようなものではなく、それが封建時代であれ、ギルド時代であれ、共通の文化を時間的経過とともに育み、さらに外国との交渉においてより強くなる民族意識の上に、近代国家として意識される諸々の事柄ともに形成される意識であると言っても良いと思います。

f:id:lovelovebear:20080106145834g:imageつまり おみくじ氏 の言われる「国民意識」とは時間を止めてその客観的部分・客体を分解説明する18世紀のフランス的な論法で、科学的理論が事実によって確証されるるべき要請をみたす条件は「反証に耐えうる」かということであって予測と結果が一致しない論理は「反証に絶えた」とは言えないとしたポパーの言葉を借りるまでもなく、時間軸を無視して空間的断面からその一面の真理を述べているので「予測と一致しない結果」も含む、すなわち総てが「確証」された論理ではないと言えると思います。というわけで 次ぎにおみくじ氏の批判に答える筈が前段でラフではあるものの少し「反証にたえうるか」を実験してみたのでした。ただ順序は前後してしまうのですが「国民意識」について前段で述べたことはおみくじ氏に対する直接的反論というわけではなく、隅田清次郎氏にくまの考える「国民意識」というものをおみくじ氏の論理が「反証に絶えうるか」という思考の実験を通して説明したに過ぎません。なぜなら 日本人という意識 のなかでは近代における「国民意識」を語っていないのはその三段目で述べているとおりで、『「日本人という意識」が形成された点について、仏教の変遷の観点から』くまの考えをラフに述べているに過ぎず、「今で言う日本人意識とは全く別物(おみくじ氏)」ということなどテキスト中では問題にすらしていないのです。というよりはテキストの持つ時間軸が最新でも明治維新で切断されているのですね。大変失礼ながらおみくじ氏にはもう少し他人のテキストをきちんと読んで戴きたいと思います。そこへ持ってきて借りてきたようなルソーの社会契約論のような論理を大上段に振りかざされてもなんてお答えしたらと、とまどってしまったものですから、隅田清次郎氏との対話というかたちで反証を試みさせていただいた非礼をお許し下さい。

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

隅田清次郎隅田清次郎 2004/9/12 22:42

コメントありがとう御座います。

時間軸に対する感覚は、センスと呼びたくなるくらい、個人差があります。

説明して理解していただける相手とは思えないので

私も正面切っての反論は無意味かと、あの様な形にしました

kumarinkumarin 2004/9/16 9:25

どうもです。

批判はある意味大歓迎です。批判して下さった方の論理で自分の主張に反証を試みて、それで反証が出来なければ今度はその批判の反証を試みる。そうすることで自分の思考の評価が出来ると思っています。それはそうなのですが今回のように的はずれの論理を大上段に振りかざされるとねぇ。それでこちらで的をそこにあわせて反証してみるとこれまた議論に耐えない論理なわけで、そろそろ一週間になるのですが何の音沙汰もないってのは議論する資格もない方ってことになっちゃいますよね。無責任もいいところだと思うのですが、荒らしのほうが無視していられるだけマシってことになってしまう。まぁ、仕方がないかって思いますけど。