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再び朝鮮併合問題 - 震空館での速水氏の批判に応える -

僕のアイルランド問題への意識の欠如について

 ブログの持つ特性から多層性ということを話題にしてきて訳だが、そんな視点から自分のテキストを眺めてみようと思いリンク元をたどって見ていたら 三省堂教科書問題の論争雑考・朝鮮語禁止問題を考える に対しての批判的記事を見つけた。

それが日本政府が朝鮮語を禁止したのはねつ造だというような所謂自由主義史観に基づくようなものでもないし、かといって僕のテキストが朝鮮半島での日本の振る舞いの酷さを積極的に認めていないとかいうような左翼の立場、つまり良くあるステレオタイプの批判でなく、明治期から昭和にかけての日本の近代的自我の形成について欧州から近代とポスト近代の時間的に前後する思想を同時に受け入れたという問題について、単にそればかりでなくそこには欧州の宗教改革にも根ざす問題への示唆を含むものであるが故に取り上げて見なければならないと思った。

 なるほどその速水氏の批判は厖大な自我体系はヘーゲルによって構築されそれがポスト近代の哲学としてカソリックの国フランスを大きく巻き込む形で花開くわけではあるが、日本はその近代化の範の多くをプロテスタント原理主義勢力を多く含むイギリスに取ったということも示唆しているとも思わせるもので、僕の書き方、あるいは考え方は欧州を一括りにして「欧州はアジアに対する植民地統治は日本の様に文化まで破壊、従属されるものではなかったが故に日本ほど恨まれていない」というような安直な通俗的な解釈が無意識のうちに入り込んでいたことを認めざるを得ない。ここに速水氏に深く謝意を表するとともに、考え方を改めて行かなければならないと思った。少し長くなるが速水氏のテキストの該当部分を下に引用する。

「くまりんが見てた!」様の3月1日分記事で「三省堂教科書問題の論争雑考・朝鮮語禁止問題を考える」というものがあった。論旨は解る様な気がしつつも朝鮮半島はいわゆる帝国主義の植民地ではないとする主張もあるが江戸時代には明らかに独自の行政下にあり、違う文化を育んだ地域(たとえ近代的国家としての体を為していなかったにせよ)を日本の近代化とともに対ロシア政策の都合で併合したのは事実である。後の台湾や満州を含めて万世一系の天皇を頂点とする道徳を強要し日本語の普及を半ば強制的に推し進めようとしたことは、ラオスカンボジアベトナムでのフランス、インドでの英国、フィリピンでのスペインなどと比較しても明らかに異質であり、他文化無視の選民思想に近いモノを感じざるを得ない。という記述に激しく違和感を感じた。歴史に疎い儂はイギリス近代史を僅かに齧っただけだが、それ故にこの「インドでの英国」という例示があった為に、本文全体に否定的な感想を持ってしまったのだ。日本の朝鮮併合は「我々がアイルランドでやったのと同じことをしただけだ」という台詞どおり、日本の朝鮮併合を英国の侵略政策に準えるならば、インドではなくアイルランドで見るべきだ。先月の竜の人の愉快台詞にあったように、インド併合は、インド皇帝をイギリス国王が兼ねるので、インドは厳密には属国となったと解するべきであり、王国を撃破し完全併呑し、アイルランド王章の一角獣を奪取してブリテン王章の獅子とともに連合王国王冠を担がせ、ゲール語の地位を貶めた(現在の第一公用語ゲール語だが、第2公用語に英語が残っている)アイルランドとはモノが違う。無学の身としては英国以外の事例の詳細を知らないので、例示されたもののうち、英国の例だけが不適切だったのかもしれないが。

 なお、英国史を齧った者の意見としては、朝鮮併合は失策だったと考える。英国のアイルランド問題同様に政治的に難易度の高い問題を抱えてしまった訳だからだ。クロムウェルが大陸侵略の事前準備にと目の上の小国を食ってしまったことによって引き起こされたアイルランド問題は、当時でも異文化武力併合の問題を学べたハズだ、台湾ーフィルピンと南下政策を取ってインド洋回りの水道を押さえると同時に北海道?対馬の要塞化および裏日本の鎮守府都市の重視ノノ田中角栄の列島改造以前に日本海側?太平洋側の打通を行うべきだったとエピメテウスの妄言を言いたくなる。朝鮮は中国簒奪戦に参加願いを出していたアメリカに対ソ強調の足掛かりとして、或いは対ソ警戒の同志でありながら新日英同盟締結に失敗した英国に新同盟締結の足掛かりとして信託統治してもらえば良かったのではないかな、と思う。あくまでも後知恵なので妄言に過ぎないが。震空館 速水の日記 3月1日より

 氏の僕のテキストにたいする読み込みと解釈は文脈への誤解も含んでいるとは思える。氏の主張を受け入れて考えても僕の言うところの「日本の朝鮮統治」と「欧州のアジア」へのそれの違和感は「インドでの英国」であるから文脈的に成り立つのであって「アイルランドでの英国」では「日本の朝鮮統治」と同質性こそ認められ違和感としては成立しないからである。しかし僕のテキストには「アイルランドでの英国」と「朝鮮での日本」の振る舞いの同質性を「万世一系の天皇」の子である日本優位の「選民思想」と推測ではあるがプロテスタンティズム原理主義による「選民思想」という基層そのものの違いはあるにせよ他者に対する傲慢で尊厳な態度で振る舞う「選民思想」が根拠にあるという視点が欠け、イギリスを含めた欧州が「近代的個」を確立していて、日本に比べれば他者を尊重しているとの誤解を免れない極めて楽観的なテキストであることは間違いないのである。それ故そのイギリスへの楽観的な書き方が速水氏をして『激しく違和感を感じ』せしめた要因なのではないかと反省する次第である。宗教を軸とする日本思想は僕の専門分野であり意識せずとも比較的詳しく述べることになるし説得力を持つ少しばかりの自信はあるものの、その周辺からすこし離れてしまうとこの体たらくでその無意識がテキストの説得力を大きく欠いてしまうことを痛切に教えられた。改めて速水氏に感謝の意を表したい。

 さて当然ではあるのだが英国のアイルランドでの振る舞いがプロテスタンティズム選民思想をその根拠にしているというのはあくまでも速水氏の批判に応えるための作業仮説的な表現に他ならない。実際の問題としてはインド統治であれ、アイルランド問題であれ産業革命以前の封建的体制から始まり、産業革命を経て資本主義視点からも継続され、インドは独立という形でその統治を終了したもののアイルランドについては現行の民主主義国家イギリス連邦においても解決去れ得ない複雑な問題を孕んでおりより多面的な考察を時代の変遷とともに検討されなければならないのは言わずもがなである。ただここではイギリスが他者や他文化を尊重するだけの近代的個を確立しえていなかったのではないかという視点からプロテスタンティズムの現代も抱える問題点と絡めてそ仮説的に述べたに過ぎないことをお断りさせて戴きたい。逆に日本の選民思想が「万世一系の天皇」の子だからであるということについては「万世一系の天皇」を頂点に戴く倫理観がすべての思想と宗教をその下に配置し、民が絶対者である天皇にすべてを投げ出すことによって全体主義の中に個を埋没させてしまうそのバーターとして「万世一系の天皇」の子であるが故に「選ばれた民」であるという日本的「個」の確立に至ったというのは作業仮説でもなんでもなく思想史からも見てとれる僕の主張である。ただ今回は実際明治期から大正、昭和にかけての宗教、哲学思想はその殆どが「万世一系の天皇」を頂点に戴き、その全体主義の中へ収斂されていき戦争へのなんらの抑止力にならないばかりかその片棒を担いでしまったことを指摘するに留めたい。