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和の思想のオリジナル 新羅の元暁大師

天武時代に大いに発揚された朝鮮思想

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 鮎川さんに朝鮮華厳哲学の「和」の思想について「目を見張る驚き」と褒められたのだか本当に驚かれたのだか気がかりなんだけども前にもこのブログのどこかに「和諍」の思想の元暁(617 - 688)について書いたつもりでいたら実はどこにもちゃんと書いていなかった。勿論、鮎川さんの言われるように「和」は論語からというのも否定できるものではないと思う。現に和辻哲郎博士は「和」の思想を人倫的合一を目指したものであると理解しその淵源を論語に求め、儒教の政治理念であるとしている。しかし聖徳太子の摂政時代に我が国の主な文化の輸入元は随であり、その随は老荘の本跡説を仏教の核心に据えた僧肇(384? - 414)の思想を高く評価して三論教学を大成した吉蔵(549-623)の全盛時代であった。そしてその直系もしくは系列の高句麗僧・慧慈、慧灌らは来朝して日本三論宗の形成に積極的に関与したのは見えやすい道理だと思われるし、7世紀以降の朝廷が仏教を積極的に国家的宗教として取り入れ、平井俊榮博士の研究成果を踏まえ日本三論宗が国家仏教と深く関わり指導的役割を果たした点について考慮するならば十七条憲法の論拠を儒教にのみ求めることは古代から中世への思想形成を無視することになろう。

 「和を以て貴しと為す」のフレーズは元暁の和諍経に見られる。元暁は、幼名を誓幢と称し、俗姓は薜氏。無碍自由な行跡を歩み、わが国においては元暁上人として仏教界に知られている。新羅では国師号も賜り朝鮮半島では和諍国師と呼ばれる高僧。若き日の元暁は仏法を学びに唐へ渡り、吉蔵門下で三論、華厳を学び新羅に帰国、華厳の事事無碍法界を基礎に仏教、老荘儒教をも一心に帰する「和諍」の思想を説いた。元暁の活動は新羅華厳宗を高揚しその影響は日本ばかりでなく本家中国の華厳宗にも及んだ。 『唐高僧伝』 によれば元暁は、 龍神から授けられた金剛三昧経の注釈(*1)を作り、 経典を講じて新羅の文武王の妃の病気を治したとされ史実としても文武王の尊敬を受けたのである。その法脈は現在でも120余の寺院を擁す大韓仏教華厳宗がある。弥勒を中心にした下世の信仰の朝鮮仏教は、人の気、空の気、地の気が融通無碍の三気一体の思想でありそれはまた半島の土着思想を基層に持つと言えるが元暁はそれらを華厳で体系化したと言えるであろう。「和」の思想とはまさしく朝鮮土着の人空地の三気一体を華厳の融通無碍を媒介とした元暁流の事事無碍法界の現前に他ならない。故に「和を以て貴しと為す」のである。

 大化の改新で政権についた天智天皇中大兄皇子の攻権方針は唐よりであった。当時の唐は高句麗と戦争をして疲弊し、滅んだ随の教訓を持ちながらも高句麗へ進出した。そして大化の改新の二年後には新羅ではクーデターによる政権交替があって成徳女王が立つが、この後盾が金奉秋で彼が実権を握る。親唐派だった金奉秋は大化の改新の時には日本に滞在し改新の一部始終を見て天智政権がどういう政策をとるかを見て新羅に帰り事を起こす。やがて新羅は文武王の時代になると文武王は、668年に北の高句麗を滅亡させ、さらに唐王朝の軍を退け、朝鮮半島を始めて統一した。ところが日本も壬申の乱によって天智政権が倒され天武天皇が政権につく。この天武という政権が徹底した新羅よりであった(*2)。遣唐使は中止され日本の文化交流の先は新羅になる。そしてこのあたりから天武の勅命により藤原不比等が中心になって日本書紀の編纂が始まる。不比等が書紀の編纂にあたって新羅の思想に大いに影響を受けたことは想像に難くない。十七条憲法も三経義疏もこれ以降の成立だと考えるならば歴史学のみならず思想史的にもこれらの著者が聖徳太子であることの疑問や矛盾が一挙に氷解し中国、朝鮮、日本の思想の発展と互いの影響(と言っても日本が影響を与えたのはクーデターの進め方であって思想的に当時の中国や朝鮮からは見るべきものは有りやしないが)のある時は面で、ある時は線での時間的経緯が論理的に説明がつくものとなるのである。

 

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

 

 

 

鮎川龍人鮎川龍人 2005/4/3 18:59

くまりんさま、こんにちは!

スゴイ学者がいたんですねー。

>仏教、老荘儒教をも一心に帰する「和諍」の思想を説いた。

で納得です。確かに聖徳太子に由来するとされている

事物のオリジンとしてぴったりです。

>龍神から授けられた金剛三昧経

は名前から密教系?と感じましたが、偽経説もあるし

面白そうな経典ですね。

調べるとしたら最初は大正大蔵経でしょうか?

年代的には、修験道陰陽道とも関係がありそうですね。

 

わくわく!!

 

ではでは、また修行にまいります。

 

 

 

kumarinkumarin 2005/4/5 7:39

鮎川さま

おはようございます。大正大蔵経9の 273 です。元暁が『金剛三昧経論』で始めてこの経について言及しました。水野弘元博士の「菩提達摩の二入四行説と金剛三昧経」(『印仏研究』六、昭和30年)によって、唐代初期の偽経であろうとされましたが最近古いチベット訳が存在することがわかり注目されています。

 

「入実際品第五」の理入と行入の説は、菩提達摩の「二入四行論」の根拠とされてきましたが、ご指摘の密教についても如来蔵説は禅にも密教にも通底する仏教のヒンドゥー化で、黒田俊雄氏の示した「顕密体制」が中国初期禅宗にも見られることを示しています。ではでは。

 

 

*1:『金剛三昧経』は大正大蔵経9の 273、元暁が『金剛三昧経論』で始めてこの経について言及した。水野弘元博士の「菩提達摩の二入四行説と金剛三昧経」(『印仏研究』六、昭和30年)によって、唐代初期の偽経であろうとされたが最近古いチベット訳が存在することがわかり注目されている。「入実際品第五」の理入と行入の説は、菩提達摩の「二入四行論」の根拠とされてきたが、密教についても如来蔵説は禅にも密教にも通底する仏教のヒンドゥー化で、黒田俊雄氏の示した「顕密体制」が中国初期禅宗にも見られることを示している。

*2:『段頭からここまでの当時の日本朝廷と朝鮮半島との関わりは 崔无碍氏の『 元暁大師の訣書』を参考にした。朝鮮仏教の研究者であり元暁に心酔されている態度は決して全てを相容れるわけにはいかないが朝鮮仏教を知るうえで示唆に富み興味深いテキストではある。