KumarinX Kaneko Ryogen Jean Michel Kaneko Photography MacOSX
読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朝鮮併合問題と和の思想 - 再び速水氏に応える -

政治経済的視点からの朝鮮併合

 震空館での速水氏の批判に応えるについて速水氏から再度丁寧な補足と問題点の切り分けを戴いた。朝鮮問題はその次々と興る社会的表象に呼応していまや様々なサイトで取り上げられている感があるが、僕と速水氏の議論はそれらのブームになっている議論とは切り口が違う面もあり、速水氏のサイトはブログになっている訳ではなく移動する煩瑣もあると思われるのでここに長くなるが該当部分を引用させて頂くことにした。

 まさしく速水氏の指摘は前回の僕の告白にもあったように『日本に比べれば他者を尊重しているとの誤解を免れない極めて楽観的なテキストであること』におかれ、さらに欧州の帝国主義の『大事の前の小事』型他国併呑の事例を『日本はドイツに学んでおきながらビスマルクの言うように歴史に学べなかったのか』という政治経済的な国家戦略としての失敗に踏み込むことによって、その時代の思想への批判的検討の根拠が僕の提起するものとは『有益性の認知理由が全く異なる』ことを明らかにされいている。政治経済的な視点からは明らかに速水氏の述べられる通りであろう。

 1日付の儂の日記での記述不足なのは、儂がどのように違和感を感じ、どのような反感を感じたか、について。これは、結論に至る過程の問題。前提が違う、といったところ。

 儂は1日付くま氏の記事を日本に比べれば他者を尊重しているとの誤解を免れない極めて楽観的なテキストとして受け止めたが故に、欧州はそんな訳は??アジア各国を尊重などしていないと思うのだがな、と反感を感じたわけだ。尊重していないという立場に立つと「日本の朝鮮統治」が「明らかに異質」という記述を否定することになり、敢えて此処ではその祖父の世代の価値観や思想を批判的に検討することで今日僕たちが抱えている問題の解決の糸口になることもあるのではないだろうかという点には同意しつつも、「異質」という前提ではきちんと検討できるのか、という懐疑的な感想を抱かずにはいられなかったのである。

 この点はくま氏に推察して頂いているのでここまでで止めることも可能だが、それでは全国少数の読者に不親切なので、こちらの思考の過程を。

 儂は単純に「世界史上異質」かどうかで朝鮮侵略が異質かどうかを検討。既述の通り儂はこれを「異質とは言えない」と判断している。「当時の欧州は他民族の文化・国家を尊重していなかった」という立場に立っているので、世界史上から当時の、欧州が征圧している19世紀末から20世紀初頭のアジアだけを切り出してみても、欧州はアジア征服地を尊重していない以上、日本の統治形態に異質性というものが見出せない。

 欧州、少なくともイギリスがアジア征服地を尊重していないと判断する根拠を少し。イギリスは第三次ビルマ戦争により王国を撃破。そして、無神経にもインド帝国に併呑している。この征服過程はなかなか苛烈なものだった模様。征服過程が苛烈なのは「イギリスの戦争だからな」と嘯くにしても、アジア征服地を尊重しているのなら、元が別な国家であり、宗教文化にかなり差異のある両地域を分離して統治するのではないだろうか。また、自治領政府を英国の下部組織ではなく、国家としても対等なパートナーとしての統治組織とするのは第一次大戦後、と世界大戦の大きなうねりを経てからになる。また、ビルマが独立した自治領としてインドから再分離されるのは第二次大戦前夜(一方のインドは一次戦で協力の見返りに独立を示唆されながら、戦後出てきたのが自治領の対等性。こうなると属国であって自治領ではないインドはそのまま。流石はイギリス。インド贔屓にしないで広く果実を分け与えるという形でインドを従属国に残しちまった訳だ)。

 もう一つ。一次大戦前のイギリスは、同時期の女性冒険家メアリ・キングズリが、アフリカの未開部族は英国貴族と対等に酒を酌み交わせる存在だと言ってのけた台詞がジョークとしか受け取られなかった(確かに、メアリの言い草が英国風に過ぎるものだった所為ではあるし、本当にジョークだったかもしれない。が、ジョークとして成立するということはアフリカ原住民蔑視が当然のものとして捉えられていた証左でもある)ことを見ても、他民族蔑視を卒業していたとは思えない。

 戦略目的が「大事の前の小事」(対オランダ戦略過程のアイルランド征服・対ロシア戦略過程の朝鮮征服)ではないのでビルマの例は朝鮮の例とは少々異なるが、他国を文化を無視して併呑という現象は類似と見ることが出来ると考える。よって、儂が日本の朝鮮統治に異質性を見出すには、もっと条件を絞り込む必要がある。

 それは、日本が朝鮮を侵略併呑するほどまでに、キリスト教(とユダヤイスラム)と渡り合える国家思想を編み出したことである。

 ここに至ってようやく、くま氏の、当時の日本人の価値観や思想を批判的に検討する、という作業の必要性に同意できる=「論旨は解る様な気がしつつも」という1日付儂の日記の前置きに至る。

 余談が混じったので、最後に再整理しておこう。

 儂の立場として、「世界史から眺めたときに、日本の朝鮮統治は当時の世界状況に鑑みて、異質とは考えない。しかし、キリスト教(及びユダヤ教イスラム教)以外でキリスト教と同等に侵略を肯定できる思想を独自に組み上げたことは着目すべき異質なものである」となる。簡単に要約すると「行動は異常ではない。しかしその異常ではない行動を行える思想を独自に組み上げたことが異常なので思想検証は有益」となる。

 で、儂の目には、くま氏の1日付の記事は「行動が異常。故にその思想は異常だから思想検証は有益」という流れと映った。現在の我々にフィードバックするために、当時の思想の批判的検討が有益という点では一致するけれど、その有益性の認知理由が全く異なると儂は解釈したので、否定的な感想を持った。

 儂の日記では補足として、「日本の朝鮮統治は当時の世界状況に鑑みて、異質とは考えない」以上、倫理的に是非を問うのは難しい……正義の拠り所を明示した上で、その正義においてどうか、という問い方をしなければならず、そしてその問いかけは「その考えが非主流だったのならば、その考えの方が異常」という反論に封殺される、こう考えて、倫理的善悪ではなく、政治経済的損得で日本の朝鮮侵略は失策だった、と書いた次第。

 整理補足は以上だけど、1つオマケ。

 前回見落としたことだが、この時期の「大事の前の小事」型他国併呑の事例に、アメリカによるハワイ併合がある。最初は現地白人による王朝打倒クーデターにすら無頓着だったのに、対アジア戦略の策源地・橋頭堡として価値を見出した途端、併合したやつである。

 ハワイでは併合前後はともかく、現在は(少なくとも国際的に問題になるような)反米運動は起きていない。征服併呑でも順応して行くケースもあるようだ。日本の琉球王国併呑もこのケースに連なるのかもしれない。

 そう考えると、日本は朝鮮をアイルランド型ではなくハワイ型と見込んで併合してしまったのだろうか。あと5年、アイルランドが独立するまで保護国のままでいたら、併合の難しさに気付けたのだろうか。

 日本はドイツに学んでおきながらビスマルクの言うように歴史に学べなかったのか、と考えたときに、琉球・ハワイケースがあったからアイルランドの歴史に学べなかったという可能性もありうるかな。

[href=:title=速水の日記 3月28日]

「和浄」思想の半島への逆輸出

 速水氏の言われるように『正義の拠り所を明示』ということであれば、あたりまえのことであるが現代の正義を当時に当てはめることは不毛であるし、僕の主張はその現代の正義に依拠して半島の人々に謝罪して言われるままに税金を投入することではない。正義はまた時代とともに脱構築され常にそのアプリオリが批判的に検討されなければならないが、帝国列強の動きと国民を欧米の帝国主義の支配に晒すことから守る義務を持つ政府の選択として当時の日本の戦争は日本が選択しうる限りにおいて正義の戦争だったのである。したがって政治経済的には正義と言う大義を持ちながらも戦争には負けたのであって、その中での選択した戦略が問われなければならないが、半島や大陸への侵略はそのなかに位置づけられるものである。したがって政治経済的視点では仮に正義であったとしつつも、速水氏が指摘されるように『ビスマルクの言うように歴史に学べなかったのか、と考えたときに、琉球・ハワイケースがあったからアイルランドの歴史に学べなかったという可能性』は興味深い意面を示している。琉球・ハワイを考えるならば生活態度、倫理の持ち方にまで干渉する侵略、併合に伴う思想的な考察は為されず、あるいは為されたとしても極めて楽観的なものであったろうからである。その楽観主義は一即一切、事事無碍法界の華厳思想の展開である「和浄」思想にも通ずるからである。

 したがって思想史的な視点から言うならば僕の問題にした「異質」は政治経済的視点からはみ出して機能した日本的選民思想であり、それは工業化や流通、教育などのインフラの日本的整備を含む植民地の人々の生活態度、倫理の持ち方にまで干渉するものであった。逆に欧州のそれは非道と破壊、収奪の限りを尽くしたとはいえ、宗主国への反逆が認められない限り植民地の人々の生活へは無関心であり政治経済的視点の併合の枠には留まっていたのではないかという点である。それは日本におけるアジアの行動においては日本が脱アジア思考で外からアジアを見ようとしつつも人種が近似しており過去には同一の文化基盤を持ったことにも由来するのとではないかと考えられるのである。それは例えばイギリスのアイルランド併合にも言えるのではないか?と同時に欧州のアジア侵略には見られなかった現象ではないかと再びこの議論の原点に戻りその「異質」を敢えて問題にしたい。繰り返しになるが「万世一系の天皇」を頂点に戴く倫理観がすべての思想と宗教をその下に配置し、民が絶対者である天皇にすべてを投げ出すことによって全体主義の中に個を埋没させてしまうそのバーターとして「万世一系の天皇」の子であるが故に「選ばれた民」であるという日本的「個」の確立は「和の思想のオリジナル 新羅の元暁大師」で触れたようにそのオリジンを朝鮮半島に見られる元暁の事事無碍法界を基礎にした仏教、老荘儒教をも一心に帰する「和諍」の思想を基層としている。教育勅語もその基層は「和諍」の思想に他ならない。その思想に脱アジア主義が結びついたものが日本の近代的「個」であったのではないかと思わせるのである。

時間の一断面に固執し妄執するナショナリズム

 最近の日本と半島のナショナリズムのぶつかり合いは長い年月を経て互いにその基層に持つ「和」の思想がいつの間にか他者になってしまったお互いを相互に排除しようとしているようで、ともに「和浄」を基層に持つ思想が現代にまで妖怪のように徘徊していて残念でならない。対米には熱心だった両国は少しの間隣人に対する真摯な姿勢がないがしろにされていたように思う。その間に互いの敵対的なナショナリズムが醸成された。「市民運動は本当に進歩的か」で論じたようにナショナリズムも左翼政党を中心とするような市民運動もその基層はまったく変わらない。ナショナリズムというものも実際は単なる実有、法有の思想で時間軸から飛び出してしまった時間の一断面に固執し妄執する空間的で静止的な世界観である。常に正しい仏教を選択しようとしなかった中国、日本、朝鮮の仏教の歴史は今も後遺症として機能している。勿論これはキリスト教が仏教よりも、西洋が東洋よりも優れているという意味ではない。

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

鮎川龍人鮎川龍人 2005/4/10 6:43

これは効いてます。

なるほど、日本がなまじ半島を同族視してしまった事が

現在の混乱の源かもしれませんね。

「同じ黄色人種、同じ東アジア人、隣人」

こういった思考停止の認識の結果なのですね。

あぁー、ニッポンのムラ社会が嫌いなくせに

気がついていませんでした。

非常にすっきりしました。

ありがとうございました。