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無宗教の持つ宗教性 エントロピーの増大とどう向き合うか

仏教 Blog

エントロピーの空間的理解は無宗教であり実際には土着宗教的である

f:id:lovelovebear:20080106145729g:image圏外からのひとことで『「無宗教」がひとつの宗教であるという観点』を考察している。一見関係がないが木走日記では kazukana さんというかたがこのサイトでも取り上げた大いなる夢の竹の塚事故についてのエントリーを発信元に展開した議論について『いかに拡散したエントロピーを収斂させひとつの意見なり見解なりにまとめていくのかが課題』 ということに触れておられる。この二つの一見関係のないテーマを絡ませたとき僕には強烈な違和感を感じた。結論から言ってしまうと宗教的立場というよりまぁ仏教の立場なのではあるけれど、仏教の立場からはエントロピーは収斂させようとすれば新たな温度差によって新たなエントロピーを元のエントロピーの各所に有機的に作り出し更なるエントロピーの増大を生むことになるからである。

なんでも話し合いで解決し、過去を水に流す、無宗教の日本人というのは、我々が自分で思うほど、にこやかでつきあいやすい相手ではないのだと思う。非常に理解しにくく、しかも反感やギャップを言語化しにくい分だけ扱いにくく、考えるのもうっとおしい人たちに見えているのではないのだろうか。

圏外からのひとこと 「反日」としてのオウムとニートより

f:id:lovelovebear:20080106145728g:imageエントロピーとはある要素の変化がもたらす混乱であり構成要素の元に納まろうとする作用が時間的経過と共に働いて減少されるものではあるがその静止状態は既にもとの状態とはことなり一定の時間を経過した状態である。従って収斂させると言うよりは動的な影響力の行使によって減少するという表現のほうがより相応しいと思われるが、人為的エントロピーを減少させるには意志の働きは極めて正確に元の状態に対する観察力と有機的で時間的な相互影響力の予測を立て、そのうえで意志を働かせなければならないことになる。エントロピーを減少させるには常にダイナミックに動的な観察力と判断、影響力を行使しなければならないが、それはまた極めて仏教的な影響力の行使であり、ある種の固定的な目標のために影響力を行使して収斂させるとすれば目標点がそのエントロピー減少の時間軸上にぶれなく置かれていない限り失敗する。それなまた無宗教的な影響力の行使である。エントロピーの増大と減少は時間でありそこには統一することが出来ない幾つもの原理が有機的に働いていて、無宗教であると自覚している人がよく問題の本質などと名付ける、また仮に無いものと名付けられていようが、目に見えぬ物事の本質でも構わないが思想構造的には原理を統一した基体の上に無数に成り立つ事象によって現れる表象が有機的に影響し合うあたかも時間的には可逆性すらもつ表象の構成する有機的空間ではないからだ。

f:id:lovelovebear:20080106145726g:image例えば今自分が作業している自腹で購入したコンピュータを自分のものではないと断言出来る人は常にダイナミックに動的に観察力と判断力を変化する事象に合わせて自らも変化しながら働かせているひとであり極めて仏教的だが、このコンピュータは自分のものであると思っているひとは原理を統一した基体の上に無数に成り立つ事象によって現れる表象が有機的に影響し合う空間的な世界観を持つ無宗教なひとだと言うことが出来る。実生活で物事に固執してはまりやすい、あるいは何かに夢中になるというのはある面悪いことではないが、反対の側面を見れば自説を通すために論争を好み他者を排除し、他人の意見を聞かずということになる。仏教研究の立場から見れば前者と後者は同じ空間的世界観を持ちまさしく無宗教であるが、無宗教だと自覚するひとから見ると前者が無宗教で普通のひとであるのに対して後者こそ宗教的な人ということになる。しかしこれでは目糞鼻糞を笑うと変わらない。



無宗教の無自覚さは他者を排除する

f:id:lovelovebear:20080106145724g:imageキリスト教の思想形成を批判的に語る資格は僕には無いと思うのでキリスト教についてはひとまず置くが、仏教の立場から見れば無宗教の人の思想構造は仏教出現以前のヒンドゥー的またはゾロアスター的アミニズムとなんら変わらない。そういう思想構造はまたインドだけでなく中国の老荘思想もまた同様でわが日本に於いても農業の祭儀者としての天皇を頂点に戴く思想も、その構造は変わらない。仏教の登場によって批判された空間的静止的世界観はインドに於いても、中国、朝鮮、日本に於いてもいつのまにか新しい思想である仏教を覆い隠してしまったが、空間的静止的世界観は人情的には分かりやすい思想であり、商業や科学技術の発展に伴いあたかも新しい思想であるかのように今も鎮座している。実はマルクス主義の思想構造もこの空間的静止的弁証法に依拠している。叱られてしまうかもしれないが、あまりものを考えない労働者階級や人情的に弱いものの味方でありたい進歩的知識人に支持されたのは分かりやすくてあんまり頭を使わなくてもよいからだったと僕は思っている。というわけで実は無宗教とは仏教以前の土着的宗教と思想構造は変わらないのである。韓国で起きている反日の根っこも同じ問題を含んでいると思う。圏外の essa氏は このことについて以下のように述べている。

日本人は自分が信じていることを、自分でよく知らない、そこに大きな問題があると、山本氏は言う。自分たちに見えないものを、オウムとニートと隣国の人たちは、我々の中に見ている。それに対して反感を持っているけど、その反感の対象が自分たちに見えないから、「反日」が随分勝手で気ままで浅いどういでもいい問題に思えてしまうのではないだろうか。

圏外からのひとこと 「反日」としてのオウムとニートより

f:id:lovelovebear:20080106145834g:image相変わらずなかなか着眼点がするどい。無宗教だと思っている人は自分の仏教以前の土着宗教的と思想構造を自覚していない。エントロピーは自分が思う方向に収斂しなければ気が済まないのかも知れない。しかしエントロピーは収斂させるのではなく減少するものである。失礼だとは思ったがしかしこの「収斂させる」ということばの使い方に kazukana さんは無意識のうちに空間的静止的な、無宗教な世界観を吐露してしまったのではないかと思った。けっして非難しているわけではない。それはともかく山本七平氏の日本論を僕は知らないけれどこの本に対する essa 氏の論評のほうが僕には楽しみだ。

朝鮮併合についての考察

関連テキスト

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

��圏外からのひとこと圏外からのひとこと 2005/4/12 12:35 type »Pingback

山本七平マイブーム

[…] 山本七平さんについて書いた記事に、いくつかうれしい反応がありました。「うれしい」というのは、私の記事をきっかけに山本七平氏に興味を持って[…] a

kibashirikibashiri 2005/4/12 19:09

おお、さすが深い考察でございます。「しかしこの「収斂させる」ということばの使い方に kazukana さんは無意識のうちに空間的静止的な、無宗教な世界観を吐露してしまったのではないか」は、私も考えさせられました。確かに「エントロピーは収斂させるのではなく減少するもの」ですよね。

ここはご本人のご意見も伺いたいところであります。