KumarinX Kaneko Ryogen Jean Michel Kaneko Photography MacOSX
読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

靖国参拝問題~視点を変えて見てみよう

小泉首相は確信犯じゃないか

 欧州のメディアが「中国の反日はヒステリーか?」と感じ始めているらしい。そんななか木走日記では靖国参拝問題を6回に渡って取り上げ上手く議論の場を提供している。小泉首相靖国参拝はご承知のように政教分離、個人としての思想・宗教の自由、A級戦犯の合祀、中国や韓国の反発と多層なレイヤーを含んでいて首相がどのレイヤーを作業レイヤーとしているか、それを中国や韓国も含む内外の人々が歴史認識だとか日本国憲法上の問題とかのそれぞれのフィルタを通過させることでで様々な議論を引き起こすわけで、実は歴史や憲法などのアカデミックな議論で語られるような問題などではなく極めて現実的で俗的な政治的問題であって、小泉さんはトボケた振りをしてその効果と危険性をしっかり見極めて確信犯的に行動しているんじゃないかと僕は思う。現実的で俗的な政治的問題というのはそう「国益」ね。21世紀のアジアの連携と発展の中で赤い巨人中国の影響力とリーダーシップを如何にコケにしてその威信と信頼をアジア諸国の中で貶めるかが日本の国益には適うと小泉首相は確信しているように思えるんだよね。

 だから議論する人々が感じるレイヤーはその人々が持つフィルターを刺激するに違いないと小泉首相は計算ずくなんだよきっと。宗教問題を靖国参拝問題の視点に据えようとすればするほどそれは混乱を極めエントロピーは増大する。なぜならそもそも靖国神社は宗教施設ではなかったのだ。明治政府は国家神道を日本の国家宗教として据えることは明治憲法を発布の時点で断念していた。明治維新神道ナショナリズムともいうべき復古神道下の強い影響力のもとで神祇官を復活し宗教運動ともいうべきかたちで律令制度の原点立ち返ろうとしたが、おおよそ時代にそぐわないアナクロニズムはたちまちその無力を露呈し混乱の中に新しい宗教体制が模索されることになった。明治憲法の発布は制度として日本の近代化を成し遂げたが、公の制度が近代化され封建制から産業と資本主義の育成を経る過程はただ制度だけが近代化されれば良いというものではない。人間の活動には常に心の問題がついて回るからである。心の問題はすなわち近代的個の確立であるけれど欧州ではキリスト教とそこから出発した哲学がその役割を担ったが、しかし模索される日本の近代的個の確立の中で国家神道はなんらその思想的次元を提供できなかった。(*1

宗教たり得なかった国家神道

 神祇官時代の廃仏棄釈を経た神道の国教化は殆ど人心を掌握できずに機能すらしなかった。そこで政府はすぐに方針を転換、廃仏棄釈を中止し仏教思想の補完による神道優位の神仏習合による神道の国教化をめざし神職、僧侶、民間宗教者を国家で統合し国民教化にあたらせようと「三条教則」を定めて原則として組織し、その頂点として大教院を於いた。それに真っ向から批判で挑んだのが浄土真宗西本願寺派島地黙雷だった。島地は大教院の設置によって仏教の存立に危機感を覚え政府に「三条教則批判建白書」を提出、明治5年から6年に欧州に外遊し、その近代的な宗教事情を視察して帰国すると「大教院分離建白書」を提出して信教の自由を主張して遂に明治8年大教院を解散に追い込み神道の国教化を挫折させることに成功する。宗教は個人の内面の問題に限ることになり習俗的な多面性を持った宗教は排されそれは原始的アミニズムであって文明的でないとされた。そしてその個人の内面の宗教は自由であることが瑕疵され、そのバーターとして「皇室ノ祖宗ヲ敬事スル」ことを承認し国民的道徳としての「万世一系ノ皇国臣民タル国民」を規定する明治憲法の発布へと連なるのである。その後の日本の近代的自我の確立は清沢満之高山樗牛綱島梁川、田中智学、西田幾多郎和辻哲郎、石原完爾など仏教キリスト教に影響を受けた思想家達が担い、そして彼らがまた国家神道を補完していったのである。

 だから靖国神社はその出発点から宗教としての思想の深さなど持ち合わせていない。ただ国家のための殉職者の追悼機関に過ぎず、戦争で恋人や夫、あるいは息子を失った人たちの国家が提供するカタルシスだったんだね。映画プライヴェート・ライアンの中で合衆国大統領がライアンの母親に送る手紙があったよね。国家による追悼の表現とあの癒しにアメリカは日本とは違うと感心した人も多かったんじゃないかと思うけど、そんな役割を靖国神社が担っていたんだね。あの手紙の中身の「自由と民主主義」を「万世一系の天皇」に置き換えればそのまま靖国神社の詔の現代語訳で使えそうでしょ?日本だって捨てたモンじゃない。そんな靖国神社は戦後宗教法人に組み入れられた。混乱のもとはこのとき既に始まっている。宗教施設ではない国家的な追悼機関に、あるいは習慣や道徳としての死者の追悼の機関に無理矢理宗教法人の資格を与え、宗教とすることで既に昭和憲法とも整合性が取れなくなる多層で多義な混乱の萌芽をともに抱き合わせてしまっている。小泉首相はここらあたりをちゃんと踏まえて、自分が靖国を参拝することがどんなことを引き起こすかを計算して参拝しているんじゃないかと僕は思うんだ。靖国参拝は小泉さんにとって宗教的信条でもなければ宗教的行為でもない。ただ国家のために殉職したひとへの追悼は道徳的行為だ。ただその道徳的行為が中国のヒステリーを呼び覚ますことを確信しているに違いない。

小泉批判は中国がアジアでどうあるべきかを論ずべき

 だから小泉首相を批判したい人はこうした時の流れも検討して批判していかなくてはならないと思う。たしか左系の人だったと思うけど「狭い日本の国内世論もまとめる事ができず、近隣諸国との関係もコントロール不可能に陥りつつある小泉首相」なんて言い方をしてたけどこれじゃ批判になりません。狭かろうが広かろうが国内世論と国土の広さは関係が無いし、世論がまとまる国なんてのは民主主義国家ではあり得ず、中国や北朝鮮などの独裁国家くらいしか聞いたことがありません。民主主義国家ではあり得ないことを民主主義国家の元首に求めるというのはどんな思想構造をお持ちなのか疑ってしまいます。近隣諸国との関係はコントロールなど不可能、押したり引いたり、少なくとも中国のアジアでの地位を貶めるためにやっているんでしょう、小泉首相は。それが外交というモンだよね。だから議論は中国のアジアでの地位を貶めることの是非を論じたほうが建設的なんじゃないのかなぁ。政教分離A級戦犯合祀、憲法問題で議論したってそれじゃ小泉首相の掌の中じゃないかと思う。

 そんなわけで鮎川先生のコメントには感心しました。曰く『日本の国益になるタイミングに、国益になる方法で参拝すべし。』『中国にIOCの視察が入る時などはいかがですか?中国が絶対暴れられない時期ですよね。かといって視察がおわってから抗議、なんて間が抜けてしまいます。あるいは早朝にお忍びでというのはどうでしょう。紋付袴でなくて、昇殿しないかたちの、われわれ庶民と同様な参拝は?それを毎日やって「いやー最近、朝が早いんで日課にしたんだよ」なんてね。10日位後の都合の良い日にリークするわけですね。まぁ、色々なケースがあると思いますよ。もちろん、安保理改革の決着がついてからでも良いし。』せっかく欧州のメディアが「中国の反日はヒステリーか?」と感じ始めているのだもの。この機会についでにチベット問題やウイグル問題もどんどん中国人のみならず世界の民主主義国家の耳に入るようにアピールしたほうがよいし、アメリカと一緒になって人民元の切り上げを突きつけるのもいい。どこの国も自国の問題は自国で切り抜けて近代国家の仲間入りを果たす。中国と仲良くやるのは中国が近代国家になってからでも遅くないと思うよ。まぁちょっと勇み足しちゃった大企業さんは自分の中国戦略を身銭を切って反省すれば良いだけのこと。

*1国家神道が宗教たり得なかった点、あるいは日本的選民思想の基礎になったことについては拙稿「和の思想のオリジナル 新羅の元暁大師」2005.4.2、仏教神道補完については一連の震空館・速水氏との議論「朝鮮併合問題と和の思想 - 再び速水氏に応える」2005.4.8 他を参照されたい。