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朝鮮併合とイギリスのアイルランド併合 - 速水氏からの返事 -

速水氏からの返事

 4月8日の 再び速水氏に応える - 朝鮮併合問題と和の思想 について再び速水氏から有意義なレスポンスを戴いた。ちょっと遅きの感はあるのですがこのシリーズのまとめとしてここに全文を引用させて頂く。アメリカのイラク侵攻のバックボーンにも連なるキリスト教選民思想もかいま見え僕のブログの読者にも是非呼んで頂きたい問題を提起して頂いているからだ。

  実に1ヶ月遅れになってしまったが、「くまりんが見てた!」様の4月8日付記事で、儂の3月28日付日記を受けての懇切丁寧な解説を戴いていた。彼我の視点の差を踏まえて、とても解り易くくま氏側の論点を解説されている。ここまで解説を重ねてくれたことに感謝すると共に、内容も儂の駄弁に付き合ってくれている諸兄には是非読んでいただきたいものである。

 本文中で注目したいのは、 したがって思想史的な視点から言うならば僕の問題にした「異質」は政治経済的視点からはみ出して機能した日本的選民思想であり、それは工業化や流通、教育などのインフラの日本的整備を含む植民地の人々の生活態度、倫理の持ち方にまで干渉するものであった。逆に欧州のそれは非道と破壊、収奪の限りを尽くしたとはいえ、宗主国への反逆が認められない限り植民地の人々の生活へは無関心であり政治経済的視点の併合の枠には留まっていたのではないかという点である。 という下り。これには「なるほど、確かに行動の面でも全く異質だ」と膝を打った。

 いささか脱線気味な話になるが、欧州が宗主国への反逆が認められない限り植民地の人々の生活へは無関心であった理由について軽く。このあたりは植民地における白人の資料を元に考えると、欧州は植民地原住民を人間として看做していなかったのではと思われる。ヴィクトリア朝関係の史料を当たっている人には御馴染の「二つの社会」の延長と考えると解り易いだろう。植民地にいる白人淑女が現地人男性使用人の前で裸体を晒しても、(そこで彼等を誘惑などしない限り)貞淑さを失うことにはならない。犬に対して裸体を晒しても貞淑さを失うことにはならないのと同じだ、という理屈の延長だ。

 簡単に言えば、階級が違うどころかキリスト教徒ですらない現地人は人間ではない、ということ。例えるならば、自宅に侵入したり共同ゴミ捨て場を荒らされたりしなければ、野良猫が街を闊歩してても気にしない人が殆どだろう、というところ。近所で発情期の大騒ぎをされても、あまりに癇に障らなければ「自然の摂理だ」と苦笑いして無視するものだ。

 これに対して、朝鮮を併呑した日本は、朝鮮人を帝国臣民として教化した以上、帝国臣民を構成するに足る人間と見ていたことになる。

 この人間として認識するかどうかの部分だけ切り出せば、欧州の方が現地人に対して格段に酷い扱いをしていた、とも見えるのだが、実際にはそう簡単ではない。引用したくま氏のテキスト中にある、現実の自由度の高さという表出した部分だけをみても、単純に論じる訳にはいかないと気付くだろう。

 欧州の現地人の扱いの基底にあるのはキリスト教選民思想。終末思想において正しき信徒だけが救われる、というやつだ。終末思想を持つ宗教に普遍的な教徒選民思想だ。対して、日本人の選民思想の根拠は国民であること。国家選民思想とでも言うべきものだ。

 前者は、救われようとしないものはそのまま見捨てる、という理屈で国内でも住み分けが可能だが、後者は国民に組み入れられてしまった以上は否が応でも「国民の義務」を果たさねばならない、というオチがつく。

 ここまで見た上で、改めてイギリス・アイルランド史を辿りなおすと、面白いことに気付ける。

 イギリスは(当時の国王の離婚問題は於いて置いて)ローマ法王による内政干渉を排除するために、イギリス国教会の首長を国王が兼務することになっている。そしてこの都合上、イギリス国王はイギリス国教会信徒でなければならない。それ故、イギリス国王即位後もカトリックであり続け、イギリスのカトリック教国化を目論んだジェームズ2世は名誉革命によって打倒された。が、基本的にカトリックアイルランドプロテスタントの国王を奉じることを不服としており、カトリックのジェームズ2世を擁して大反乱に発展した。

 このイギリスの名誉革命の歴史は、表面上は信仰の自由が保障されていても、その国体の在り方如何によっては信仰の自由を迫害するに足るということを示唆しているのではないだろうか。つまり、本件の発端のくま氏の3月1日付記事 万世一系の天皇を頂点とする国家神道が宗教であり得なくなり、教育勅語によって道徳として独立せしめざるを得なかった帝国政府が、それが道徳であるが故に信仰の自由は保障されていると思い上がったまま日本に併合した異文化地域へその土着宗教を下に組み込みつつ強要していったことも見逃せない。 という言葉に至るのではないか、と。

 アイルランドを引き合いに出した時点で、思想史上の問題なのだからとここまで考察を深められるよう、研鑽を積まねばならないな、と反省すると同時に、この不明の輩をここまで引っ張ってくれたくま氏に感謝する次第である。

速水の日記 5月6日より

 人間として扱わなかったイギリスと言えば中国に対してもそうだったろう。阿片をばらまき適当にラリらせておいて中国を統治しようとしたのはイギリスではなかったか?にもかかわらず人間として扱った日本人の振る舞いのほうが非道かったのだろうか?その判断は中国人自身がすべきことだが、今の中国政府がイギリスの振る舞いなど問題にせず日本だけを問題にしているのはイギリスに対しては人間では無かったことを受け入れているということにならないだろうか。いくら中華思想を基体とした政治的戦略であるとしても中国政府はあまりにも自国の人民に対して無責任ではなかろうか。知識人が知識を消費する人々にたいしてそんな思想的落とし前をつけられないのならその国の近代的個の確立の前途には悲壮な影が漂いはしないか。欧州に人間として扱われなかった経験を持たないとは言え、それはまた日帝協力者を魔女狩りよろしく村八分にする韓国も同様だ。

 速水氏の今回のテキストを拝見してそんなことに思いを巡らせた。しかしそれは中国や韓国の人々の思考に委ねなければならない。すくなくとも僕たちは自らが日本の選民思想を生み出した場所的一元論に陥らぬよう自らの思想構造を常に批判的に検討していかねばならない。その場所的一元論とはまた中華思想でもある。靖国参拝問題~視点を変えて見てみよう で述べたように実際に実生活を切り開いていくのに中華思想は有効だ。しかしその場所的一元論は常に批判的に注意深く監視しなければならないのである。最後にこうして有意義な議論をさせて頂いた速水氏に感謝の念を繰り返し表してこのシリーズのとりあえずのまとめとしたい。