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第二次大戦を反省する方法論についての議論

「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」

 6月10日の木走日記のテーマは毎日新聞の特攻で生き残られた方の記事・「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」。この記事を掲げた後木走氏の「靖国参拝問題での議論が盛んになるに連れ、一部に皇国史観に近い戦前復古調の論説もちらほら見受けられますが、先の軍国主義戦争の悲惨な面を無視した議論は、このお二人の重いお言葉の前では、ただの戯れ言となりましょう。」という問題的提起から議論は開始される。この議論の中で JANJAN 記者の福山達也氏がリベラル派と称される方に特有の無造作な言葉使いをされたので気になった。リベラルと言っても本当にバカの壁一元論の中にいて他者を寄せ付けない人が多い中で福山氏は JANJAN 時代から対話が成立する数少ない方のうちのお一人だと思っていたので切っ掛けはいささか挑発的で失礼ではあったものの対話を試みた。

 福山氏の場合は後述するアプリオリは平和の希求、反戦、あるいはリベラルな歴史観なのだと思えるが、人は自らの内になんらかのアプリオリを立てることによって、そのアプリオリが実体化されてしまいそれに拘泥することで日常的な習慣がアプリオリを立てるにいたる思想すら覆い隠してしまう。その危険性を仏教、仏教とその名称を持ち出さずに、僕としては仏教の徒として分別の智の始まりとも言える「ことば」を、他者から学び、他者を想像して自分自身も変わっていくための「時間」のなかで積み重ねて行きたいと思うからである。注意を払っていただきたいのは僕はこの議論で福山氏を論破するとか論争に打ち勝つとかはまるで目標にしていないことである。目標はあくまでもアプリオリへの拘泥を解きほぐすことにある。こうした視点から言えば単なる単独のテキストで自分の思想と言えるほどでもないにしろ幾ばくかの論理を展開していくのと違って他者との対話は難しい。これが相手が仏教を学ぼうとする人だと些か話もしやすいし、僧侶のかたでも対立点は鮮明になるものの一つの方向性で話は纏まり易い。しかし右だ左だとやっているところへ、仏教の立場から見たときに妄執やエゴだと思われるところを批判的に解きほぐしてみようという試みだから改めて読み返して見てみると自分の表現力の不足や力の不足そのものさえ散見されて恥ずかしいとも思うのだが、対話を通して実体化されたアプリオリへの拘泥を解きほぐしていこうとする僕の試みの過程としてお読み頂きご批判を頂ければ有り難い。

 僕と福山氏の対話としての議論は福山氏の以下のコメントから始まる。

# 福山達也

木走様、こんにちは。桜花という特攻機があったこと、全然知りませんでした。多くの無駄な命が散って行ったことを考えると、この毎日の記事は国家(当時の大日本帝国政府&軍部)の指導者に対してもっと批判的であっても良いと思いました。「戦争を感情的に語るのではなく、国家として短期的、長期的、両方の視点から、個別的に戦争を行った方が賢い選択なのかどうかを検討するべきだ。」というような意見を言う人もいますが、私は平和の大切さと戦争の悲惨さを伝えてくれる人たちの声に耳を傾けたいと思います。関連情報も紹介しておきます。 http://www.biwa.ne.jp/~yamato/betty.htm


# kumarin

>>福山さま

 こんなことをよそ様のブログのコメント欄に書くのも揚げ足取りのようで気が進まないのですが是非ご一考願いたく気乗りがしないままにペンをとります、いやいやキーボードを叩きます。「多くの無駄な命が散って行ったことを」の「無駄」とはなんと無思考で無造作で他人の心を配慮しない「ことば」の使い方でしょう。正直腹立たしく思いました。リベラルと称される方はどうもこういう無思考な「ことば」の使い方が見られますが、だから僕はリベラルと称される方々の平和への取り組みに偽善を感じてしまうのです。以前にJANJAN編集部批判をJANJANで展開したときに用いた論理をそのまま貴兄にも捧げたい思いです。

 個人が戦争を感情のみで反対することは僕は当然だと思いますし国家の指導者を批判するのもまったくもって当然だと思いますが、しかし一人ひとり戦場で犠牲に成られた方々の死を「無駄」な死とさらっと言いのけるほど戦争は他人事ですか?そんなかたがどうして戦争や当時の指導者を批判する資格があるでしょう。第二次世界大戦の反省とは当時の指導者を批判し軍国主義を槍玉に挙げておけば、韓国や中国が喜んでくれるからというような低コストのものでは無いはずです。当時の戦争の当事者の思想構造を検討することによって自己自身にある同様な思想構造を批判的に解体していくことが反省につながり、同じようなことを将来にわたってしないよう自分自身を作り替えていくことなのです。おそらく貴兄はただ「無意識」に、あるいは「習慣的」に「無駄」なとお使いになったのでしょうが、無意識なら許される筈もないのですが習慣的にだとすれば習慣に押し流されるような思想は思想と言えるほどの代物ではなく、「平和の大切さと戦争の悲惨さと」はご自分自身になんの検討も加えることなくただ「ことば」無視の直感的スローガンに他なりません。

 おそらく貴兄のようなかたが何の兵站も計画もない当時の南京に入場した日本軍の一員であれば、貴兄がJANJAN で想像出来るとご発言されたようにご自分の「習慣」を「無意識」に現地の方に押しつけるのでしょうから貴兄の南京事件への想像は正しいのかも知れません。これは揚げ足取りなどではなく自己自身の問題として思想的決着を付けるべき問題です。


# 福山達也

くまりん様、お久しぶりです。特攻攻撃命令によって尊い命が無駄になってしまったと私は思っています。人命軽視をしていた当時の大日本帝国をくまりん様がほとんど全く非難せずに、私のコメントに腹を立てるというのは理解できませんでした。もしかして太平洋戦争を美化したいという気持ちがくまりん様の心のどこかにありませんか?南京大虐殺についての私の感想コメントと今回のコメントには関連性がないと私は思います。特攻命令で死んだ兵士の命の代償を考えると特攻は無意味な戦果だったと私は思いますが、多くの犠牲者の心情などに想いを馳せたいと思うので体験者の話には耳を傾けたいと私は思っています。くまりん様が腹を立てられる気持ちは極わずかですが理解できます。しかし怒りの矛先を私に当てられても困ります。私のコメントは私の考えに基づいて書いています。あまり他人から「自己自身の問題」とか「思想」と言われて指導されたいと思っていませんのでよろしくお願いします。

木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」での議論より

 ここでこのブログでもおなじみの鮎川先生と rice_shower が僕の助っ人に入る。さすがに冷静、そしてよく対話を積み重ねているお二人だけに僕の論旨を良くご理解頂いていて議論の流れとしてはとても助けられた。

# 鮎川龍人

福山さま。

お疲れと思いますので、手短に。

えーとキリスト教会に通っていたころ、良い人は天国へ、悪い人は地獄へみたいな話になりました。

「生まれてすぐ死んじゃったら?」

というのが私の疑問でした。

きっとどのような生にも死にも意味はある。

私は、そう考えています。

福山さまも、そうだと思いますけれど。


# rice_shower

>福山さん、

余計なお世話の横レスですけど。

kumarinさんは「多くの無駄な命が散って行った」という無神経な“言葉遣い”に腹を立てておられるのでしょうか。

特攻作戦は“戦果”の視点からは無駄、無意味だったでしょう。 だからといって“その命が無駄に散った”とは、心ならずも或いは洗脳された状態で彼らがその身命を国に差し出し、当時の国民はこれを賛美したという厳然たる事実を前に、同胞として死者に対し、遺族に対し礼を失し、誠を欠く物言いではないか、またその死のプロセスに全くの部外者であるかのように振る舞うのは裏切りではないのか、との問いかけではないでしょうか?


# 福山達也

鮎川龍人様、rice_shower様、こんにちは。仰りたいこと、理解致しました。特攻命令で亡くなられた方々と遺族の方々にお悔やみを申し上げたいと思います。彼らの死を無駄にしないよう私たちが努力していきたいと思いました。私のコメントの一文を「多くの尊い命が散って行ったことを考えるとこの毎日の記事は国家(当時の大日本帝国政府&軍部)の指導者に対してもっと批判的であっても良いと思いました。」という文に訂正致します。今後もどうぞよろしくお願いします。』


# kumarin

福山達也様。

 ご反論有り難う存じます。

>>人命軽視をしていた当時の大日本帝国をくまりん様がほとんど全く非難せず

 大日本帝国とて自国民に限って言えばそんなに人命を軽視していたわけではないでしょう。仰るように簡単にひょいひょいと人命を軽視していたとすれば少なくとも現代の我々はそんなようには人命を軽視しているわけではないので「非難」ですますことも許されるでしょう。彼らとて個人/\はぎりぎりの選択であったはずです。ならばどうしてぎりぎりの選択をしなければならときに人命を軽視することを選択しなければならなかったのか。それは欧米列強が日本をそうさせたと片づけてしまえばこれはこれで新自由主義史観に落ちることになります(勿論福山様がそのようなことはあり得ないとおもいますが)。僕はそこに士農工商えた・非人があたりまえの時代から皇族華族平民の時代へと転換し、僅か50年で中国侵略から太平洋戦争へと、近代国家として欧米列強のとの拮抗のなかへ放り出された我が国の先人たちの哀れさと未熟さを同時に見ることが出来ると思います。そして先人たちが学ぼうとした近代欧米の思想も、その背後にはキリスト教信者でなければ救われないし、畢竟人間ではないという選民思想があったのです。


 もし我が国の先人たちが他者から謙虚に学び、他者を認めて他者を想像することが出来れば戦争はもう少し様子が変わったかも知れません。しかしそうはならなかった。自らの無智に気がつかずに経済的には西欧をまねて富国強兵政策を取り、自我の確立のためにはなんの思想的深さもない国家神道を古来より中国、朝鮮から移入した格義仏教思想で補完し同様の場所的一元論的思想構造を持つ儒教キリスト教ドイツ観念論を取り入れながら自己を拡大しつつ「和の思想」を完成し、一時はマルクス主義をも取り入れ大正デモクラシーにも向かったものの、所詮マルクス主義も自己拡大する場所的一元論に過ぎず、結果としてできあがったのがアジアの人々へは日本的選民思想、国内的には全体主義でした。その根底にあるのは他者から謙虚に学くことなく、他者へ配慮もなく、他者へは自らの習慣を無造作に押しつける自己拡大の思想なき習慣であると思います。それ故それを乗り越えていくことを「自己自身にある同様な思想構造を批判的に解体していくことが反省につなが」ると僕は申し上げているわけです。明治期から大正、昭和へかけての我が国の近代的自我の形成とそれを基礎とした社会思想と個人のありかたそのものを批判的に検討して、更に我々自己自身にある同様な思想構造を批判的に解体していくことに向き合わない限り当時の大日本帝国を「非難」したところで我々自身なにも変わることが出来ないでしょう。そしてそうすることがどうして太平洋戦争を美化したいという気持ちがあることになりましょうか。それでは人ごとのように大日本帝国を批判する資格も持ち得ないどころか、戦後の米進駐軍を解放軍だといって歓迎した人々を笑うことも出来ません。


 rice_shower さんが他で述べていられるように「自らの心の中を覗き込み、そこで息を潜め、跳梁の時を待つ邪悪、臆病を認知していて、しかもそれらがユーフォリアをもたらしもするの麻薬だと知っていて、自分なりに何とかそれをコントロールしながら日々を過ごしています。鬼の首を取ったが如く“殊更に”当時の指導層の責任を追及する人々には、先ず私的な部分でこの冷厳な事実に向き合う勇気が無いのではないか」にはまったく同感であり、僕が大日本帝国を非難しないので太平洋戦争を美化したいという気持ちがあると仰るならば、大日本帝国を非難して、謙虚に私的な部分でこの冷厳な事実に向き合わない人は当時の思想からなんの進歩もないと言うことになるでしょう。第一自らの無智を知り他者を認めて他者を想像し他者から謙虚に学ぶことが出来れば大日本帝国を「非難」などと無造作な言葉使いはしないものではないでしょうか。少なくとも自己の問題と考えるかたは「批判」という言葉をお使いになるのでしょうし、それがついうっかりだったら自らの習慣を無造作に他者に押しつけるということに他なりません。


 いま申し上げたことをご理解いただければ「南京大虐殺についての私の感想コメントと今回のコメントには関連性」はあるということになります。当時の日本兵は現地の他者に配慮せず無造作に自分たちの習慣を押しつけたのですから貴兄が仰るように南京事件で日本兵が非道いことをしたがの想像出来るというのは正しいことになるのです。別に僕は福山様を「指導」しようなどと奢った思いは持っておりません。福山様はJANJAN時代より論点を絞り込んでキチンと真っ当に議論が出来る方だと認識させて頂いております故、「怒りの矛先」を福山様に向けているわけではなく、ただ貴兄のコメントに見られる無意識であろうと思われる権威主義を批判させて頂いたわけでございます。


鮎川さま、rice_showerさま。

 つたない僕のコメントへのフォロー有り難う存じます。貴兄方が僕の主張の核心をご理解頂いていることに大変嬉しく思い感謝の気持ちで溢れています。


# 福山達也

kumarin様、

kumarin様の考える歴史観を私はほぼ理解できたと思います。

ただ一点だけ理解できなかったところがありました。

大日本帝国とて自国民に限って言えばそんなに人命を軽視していたわけではないでしょう。

kumarin様がどのように「桜花」や「回天」などの兵器を評価しているのか興味を持ちました。

零戦の神風特攻の戦術や戦艦大和の玉砕覚悟の出撃なども含めて、大日本帝国が自国民の人命を軽視していないという主張をお聞かせください。


kumarin様が私の「無意識であろうと思われる権威主義を批判したい」という気持ちがあるのは了解しましたが、私には権威主義などないつもりです。

もしそのように私の文章が読めるならば、私には無意識のためにこれを回避することができないと諦めて、kumarin様には適切な言葉へと自由に置き換えて読んで頂きたいと思います。特攻命令で死んでいった兵士たちの悲劇を考えると、当時の責任者を同じ日本人として非難したい気持ちに私はなります。私は当時のことを江戸時代から続く歴史の一幕と捉えるよりも、むしろ現在が存在するための60年前の過去の出来事と認識している方が強いです。まだ生存者も本記事にあるように生きているのですから、現代に近い感覚で当時の人たちの命の重さを考えてあげたいと私は思います。


それから、本記事とはやや離れるので今まで述べていませんでしたが、私は当時のアメリカ軍も非難したい気持ちがあります。もっと知恵を絞れば上手に戦争を終結し、犠牲者の数を減らすことができたと私は信じています。それでも当時のアメリカを恨むつもりは全くありません。それよりも何よりも平和が一番だと思っていますので、テロにも戦争にも反対するという立場に立ち、戦争体験者の話には耳を傾けたいと考えています。また多様な意見や歴史観があるのは良いことだと思います。私とkumarin様の歴史観が違うのは当然ですが、それでもお互いに尊重し合うことができることを希望致します。

では、また。


# kumarin

福山達也様。

 ご反論有り難う存じます。

>>どのように「桜花」や「回天」などの兵器を評価しているのか興味を持ちました。

兵器として評価すべきものかどうか...少なくとも兵器の大義名分は安全性を担保して兵士に委ねられるものでは。少なくともあの時代のアメリカの兵器はそうだったと思います。桜花を靖国で見たときには悲しくなりました。


 それはさておき

>>零戦の神風特攻の戦術や戦艦大和の玉砕覚悟の出撃なども含めて、大日本帝国が自国民の人命を軽視していないという主張をお聞かせください。

 ということですがそりゃぁ「大日本帝国とて自国民に限って言えばそんなに人命を軽視していたわけではないでしょう。」とここだけ取り出せばまるで僕は大日本帝国の擁護者になってしまいますが、その後の文脈で「どうしてぎりぎりの選択をしなければならときに人命を軽視することを選択しなければならなかったのか」と問題を提起し、その結論を「ことば」を尽くしているとは言えませんが「他者から謙虚に学び、他者を認めて他者を想像」できずに「自己拡大する場所的一元論」による「自らの習慣を無造作に他者に押しつける」ことと展開しています。


 どこに「自国民の人命を軽視していない」と「主張」までしているでしょうか?そもそも大日本帝国とて最初から人命を軽視して居たわけではなく、とこういう言い方をすると木走さまの次のエントリ、「正義」につらなるものがあるのですが、明治政府がスタートしたとき「人命を尊重する」か「人命を軽視する」という人命に対しての態度としての対立概念はなかったと思いますよ。ただ漠然と「人命を尊重する」という概念はあったと思いますが絶対的な対立概念としては明治以降の近代的自我の形成とともに育まれ「思想」にまで高まり、戦後より意識されるようになったものだと考えられます。「人命を尊重する」という「思想」は歴史の中で人命が軽視されてきたからこそ人々の自我意識の形成とともに顕れてきたものなのだと思います。まさしく「正義」と「不正」のように。


 つまり今僕たちが先人の批判を通して自己批判的に成立させてきた概念を時間を遡って先人に適用しようとしても歴史を正しく見ることは出来ません。第二次大戦は時間的に見れば明治維新と今のおおよそちょうど中間点です。故に僕は「明治期から大正、昭和へかけての我が国の近代的自我の形成とそれを基礎とした社会思想と個人のありかたそのものを批判的に検討」すべきと申し上げているのであって貴兄の仰る「現在が存在するための60年前の過去の出来事と認識」と対立しているわけですね。それ故貴兄には僕が「大日本帝国が自国民の人命を軽視していないという主張」と聞こえるのでしょう。

 

 歴史は時間の流れとともに検討されなければ意味がありません。絶対的真理成るものが仮にあったとしても、それを未来永劫に渡って適用しようとするのはナンセンスですが、同時に過去に適用しようとするのもまたナンセンスです。従って「特攻の戦術」を軍部が採用したときも、当然今ほどではないにしろ「人命を尊重する」意識はあったとは思いますが、戦後の今ほどの絶対的な対立概念として、あるいはより深まった「思想」としてはないでしょう。そこで僕の今までの論理とは矛盾しますがそれを現代から適用して国家の命令よる殺人とさえ見なすことが出来る「特攻」に至るまでの戦死者の増加拡大を段階的に時間的に逆順して検討を試みることが許されるならば、国家の命令による(4)「特攻」の前に部隊としての(3)「玉砕」がありました。その前には部隊すべての兵員ではないですが前線の果敢なる犠牲による攻防ラインの(2)「死守」がありました。その前には真珠湾攻撃の(1)「成功」がありました。単純化しすぎるきらいはあるものおおかたの「戦死」者の拡大という時間の変化の側面の現実はこのようなものだったでしょう。


 ではこの時間の流れを取り巻く国民と軍部の感情と思想はどう変化したでしょうか。アメリカの圧力と中国戦線の泥沼化によって閉塞感がたかまった国内ムードを一掃して国民に活力と軍部への尊敬ムードを作り出したのが(1)「成功」。(この間にミッドウェイ海戦が入り軍部が報道管制を開始)軍部は国民世論を背景に(2)「死守」を大げさに宣伝。この間に国民は他人事なら国家神道による戦死軍人の軍神化を受け入れるようになる。「軍神」は名誉とバーターとなることもあって、戦死者は増加するものの慣れととともに大正デモクラシーで意識され出していた「人命を尊重する」思想は次第に覆い隠されていく。(3)「玉砕」の段階になると国民に不安は増えるもの戦死者の増加が日常化した軍部の「人命を尊重する」思想はさらに覆い隠される。最終的には自らの作戦の行き詰まりによりやむなく(4)「特攻」戦術を選択。そこには(3)「玉砕」よる多数の戦死者に対する無思考で習慣的な慣れ故に他者である兵士への想像力は欠如し、国体の護持という「正義」との交換で「人命を尊重する」思想は意識的に覆い隠される。その上での、戦地に向かう兵士への「すまない」という人間的気持ちはいくばくかはあったと考えてよいと思います。


 以上が概観ではあるものの軍部が人命を軽視するに至った経緯をみると、それを許した国民、ジャーナリズムの無自覚は西欧のそれと比べてはなはだ目に余るものの、それに甘えた軍部の責任も多いと言わざるを得ません。こうして簡単にではあるものの、軍部が人命を軽視するにいたるまでは時間が必要でり、そこには時間と共に「習慣」が「思想」を覆い隠して行く経緯が読み取れるのです。僕が後の文脈で簡単にその理由を展開しているとは言え「大日本帝国とて自国民に限って言えばそんなに人命を軽視していたわけではないでしょう。」というのはこうした考察によるわけです。


 結局のところ図らずもここでより鮮明になったと言えるのは、最初に述べさせて頂いているように「第二次世界大戦の反省とは当時の指導者を批判し軍国主義を槍玉に挙げておけば、韓国や中国が喜んでくれるからというような低コストのものでは無いはずです。当時の戦争の当事者の思想構造を検討することによって自己自身にある同様な思想構造を批判的に解体していくことが反省につながり、同じようなことを将来にわたってしないよう自分自身を作り替えていくことなのです。」ということになります。結論を一歩すすめれば明治維新以降、日本の近代的自我形成をリードした知識人もその影響を受けた軍部の中枢にいた人間も「他者から謙虚に学び、他者を認めて他者を想像」することができずに「自己拡大する場所的一元論」に陥って、「習慣」が「思想」を覆い隠しまって「自らの習慣を無造作に他者に押しつける」ことになったと言えると思います。軍部が人命を軽視するに至った「習慣」が「思想」を覆い隠して行くことはこのように極めて恐ろしいことなのです。貴兄の様に「現代に近い感覚で当時の人たちの命の重さを考えてあげたい」のは結構なことだと思いますし、その主張に異論はございませんが「現代に近い感覚で当時」の戦争指導者を裁き「非難」するのは真の意味での反省にはつながらないと思います。


>>お互いに尊重し合うことができることを希望致します。

 こうして議論させて頂いております。それは福山さまを尊重する故に。僕のモットーは「批判」こそ「学問」、「批判」こそ「仏教」。もちろんこうした思想に基づく議論の仕方はある種「和」の思想に根ざす日本人には馴染みにくいものかもしれませんが、「習慣」が「思想」を覆い隠してしまわぬよう論点を俎上に挙げて思考を巡らせばお互いに有益であろうと思っております。


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-- 生きとし生けるものが幸せでありますように --


# 福山達也

kumarin様、こんにちは。丁寧な解説、ありがとうございました。とても分かり易かったのでkumarin様の考え方を明確に理解できたと思うことができました。一つの考え方として尊重致します。有益な議論ができたこと、kumarin様の寛大さに感謝致します。今後もどうぞよろしくお願いします。

木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」での議論より

 この議論まだ続くと思われるがとりあえずの今日までの流れはここまで。基本的に福山氏と僕の論点以外は省略しているので全体の流れをお知りになりたい方はオリジナルの木走日記・「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」を参照して頂きたい。この議論のなかでは摂津守氏というかたのコメントに福山氏が少しご立腹で、僕は福山氏の誤解であるように思われるのだが本稿のテーマである「第二次大戦を反省する方法論についての議論」という視点からは少し離れ日米間の水面下の外交上の事象へとシフトしてしまうのでまた次回にでも考えていきたい。