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大日本帝国は無条件降伏していなかったのか

旧「くまりんが見てた!」に『大日本帝国は無条件降伏していなかったのか? 福山氏に応える』の題で掲載

 昨日のエントリでも触れたように福山氏から氏ご自身のブログで丁寧な返信を戴きました。せっかく戴いた返信なのですがちょっと誤解があると思いますと述べたわけだが今日は福山氏のブログでの反論に応える前にその誤解について説明させて頂きたいと思う。福山氏が「福山氏が想定する質問に対しての僕の応え」を取り上げてあれこれ議論を展開されてしまったことに対して償わなければと思うからだ。既にもとの議論は木走日記の深くに紛れ込んでしまっているのでまず始めにその議論をここに引用し、また摂津守氏に対する福山氏の対応への疑問点をあげながら僕が申し上げた「異論がない」真意を述べることにしよう

木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」での議論*1

# 摂津守

 特攻に関して、最近の研究では「神風」、「硫黄島」、「沖縄」がアメリカの方針を徹底的な対日完全勝利(無条件降伏方式)から妥協による対日早期和平(ポツダム宣言)へと舵を切らせた一因と考えられるようです。


# 福山達也

摂津守様の主張には矛盾があり理解できません。ポツダム宣言は日本の無条件降伏を要求しています。まずこういう場合にはきちんとソースを提示してどこの誰による最近の研究なのか、またそう考えられる理由の解説など、英文のテキストでも構わないので何か説得力のあるものを出してください。


# 摂津守

 福山様皆様

  無条件降伏の件に関しては、ポツダム宣言を丁寧に再読検討することをおすすめする。日本の無条件降伏を求めた条項はありません。正しい条文理解お願いします。


# 福山達也

正直に言います。摂津守様の方こそポツダム宣言を本当に読んだことがあるのですか?どこから「正しい条文理解お願いします。」などという自信満々のセリフが湧いてくるのですか?ポツダム宣言の第13条には、「We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.」とあります。この「unconditional surrender」は「無条件降伏」という意味です。「ポツダム宣言を受け入れ、大日本帝国は無条件降伏した。」というのが歴史的事実です。いくら多様な歴史観を私が認めたいと思っていても歴史的事実の捏造は認められません。摂津守様があたかも私がポツダム宣言について無知であるかのように公の場で振舞ったことに対して謝罪と訂正の言葉を求めます。参考のURLを出しておきますので確認してください。 http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html


# kumarin

福山さま、摂津さま

 摂津守様のご意見に全面的に賛同するわけではございませんがアメリカは日本本土制圧をしたうえでの「unconditional surrender」を目標としていたようですが、公文書の公開に伴う研究によって、ポツダムで会議中のトゥルーマンに原爆が実用段階に達したことを知らせる報が入り、ソ連の覇権が及ぶのを嫌う大統領は原爆投下を決心し、さらに「unconditional surrender」に「of all Japanese armed forces」を付加して日本の譲歩を引き出したと考えられるようになりました。この「of all Japanese armed forces」は重要なポイントで当時の鈴木貫太郎首相の指示を受けた軍中枢の停戦派はこれを日本ではなく日本軍の無条件の降伏と解釈し、国体は護持されるものとして徹底抗戦派との議論の根拠にしました。阿南惟幾陸将はポツダム宣言受託後、調印にフィリピンに飛ぶときも「of all Japanese armed forces」を米側に事前に確認しています。


 これらのことを考えると「of all Japanese armed forces」は日米双方の犠牲者を幾ばくかでも減少させたことになるのですが、その後の軍の速やかな武装解除と日本政府のアメリカへの協力は結果的にアメリカにとって当初計画していた「unconditional surrender」と同等の結果を得たと言うことになると思います。歴史の経緯の上ではいわゆる「無条件降伏ではない」との認識は正しいものですが、アメリカが同等の結果を得ている以上「無条件降伏ではない」と声高に主張することは僕が福山さまに述べさせて頂いた趣旨での戦争を反省材料にする観点から見ればあまり意味のないようなことに思います。神道ナショナリズムルネッサンスならば意味のあることとなるでしょうが、一国民として「国と家族を守る」という誓いを持ってあの時代を引き受け戦後惨めな思いをされたかたの浄化作用に留まるなら理解できる解釈ですが、それ以上進むと危険な一元主義の発露につながるのではないでしょうか。


# 摂津守

 私の発言を確認いただければご理解いただけると思いますが、ここで「無条件降伏」に関して私の主張するところは、「アメリカの方針が徹底的な対日完全勝利(無条件降伏方式)から妥協による対日早期和平(ポツダム宣言)」へ移行したとの文脈上で、ポツダム宣言には「全日本国軍隊の無条件降伏」という規定はあるが、日本帝国に無条件降伏を要求した条項は存在しないということです。


 1945年2月、米合衆国国務省陸軍省海軍省調整委員会(SWNCC 1944年12月設置)において決定された?天皇の無条件降伏宣言案に全日本帝国軍隊の戦闘停止と連合国司令官への服従の規定?降伏文書案に日本軍の全面敗北と連合国軍への無条件降伏に関する天皇大本営の署名欄設定などの方針が、1945年7月26日に発せられたポツダム宣言ではグルー国務次官の進言により天皇関連条項が削除されるなど大幅な変更が加えられ、1945年8月10日にはSWNCCは天皇の無条件降伏宣言案を修正し、無条件降伏を大本営と日本軍隊に限定する規定に変更、翌日にはイギリス政府の提案を受けて天皇の署名を要求することを断念するなどカイロ宣言に見られる対日無条件降伏要求が大幅に後退しています。


 もともと「降伏」とは軍事用語であり、限定された意味で使用されました。 

 「無条件降伏」も戦前までは純軍事用語であり、通常の「降伏」が、交戦停止にあたり甲・乙両軍が交渉により降伏条件を協議し、その締結した条件下で甲軍が乙軍に降伏するのに対し、「無条件降伏」軍は甲が降伏条件交渉をする機会を与えられずに乙軍に降伏し、降伏した甲軍将兵は降伏協定ではなく、戦時国際法に則って軍事捕虜として処遇されることを指します。(確認はしていないので真偽は不明ですが、近頃とあるサイトで知ったところによると、無条件降伏方式は南北戦争で初めて現れた降伏方式で、南北両軍の信頼に基づいて南軍が北軍に無条件で降伏するものだったようです。あくまで参考として。)


 日本の降伏が条件降伏であったか無条件降伏であったかの問題に関してなんら発言する確固たる意図も意見もありませんが、用語の定義にこだわれば、そもそも軍隊の無条件降伏と異なり国家の無条件降伏があり得るかとの疑義もあります。

 ドイツの場合は連合国はドイツ国防軍の無条件降伏を認めましたが、ドイツ政府には無条件降伏さえ認めず、5月23日にデーニッツ政府閣僚らを逮捕・ドイツ政府は解体され対独戦争を完了させています。

 一方、占領下日本では、確か1949年の国会での審議で吉田茂は日本国は無条件降伏したと明言しており、アメリカもそのように理解しているため講和会議で日本は連合国に対してポツダム宣言カイロ宣言を利用して権利を主張することができないとの答弁しています。


 以上のように日本帝国の降伏が条件降伏か無条件降伏かはなかなか難しい問題です。 

 ただなにか条件降伏と無条件降伏に優劣があるかのように拘る人がおられますが、単に降伏の形式の違いに過ぎず、日本帝国の降伏形態を歴史学上の問題として検討することは吝かではありませんが、なにやら左右両派による歪な論争にはそれに組みする気はありませんし、興味もありません。 


別に私は自信満々というわけではありませんし、あなたを無知だと思ったことはありません。条文の読解に誤解があるようなので正確に再読することをすすめただけです。

 まことに申し訳ありませんが謝罪や訂正が必要だとは考えません。


# 福山達也

kumarin様、こんにちは。コメント、提示された資料ともに拝読致しました。

歴史観が変わるとポツダム宣言の文章の読み方まで変わるということがわかりました。

それでいくつか質問があります。

1)世界中の大多数の人々は「ポツダム宣言を受け入れ、大日本帝国は無条件降伏した。」ということを歴史的事実だと信じていることはご存知でしょうか?(この考え方(読み方)が普通だとは思いませんか?)

2)アメリカ人の前で『歴史の経緯の上ではいわゆる「無条件降伏ではない」との認識は正しいものです。』と面と向かって言えますか?

3)GHQが日本を占領統治したことの整合性をどのようにお考えなのですか?

4)大日本帝国ポツダム宣言受託の際、日本側からの条件をアメリカが了解した文書が存在しますか?(大日本帝国の要求は受け入れられず、確認しただけで結局は無条件でポツダム宣言を受託したと思うのですが、私が間違っていますか?大日本帝国が無条件で降伏することを大日本帝国の無条件降伏と言うと思うのですが、私が間違っていますか?)


以上、kumarin様がどのように認識されているのか、興味を持ちましたので教えてください。よろしくお願い致します。

以下に参考資料を出しておきます。


1945年 日本が無条件降伏

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-5/ad1945a.htm


Militarism and WW2 (1912 - 1945)

http://www.japan-guide.com/e/e2129.html


無条件降伏と日本の変革

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/mujokenkofuku.html


8月15日 「無条件降伏とは」

http://www.dupuy.jp/815.html


摂津守様、こんにちは。コメント、拝読致しました。

まず、摂津守様がkumarin様のコメントを読んで以前の摂津守様の書き込みに適切ではない表現があったことを認めたことを確認させてください。このような場合は、前言の文章の部分訂正あるいは撤回を私が摂津守様ならば致します。

あと、摂津守様のポツダム宣言の読み方は理解しましたが、それで以前述べられた「特攻に関して、最近の研究では「神風」、「硫黄島」、「沖縄」がアメリカの方針を徹底的な対日完全勝利(無条件降伏方式)から妥協による対日早期和平(ポツダム宣言)へと舵を切らせた一因と考えられるようです。」というのは、どこの誰によるどんな解析をした最近の研究なのか不明のままになっています。「神風」、「硫黄島」、「沖縄」が舵を切らせた一因と考えられる根拠は提示することができないということでよろしいですね?それから摂津守様のポツダム宣言の読み方が「日本帝国の降伏が条件降伏か無条件降伏かはなかなか難しい問題です。」という自覚はあるということでよろしいですか?だとすると私に「無条件降伏の件に関しては、ポツダム宣言を丁寧に再読検討することをおすすめする。日本の無条件降伏を求めた条項はありません。正しい条文理解お願いします。」と言っておいて私からの反論に対して「別に私は自信満々というわけではありませんし、あなたを無知だと思ったことはありません。条文の読解に誤解があるようなので正確に再読することをすすめただけです。まことに申し訳ありませんが謝罪や訂正が必要だとは考えません。」と答えるのは失礼だと私は思いました。私の方も失礼ながら今回で一方的にやり取りを終わりにしようと思います。後出しジャンケンのようであり、また謝罪もできないし訂正すらもできないのでは、私の討論相手選考基準を満たすことができません。まことに申し訳ありませんがご理解のほど、よろしくお願いします。


# kumarin

福山さま。

 摂津守様への苛立ちが少しご冷静さを失われていらっしゃいませんか?どうか僕のコメントを今一度お読み直しください。貴兄の今のご質問への答えは僕の前のコメントに含まれていると思います。歴史観が違うと先入観をお持ちになられていませんか?

 今一度よくお読みになって頂ければ1)について経緯の細かな部分はともかく僕にはまったく福山さまのご質問に異論がないことがご理解頂けるのではないかと思うのですが。


 大日本帝国陸海軍の無条件降伏と大日本帝国の無条件降伏のニュアンスの違いの駆け引きでアメリカは水面下の外交でも日本に勝利したのです。アメリカが大日本帝国の無条件降伏と同等の結果を得ている以上「無条件降伏ではない」と声高に主張することは神道ナショナリズムルネッサンス以外に意味がないと僕は申し上げております。政治的関心から「無条件降伏」を云々するつもりはまったくありません。


 むしろ僕が関心を持つのは摂津守様が述べられましたように『もともと「降伏」とは軍事用語であり、限定された意味で使用されました。』という点です。そこで英語にお詳しい福山様にお尋ねしたいのですが「surrender」という語が指示する概念はこの60年間不変だったのでしょうか?摂津様が述べらるようにニュアンスの変化はなかったのでしょうか。あるいはなぜわざわざ「of all Japanese armed forces」が付加されたのでしょうか?もし摂津様が述べらるように軍事用語であって、60年前もそうだとするならわざわざ「of all Japanese armed forces」が何故付加されたのでしょうか?文献学の方法論などではこのように単語の意味の微妙な変化を時間の流れの上で検討して、現代から見た習慣的な意味に拘泥せずにその時代に即した本来の意味をあぶり出していくのが正攻法です。それを複数の言語での翻訳テキストがあれば言語圏ごとの土着的、あるいは宗教的習慣なども考慮しながら検討します。そして普通だと思われていた歴史の常識はひっくりかえる。その目的はその結果を政治的に利用することではなく、むしろ政治的思惑を排除しより事実に近い歴史解釈をすすめることです。


 近代史はまだ時間的に生々しくそうした方法は百家争鳴を引き起こすのですが、古代から中世にかけての事象はかなり多くの常識がひっくり返されました。例えばそうした手法で明らかにされてきた中国、朝鮮、日本に伝わる仏教思想は「時間」と「ことば」を軽視する点において仏教ではないという考え方も最近は多くの学者の支持を得るようになりました。


# 摂津守

古の朝鮮のような無益な正邪党争に軽いめまいをおぼえます。



 謝罪と訂正を求められ、諭される立場に自分が立たされていることには苦笑を禁じ得ません。

 私の意見を正確に理解しようという姿勢が最後まで無かったことは残念に思いますが、あとは皆様が判断していただければよろしいことで。 木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」での議論より


 もとの議論は摂津守氏から述べられたもの。僕は専門ではないので以前に石原完爾を囓ったときになんとなく知っていたというのに過ぎない。しかしここで最初に申し上げておかなくてばならないことは無条件降伏であったか条件降伏であったかによって日本の名誉がどうのと云々するつもりはないし、政治的議論にこの結果を利用しようなどとは端から考えていないことである。愛国心故に条件降伏説を支持するなどばかばかしいにも程があるのであって、歴史の流れのなかでアメリカも追いつめられていたということに過ぎない。アメリカにとってサイパン、硫黄島、沖縄と犠牲者が増えるにつれ国内世論も無視出来ないし、ドイツ戦終了後ソ連が南下政策をとるのも目に見えている。アメリカが日本に対してドイツの轍を踏みたくないと考えるのは当然であって南北戦争の無条件降伏を思い描いていたルーズベルトからトゥルーマンに交代しカイロ宣言からより日本が受託しやすいように日本への要求を軟化させポツダム宣言を発したのは為政者として必然なのである。


 トゥルーマンは条件降伏で日本に受け入れやすい状況をつくり戦争をアメリカ主導で目標の時間までに終結させられると判断しその目的を達成したと言えるのである。政治家が条件付降伏か無条件降伏かなどという違いに拘泥するよりも、実質を取って自らに有利な情報を操作して行くのはなんら珍しいことではない。日本政府も「条件降伏などと自分勝手な解釈」をしたのではなく額面通りに条件降伏したのである。あとになって吉田茂が「日本は無条件降伏をした」と発言したのは吉田なりの国民やアメリカに対する計算があって発言したものであることに注意を払う必要があるだろう。自らアメリカの傘の下に積極的に入り、軍事を棚にあげたまま経済発展への政策を戦後の日本政府が選択したことが吉田の真意を物語っている。これらを説明するのにわざわざ新しい資料はなんら必要がない。摂津守氏のコメントで十分だと考える。改めて摂津守氏のその部分のコメントを引用する。

# 摂津守

 私の発言を確認いただければご理解いただけると思いますが、ここで「無条件降伏」に関して私の主張するところは、「アメリカの方針が徹底的な対日完全勝利(無条件降伏方式)から妥協による対日早期和平(ポツダム宣言)」へ移行したとの文脈上で、ポツダム宣言には「全日本国軍隊の無条件降伏」という規定はあるが、日本帝国に無条件降伏を要求した条項は存在しないということです。

 1945年2月、米合衆国国務省陸軍省海軍省調整委員会(SWNCC 1944年12月設置)において決定された?天皇の無条件降伏宣言案に全日本帝国軍隊の戦闘停止と連合国司令官への服従の規定?降伏文書案に日本軍の全面敗北と連合国軍への無条件降伏に関する天皇大本営の署名欄設定などの方針が、1945年7月26日に発せられたポツダム宣言ではグルー国務次官の進言により天皇関連条項が削除されるなど大幅な変更が加えられ、1945年8月10日にはSWNCCは天皇の無条件降伏宣言案を修正し、無条件降伏を大本営と日本軍隊に限定する規定に変更、翌日にはイギリス政府の提案を受けて天皇の署名を要求することを断念するなどカイロ宣言に見られる対日無条件降伏要求が大幅に後退しています。


 ご覧のように摂津守氏はこうした歴史的事実を述べたのであって僕も事実としてそう思うと同意したに過ぎず、摂津守氏はソ連邦崩壊後のグラスノチとアメリカの公文書公開によって新たに明らかになった事実がトゥルーマンの為政者としての必然の決断を裏付けられることを時系列に述べられたのである。なにも歴史観の違い云々の問題ではないと思う。昨日も簡単に触れたが「世界の人々が日本は無条件降伏したと信じてい」ようがいまいが新たな事実は事実に過ぎない。世界の人々はその限られた情報で信じるのであって新たな事実が発見されれば信じなければよいし、信じていたことが誤っていたことが分かったら誤りを正していけば良いだけのことで、同じ議論の枠内の対立点とならないのは誰が見ても明らかであろう。キリスト教徒が内面の問題として神を信じるのとは次元が違う話である。従って摂津守氏が言われるように日本の降伏が無条件降伏ではなかったということは僕の愛国心とは何の関係もないことには注意を払わなければならない。そして無条件降伏が新たな資料の公開によって条件降伏になったからといって、日本が主張すべき事はなんにも変わらないし、世界の中での日本の地位も変わらないし、諸外国との関係も変わらない。故に僕は「福山さまのご質問に異論がない」とお応えしたのである。木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」での議論より

 以上簡単だが僕の「異論がない」真意の説明としたい。論点は「歴史観」は関係がないということ。「愛国心」も関係がないということです。もう一点、福山氏の摂津守氏への対応は読者のかたに委ねたいが、僕自身の感想を述べさせて頂ければ昨日のエントリの繰り返しになるが「自己に依存した権威主義そのものに僕には思えるのだけれど如何だろう。歴史観は拘泥するものではなく新しい事実や研究成果を受け入れて変えていくものであると僕は考えているので、自らの歴史観の違いを論点に据えるのは僕にとってはナンセンスなのだ。」ということになろう。でもこののまま終わるのも申し訳ないので以下に一つだけ資料を。アメリカの国務省による日本の条件降伏を論じたテキストです。つまりポツダム宣言当初の条件降伏から無条件降伏への日本占領の路線の転換が示されており吉田茂が「日本は無条件降伏をした」と発言するにいたるまでの日米の両国政府の利害が一致していて興味深い。

アメリカ合衆国外交関係文書・1945年・ベルリン会議』の中の第1254文書、「国務省覚書・1945年7月26日の宣言と国務省の政策との比較検討」

(1)この宣言は日本国及び日本国政府に対して降伏条件を提示した文書であり受諾されれば国際法の一般規範によって解釈されるべき国際協定となるはずである。国際法では国際協定は双務的なものであり、不明確な条件は受諾した國に有利に解釈され、条件を提示した國はその意図を明確にする義務を負うものとされている。 

 一方、国務省の政策は、従来「無条件降伏」とはなんらの契約的要素を含まぬ一方的な降伏のことだと規定して来た。


(2)宣言第13項には日本国政府の「誠意」が言及されているが、これは降伏条件履行がある程度まで日本政府の「誠意」にゆだねられることを示している。

 これに対して国務省の政策は、降伏の初期段階では一切の要求が連合国によって実施されるべきであり、日本当局の誠意に頼るべきでないとしていた。


(3)宣言は無条件降伏が「全日本国軍隊」にのみ適用されるものとしている。

 これに反して国務省の政策は、無条件降伏が軍隊のみならず天皇、政府および国民を含む日本国全体に適用されるものとし、これらのものはひとしく連合国の政策実施のために必要と判断する一切の行為に黙従するべきであると解してきた。


(4)宣言は現在の日本国政府が「誠意をもってこれらの条件を遵守するかぎり」継続し得ると解釈する余地を与えている。また宣言は天皇が宣言に示された諸条件を受諾し引き継いで在位するが、軍国主義的助言者を直に解任し、憲法を改正し、選挙を実施し、その結果に基づいて政府を組織し、この新政府をして宣言に示された条件の実施に当たらせるとも解釈できるようになっている。

 国務省の政策は、それとは相違して、連合国政府がその目的を達成するまでの間、日本統治の全権を保有すべきものとしてきた。


(5)宣言第6項、第10項、第13項の規定は、占領の目的が単に日本政府に圧力を加えることに限られ、日本全土の軍事占領を想定していないかのような印象をあたえる。

 このような解釈には疑義がある。信頼に値する新政府が樹立されるまでの間、一時的に日本政府は存在しない状態の生ずる可能性があることを宣言が示唆されていると理解すれば、日本全土を軍政のもとに置くことは可能なはずだからである。この場合占領されるべき「地点」の数は無制限でなければならない。

 国務省の政策は、右のような軍政による直接支配のみを想定しており、それなくしては日本国軍隊の完全武装解除戦争犯罪人の逮捕、民主主義的傾向の助成強化、言論・宗教・思想の自由及び基本的人権の確立、賠償の取り立て、日本産業の非軍事化、日本による原料支配の防止等々の諸目的は達成されないものと判断している。


(6)一見したところ、この宣言が想定している軍事占領は、限定された地点の占領であるにせよ日本全土の占領であるにせよ、いわゆる戦争法規上の占領なのではないかと解釈される余地を残している。そうであれば占領は、秩序の維持、占領軍の安全確保、占領地の現行法体系の枠内で敵国政府が行う行政に影響を及ぼすこと等々(ハーグ陸戦規則第43条参照)というような限定された目的のための通常の占領となり、宣言の諸目的達成のためには不完全なものとならざるを得ない。

 国務省の政策は、無条件降伏によって一時的にせよ連合国は、日本国政府の有する一切の権限を行使するものとし、その結果占領軍当局は戦争法規の下で通常の軍事占領が行われた場合よりも、はるかに強大は権力を行使し得るものと了解している。云々。

江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』より抜粋

*1:分かりやすいように直接の議論から外れているものは省略した。全文は 木走日記「人間爆弾」桜花からの生還~「出撃した日は、桜が満開でした」を参照。