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フォアグラは仏文化の「遺産」、仏下院が法案可決

木走日記:「靖国法案」を国会決議せよ!~うらやましいぞ仏「フォアグラ法案」から

 木走さんとこでフランスのフォアグラが仏文化の「遺産」であるとした法案を全会一致で可決したニュースを取り上げて大胆にも「靖国法案」と対比させて読者の意見を募っていた。こえださんじゃないけど「まあ喜んでブログにするのは木走さんくらいでしょう」ってとこですかね。動物愛護団体イスラエルなどがフォアグラは残酷だと非難しているんですね。僕もめったに書かないようなコメント書いたらこえださんから自分のブログにもこのコメントのようなことを書けとリクエストをいただいた。へぇこういうテキストの需要もあるかなと思いとりあえずまったく同じだけどテキストだけど自分のほうにものせて於くことにしました。

フランスとしては当然の態度表明 木走さんへのコメント 

 フランスのやり方は正解なんですよ。人様の食生活にとやかく言うなってことでしょ。くじらでもプレサレっちゅう生後2週間の乳のみ仔羊でも同じ話。秋田じゃ熊も食べる。人間様が生きていくのに他の生命を犠牲にしなければならないのは原罪だし、それどころかてめぇら戦争で同じ人間の命を奪うことすら解決出来ないアメリカやイギリスの動物愛護団体がガタガタ言うんじゃないっつーの。

 フランスの文化というのは確かに食生活で多くの動物の命を奪うしフォアグラなんて残酷そうに見えるけどそのかわりアメリカみたいにその命は無駄にしないよ。骨や筋はちゃんとソースにするし鶏の鶏冠だってザリガニのソースで煮てパイに挟んで食べちゃう。ただ捨ててしまうなんてことはしない。豚だってそう。血はブータンというソーセージにするし腸だってソーセージの皮になる。毛皮は玄関の敷物。最後の最後まできちっと使いきって更に神の加護を祈る。アメリカの原理主義とは大違いのカソリックの魂がまだ生きているんだね。だからそういう国フランスが今回みたいなことをしたって僕は全然違和感を感じない。彼ら当然の態度表明だと思うよ。

 フォアグラって言えばリヨンに住んでいた頃、同世代のフランス料理の修業に日本からきたコックさんたちと結構仲良くやっていたから朝5時頃起きて彼らと彼らが働く店のシェフ達とリヨンのマルシェに仕入れに行くのに良く一緒について行った。ボキューズさんやらトロワグロさんやらアラン・シャペルさんやピラミッドのギー・ティバルさんやら蒼々たるメンバーだった。それで買い物が終わると市場の中のカフェで冷やしたモン・ラッシェの一級畑を軽く飲みながらフォアグラを食べるんです。前の晩にアンチエ(丸ごと)でブランデー掛けてブレゼしたヤツがカウンターの上に乗っていて各自自己申告で勝手に取って食べるのがサイコーに美味かった。ンー、パルフェッ!チュッ!って感じで。忘れられません。

 仏教から変わった食習慣をの話を一つ。せっかくフランスの話したからフランスの仏教学の成果から。だいたい1、2世紀からおそらく10世紀くらいまでに中インドで編纂されていった Mahaavastu (マハー・ヴァストゥ)というサンスクリットの文献があるんだけどスナールというひとの刊本(Le Mahaavastu, ed E.Senert vol3 Paris 1882-1897)で3巻500ページ弱の一つのまとまった仏教文献としては厖大なものなんですが。内容はと言えば早い話が坊さん向けの書じゃなくて坊主見習いや在家信者の為にブッダの前世からの生涯の説話的ストーリーを借りて「業」と「授記」を説く般若経など一部の大乗経典の基になりながら併存し相互に影響し合った文献があるんです。でそのなかでブッダが過去世で牛王だったころマーラという悪魔も過去世なのでジャッカルのギリカという存在だった。でその牛王は睾丸が垂れ下がっていたのでギリカは睾丸が落ちてきたら食べようと思っていつも後ろに付きしたがったという。結局睾丸は落ちないことを知ってギリカは諦めて牛王から離れるのだけど実はこの話はブッダがさとりを開いたときに耳元に歩み寄ってブッダを誘惑する悪魔の話へ過去世からの因縁として連結されるのだけど今日はその業の話はしません(笑)。

 つまり当時のインドには牛の睾丸を珍重して食べるという習慣があったことをこの説話は示唆しているのです。いつか鮎川先生がヒンドゥーも昔は牛を食べたと仰っていたことがありましたが、まさしくその証左であるわけですね。牛肉だけでなくキンタマまで食べちゃったわけです。ブッダはヒンドゥー思想を否定したひとだけれどもマーラはまさしく当時のヒンドゥ文化を代表するバラモンです。人間の食べ物なんて時代と習慣、つまり文化によって様々なものがあるんだと思います。では。

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- 生きとし生けるものが幸せでありますように -



Part1 PartII に寄せられたコメント

MasayaMasaya 2005/10/23 21:21

> つまり当時のインドには牛の睾丸を珍重して食べるという習慣があったことをこの説話は示唆しているのです。

一読して、

「なるほどなぁー」

と、感じました。

今のインドで、ヒンズー教徒が、

「牛は神聖たる存在である」

と、牛肉を食べないことは知っています。

が、この話を読んで、仏教の考えが残って変化して、ヒンズー教の教えに戻っても受け継がれていることを初めて知りました。参考になります。

ところで…。

> 人様の食生活にとやかく言うなってことでしょ。くじらでもプレサレっちゅう生後2週間の乳のみ仔羊でも同じ話。秋田じゃ熊も食べる。人間様が生きていくのに他の生命を犠牲にしなければならないのは原罪だ——

と、ありました。

これにも、同感です。

けれども、都会で暮らす人には、“原罪”と言うことをどれだけ自覚出来てるかなぁ、とも感じます。

と、言うのも、農業に漁業・畜産業など、「常に、生き物を殺す可能性がある」職業に就いていたり、身近で感じられる環境に身を置いていれば、

「生きていくのに他の生命を犠牲にしなければならない」

と、言うことが、ことがわかってくるはずだ、と思います。

けれど、都会暮らしをして、ルーティーンワークで仕事をし、スーパーなどの店で、直ぐに食べられる状態の食べ物しか見えない環境に身を置いていると、

「食べるために殺す」

事の意味を、どれだけ理解出来るかなぁ——と、悲しくも感じています。



こえだこえだ 2005/10/24 10:12

くまりんさま

リクエストに応えて頂き、大変恐縮しております。

有難うございました。

リヨン・ピラミッドのオーナーシェフの事が業界紙に載っており、それを

読んでいたら丁度くまりんさまのコメントにもピラミッドについて

触れられており、おぉ!と思ってしまったのです。

今週はちょっとエライ人との会食が入っており、

イベリコ豚を食べてきます。

といってもイタリアンなのですが・・

メイン料理の後のチーズにはヤギのチーズを事前オーダーしておきました。

とても楽しみです!!

ではまた



kumarinkumarin 2005/10/25 22:12

Masayaさん

 どんな生命体にも本能的な根本的生存欲というものがあります。だからフォアグラを取り出され残された肉をマグレキャナールという精肉にされてしまう鴨だって殺されるときは抵抗します。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の言葉を借りれば「フォアグラとして人間に食べられることが晴れ部台だとすれば鴨はどうぞ殺してください!と言って喜んで殺されるでしょう。でもそうじゃないんです。鴨だって殺されるのはイヤなんです。鴨だって殺されたくないという心があるんです。」ということになります。


 人間はおごり高ぶって動物には心はないと言うかも知れませんが我々が大切な人の心、貴重な心、尊い心などと言っているものは根本的な生存欲から発せられる信号、あるいはその積み重ねによるはたらきに過ぎない。心なんていうものは無いんです。様々な一瞬一瞬の働きを総称して心と呼んでいるに過ぎない。人間は少しばかり他の動物より知能が発達したに過ぎないから余計な記憶を作ってそれを積み重ねて「私が」「自分が」とやるけどれどもそんなものを貴重な心、大切な心と自分勝手に名付けて呼ぶのだったら鴨が根本的生存欲から殺されたくないと抵抗したり逃げようとするのも人間様が尊いという心と同じ働きなんですね。


 仏教では心というものをそのように考えるのです。いつもそのように観察していれば原罪という意識は自ずと自覚さなければならないと思う。だから食習慣が違うだけでその本質はみんな同じなんですね。それを槍玉に挙げあう愚かさを人間は僕たち人間は自覚するべきなのです。


こえださん。

 残念ながら僕の訪れたピラミッドはマダムポワンの死と共に終わっています。だからシェフのギー・ティバルさんをはじめ当時のメンバーはもう残っていないと思います。ティバルさんは「リヨンではフォアグラをデネルヴェするときは毛細血管はすべては取らないんだよ。だから食感も好ましいものになるし色も鮮やかなピンク色になる。新鮮だから臭うこともない。リヨンの人々は冷凍のものは食べない。パリでは毛細血管もすべて丁寧に取るんだ。だって新鮮じゃないし冷凍だからね。」なんて言ってましたがまだまだ当時はそんな牧歌的な時代でした。レイモン・オリヴィエはパリだけで料理を食べてリヨンまで足を伸ばさずピラミッドの料理を食べない人はフランス料理を食べたとは言えないといってましたね。現在のピラミッドはマダムポワンの遺産を買い取った方がピラミッドを復興されようとしているんです。良いレストランに育っていれば嬉しく思います。


 マダム・ポワンはツグミのロースト食べるときに「こうやって食べるのよ」と頭にトルションを結びつけ顔の前にテントのように張り出してツグミのお皿を覆い「こうすればすべての香りを楽しむことが出来るのよ。ツグミの命を無駄にしてはいけないの」と教えてくれました。フランス行ってそんな料理の食べ方するとは思わないでしょ。こんなところにもせっかく犠牲になってくれた命を無駄なく使い切るんだというカソリックの思想が生きていたんです。


 ソムリエのたしかルイ・トマジという爺さんだったけどコート・ロティーがロマネコンティより好きだという爺さんでいつも鼻がトナカイのように赤くって赤ワインは必ずコート・ロティーを薦めてくれた。もう亡くなっているんでしょうけどとっても懐かしい。ワイン注ぐときはいっつも胸の前で十字を切って「アーメン、素晴らしい食事に神のご加護を」って言ってくれた。トマジは僕にダリを紹介してくれて小さなスケッチ絵をもらったんだけど、旅の途中でどこかで盗まれてしまって残念なことをしたという思い出があります。