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ジャータカ物語 ワニ王と猿王 208 SusumāraJātaka

予期せぬ質問 ワニジャータカ

f:id:lovelovebear:20080106145729g:image前回のエントリで余所様のうわさ話に自ら乗り込んで対話を試みるなどということをやってみたことを書いたのですが、前半に書いた木走日記でのコメントにトリルさんからワニジャータカ (SusumāraJātaka) について予期せぬ質問がありました。ワニジャータカについてはっきりとした記憶がなく川で水を飲むとワニかどうか記憶が曖昧なもののその川の猛獣に食べられてしまう猿たちをブッダの前世であった猿王が葦の茎をストロー代わりに使えば猛獣に捕らえられることはないと猿たちに説いたような話が大衆部系の説出世部のマハーヴァストゥ (Mahāvastu) にあったようななどと思いつつ、とりあえずテーラワーダ仏教教会のジャータカ解説のページを頼ってみたけれどワニジャータカは残念ながら載っていませんでした。普段から仏教を語るにしても自分の思うことばかり語っている副作用か、他人の興味について少し調べてそれについて私見を述べることの大切さは身に染みているので、なかなかやらない日頃を不遜に思いつつここは tipitaka.org の Vipassana Research Institute から208 SusumāraJātaka (ワニジャータカ J.208 PTS J.ii.) の全文を拙訳で示してトリルさんの期待に添うかは分からないけれども些かの私見を述べてみたいと思います。まぁたとえ期待に添わずともなるべく原意に忠実にパーリ文献特有の単語の欠落などは有部のアヴァダーナ (avadāna) に見られるようなサンスクリット文献の執拗な反復修飾を想定して () 内に補強してみたのでこのテキストからトリルさんご自身の解釈も試みていただければと思います。

208 SusumāraJātaka 和訳

f:id:lovelovebear:20080106145834g:imageしかしトリルさんのご母堂はどうしてまたワニジャータカなんて説話をご存じなんだろうと思ったら Paul Galdone の『さるとわに』という絵本が北村順治という人の訳であるんですがかつては八木田宜子訳による紙芝居もあったようでこれをご覧になったのでしょうか?物語は比丘達が仏世尊を殺そうとさえしたと伝えられる極悪人デーヴァダッタの話をしているところへブッダが話しに加わるところからはじまります。

その昔バーラーナシーでマハーパターパという王が国を統治していたとき、 道を求める人菩薩はヒマラヤ地方で猿の胎内に宿って生まれ、象のように剛力をそなえ、翼のように立派な(吉祥なる)大きな身躯を持って、ガンジス川の曲がりくねったところの人里離れた森に住処を定められた。

そのときガンジス川に一匹のワニが住んでいた。

さて、このワニの妻が菩薩の身躯を見て、 かの猿の心臓の肉に欲望をおこしてワニに言った。

「夫よ、私はこの猿の王の心臓の肉を食べたいのです。」

「愛しい妻よ、私たちは水中に住んでいて猿王は陸に住んでいるのだから、 いったいどうして彼を捕らえることが出来ようか。」

「なんとかして(私のために)捕らえてくださいませんこと? もし心臓の肉を食べることが出来なければ私は死んでしまいそうですわ。」

「そこまで言うのなら恐れることはない。 あなたに彼の心臓の肉を食べさせる一つの方法がある。」 と、妻を安心させて、 菩薩がガンジス川の岸に着座して川の水を飲んでいる時、 近寄ってこう言った。

「猿の王よ、この地の果実は美味しくないのに、 どうしてあなたは(もっと美味な果実を求めずに)古くからのなじみだと言ってこの土地に住んでいるのでしょうか。 ガンジス川の対岸にはマンゴーやパンノキをはじめとした蜜のように甘い果物の限りがありません。 あなたはさまざまな蜜のように甘い果実を食べるためにあちらへ行って住まわれないのでしょうか。」

「ワニの王よ、ガンジス川は水に満ちて広い。(泳いで渡ることが出来ない私が)どうして対岸に行くことが出来ようか。」

「もしお望みなら、私はあなたを私の背中にお乗せして(対岸へ)お連れ致しましょう。 」

菩薩はワニを信用されて「それは素晴らしい。」と同意されると、 「それならおいで下さい。私の背中にお乗りなさい。」と言われて、ワニの背に乗った。

ワニは少しばかり(菩薩を)連れて進んだ後に水中に潜り菩薩を水に沈ませて(溺れさせようと)した。

菩薩は言われた。

「友よ、水に私を沈めるとは、これはどうしたことだ?」

「私はあなたを、正義や善において乗せていくのではない。 私の妻があなたの心臓の肉に欲望を起こしたので、私は妻にあなたの心臓を食べさせたいのだ。 」

「あなたはよく(正直に)語ってくれた。もし私たちの躯の中に心臓があるならば、(私たちは猿は木から木へ飛び移って生活しているので)枝の先端を歩いていて心臓がひどく傷ついてしまうであろう。」

「それならあなたがたは(躯の中に置かずに)心臓をどこに置くのでしょうか。」

「ワニ王よ、近くに、熟した丸い果実が沢山なっているあのイチジクの木を見て見よ。私たち猿の心臓は、あのイチジクの木に吊り下げてあるのだ。」

「猿王よ、もし私に心臓を下さるなら、私はあなたを殺すことはないでしょう。」

「それならあのイチジクの木に私を連れて行くがよい、私はあなたに木に吊り下げたものを差しあげよう。」

ワニは(水の中で溺れかかっている)菩薩を背に乗せるとそこへ行った。

菩薩はワニの背から飛び上がられて、イチジクの木に座して、

「 友よ、(愚かなる)ワニよ。 これら生き物の心臓が木の先端に(吊り下がっている)と考えたとは、あなたは愚かだ。 私はあなたを欺いた。 あなたの身体は大きいが、しかし知恵はない。」と言われて、偈をもって説かれた。

ガンジスの向こう岸にあるマンゴーやリンゴやパンの木々を私はもう求めることがない、私の求めるものはイチジクだ。

まことに汝の身躯は大きく、そして知恵はその大きな身躯に追いつくことがない。

愚かなるワニよ、汝は私を騙すつもりが騙されたのだ。 もう思いのままに行け。

汝が小島において話してくれた美味なるマンゴーやリンゴやパンの木を私はもう求めることがない。

私が望むものはこのイチジク、 このイチジクの木こそ私が望むもの。

(愚かなるワニよ、)今や(汝は)思いのままに行け、もう思いのままに行け。

我が心臓の肉を得んとする汝がたくらみはもう達せられることはない。

ワニは千金を損したように 苦しみ落胆し消沈して自分の家へと帰った。

仏世尊はこの話を説かれて、過去を現在にあてはめられました。

「その時ワニ王がデーヴァダッタであり、その妻がチンチャマーナヴィカーであった。 しかるに猿の王はまさに私であった。」と。

ワニジャータカ PTS J.ii.159ff.おわり

智者であるブッダの智恵を全面に出した説話か

f:id:lovelovebear:20080106145729g:imageデーヴァダッタはブッダの従兄弟であり苦行主義と森林遊行主義を説いて中道を主張するブッダと対立し自らの僧伽を起こした人ですが後代は破僧(教団分裂)をした極悪人として描かれます。また遊女チンチャマーナヴィカーは布施がブッダの教団にばかり集まることに腹を立てた外道たちが遊女チンチャマーナヴィカーを唆しブッダの子を妊んだと言いふらして名声や徳を貶めようとした極悪女として同じジャータカの別話に描かれています。実際に仏教の教説に関わる細かなことはこれ以上に書かれているわけではないのですが、ワニ王も嫁も悪業を積んだのでその悪果としてデーヴァダッタとチンチャマーナヴィカーという極悪人に生まれ変わった業報輪廻の悪業悪果を示唆するものであり、猿は殺生どころか暴力的な戦いすらせずにワニの悪企みを葬り去り、更に美味であるイチジクを得ることが出来た智恵あるブッダの前世として善業善果の例として描かれています。

f:id:lovelovebear:20080106145724g:imageしかしこのワニジャータカには苦行を賛美する、あるいはその苦行の結果不浄なるものを捨てて清浄なる霊魂を手に入れることによって通インド的な梵我一如思想に後押もされながらではあるとは言え、如来蔵思想に連なるような北西インドへ伝承され人気もあったジャータカに見られるような苦行者としてのブッダではなく、なによりも徹底的に智者であるブッダの智恵を全面に押し出しています。ジャータカから発展した物語で人気があったものの代表格と言えば自らの身を焼いて帝釈天に施そうとした兎ジャータカや我が国の法隆寺にある玉虫厨子の左側面に描かれる施身聞偈図の元になった雪山童子の説話ですがこのワニジャータカは仏教の流れのなかでは思想的にそれらと対極の位置にあるといってもよいでしょう。施身聞偈の説話ではブッダは、前生においてバラモンの修行者としてヒマラヤに住み、羅刹が清々しく唱える「諸行無常、是生滅法」という偈頌を聞きます。「諸行無常」にハッとしたブッダはこの句には結びがあるに違いないと、その羅刹に結びを教えてくれるよう頼みます。羅刹は「自分は腹が減っている、お前の肉を食わせてくれたら教えてやろう」というので、「この身をあなたに捧げよう」と約束をしたブッダは結びの「生滅滅已、寂滅為楽」を教えてもらいます。その句の意味を深く味わい、岩にその句を書き込み、約束どおり、我が身を与えようと崖の上から身を投じると、そのとたん、羅刹は帝釈天の姿となり、空中でブッダを抱きとめて救い「あなたこそ真の道を求めるひと、求道者である」と讃えたという物語がありますがこれは大乗『涅槃経』「聖行品」に引かれもします。

f:id:lovelovebear:20080106145834g:image雪山童子の物語に見られる思想は表向きはあくまでも「諸行無常、是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」には違いなく仏教を表明するものなのですが、しかしこの物語が西インドへもたらされ大乗経典に引かれもする頃には肉体を提供しても寂滅を楽とする清浄なる心を得ようと苦行に勤しむ森林遊行者を賛嘆する大乗思想が打ち出され、清浄なる心は苦行に因って汚れを落としさえすれば永遠なる真実なる真如としての自己が顕れる如来蔵思想を既に胎んでいることには注意を払っておかなければなりません。ジャータカは大乗経典に取り込まれるばかりでなく7世紀インドで絶大な人気があったと義浄の『南海寄帰内法伝』に記されています。義浄の言うジャータカはサンスクリットに書き換えられてより細部にわたって業報輪廻と善業の功徳が説かれるようになり、善業を積み重ねて功徳を積んだ慈悲の面と清浄なる苦行者としてのブッダの前世の物語が強調されています。そしてパーリ原典に比してより洗練された散文と技巧的な韻文を交互に組み合わせるチャンプー様式と言われる技法を用いて文学的改作がなされているジャータカマーラー (Jātakamālāa) と分類されるものです。パーリジャータカから代表的な人気のある作品が取り込まれていますが、このワニジャータカは見あたりません。義浄によれば「時に戒日王極めて文筆を好む、乃ち勅を下して曰く、諸君但し詩讃を好む者有らば明日旦、咸将て朕に示せと。其の総べ集むるに及び五百夾を得、展べて之を閲するに多く是れ社得迦摩羅 (Jātakamālāa) なり。方に知る讃詠の中には斯れを美の極と為すことを。南海の諸島十余国有り、法俗を問うこと無く皆諷誦すること前の詩讃の如し而も東夏未だ曾て訳出せず」とジャータカマーラーの隆盛ぶりを記しています。ジャータカマーラーを愛好したとされる王や商人にはこのワニジャータカのようにブッダの智恵を取り上げる物語でなく苦行を賛美する物語が好まれたのでしょうが、こうしたことは智恵を描く物語が思想的に排除されたと言うより通インド的なるヒンドゥー的聖者のあり方が仏教伝承のうちにも無意識に習慣的に選択されて行ったことを示唆するもので如来蔵思想や大乗仏教の成立には思想的問題だけでなく社会的背景もまた大いに関わっているエピソードとして興味深いものがあります。

/Sutta/Khuddakanikāye/Jātaka-aṭṭhakathā/2. Dukanipāto

[208] 8. Susumārajātakavaṇṇanā

Alaṃ metehi ambehīti idaṃ satthā jetavane viharanto devadattassa vadhāya parisakkanaṃ ārabbha kathesi. Tadā hi satthā “devadatto vadhāya parisakkatī”ti sutvā “na, bhikkhave, idāneva devadatto mayhaṃ vadhāya parisakkati, pubbepi parisakkiyeva, santāsamattampi pana kātuṃ na sakkhī”ti vatvā atītaṃ āhari. Atīte bārāṇasiyaṃ brahmadatte rajjaṃ kārente himavantapadese bodhisatto kapiyoniyaṃ nibbattitvā nāgabalo thāmasampanno mahāsarīro sobhaggappatto hutvā gaṅgānivattane araññāyatane vāsaṃ kappesi. Tadā gaṅgāya eko susumāro vasi. Athassa bhariyā bodhisattassa sarīraṃ disvā tassa hadayamaṃse dohaḷaṃ uppādetvā susumāraṃ āha– “ahaṃ sāmi, etassa kapirājassa hadayamaṃsaṃ khāditukāmā”ti. “ Bhadde, mayaṃ jalagocarā, eso thalagocaro, kinti naṃ gaṇhituṃ sakkhissāmā”ti. “ Yena kenaci upāyena gaṇha, sace na labhissāmi, marissāmī”ti. “Tena hi mā soci, attheko upāyo, khādāpessāmi taṃ tassa hadayamaṃsan”ti susumāriṃ samassāsetvā bodhisattassa gaṅgāya pānīyaṃ pivitvā gaṅgātīre nisinnakāle santikaṃ gantvā evamāha– “vānarinda, imasmiṃ padese kasāyaphalāni khādanto kiṃ tvaṃ niviṭṭhaṭṭhāneyeva carasi, pāragaṅgāya ambalabujādīnaṃ madhuraphalānaṃ anto natthi, kiṃ te tattha gantvā phalāphalaṃ khādituṃ na vaṭṭatī”ti? “Kumbhīlarāja, gaṅgā mahodakā vitthiṇṇā, kathaṃ tattha gamissāmī”ti? “Sace icchasi, ahaṃ taṃ mama piṭṭhiṃ āropetvā nessāmī”ti. So saddahitvā “sādhū”ti sampaṭicchi. “Tena udake osīdāpesi. Bodhisatto “samma, udake maṃ osīdāpesi, kiṃ nu kho etan”ti āha. “Nāhaṃ taṃ dhammasudhammatāya gahetvā gacchāmi, bhariyāya pana me tava hadayamaṃse dohaḷo uppanno, tamahaṃ tava hadayaṃ khādāpetukāmo”ti. “Samma, kathentena te sundaraṃ kataṃ. Sace hi amhākaṃ udare hadayaṃ bhaveyya, sākhaggesu carantānaṃ cuṇṇavicuṇṇaṃ bhaveyyā”ti. “Kahaṃ pana tumhe ṭhapethā”ti? Bodhisatto avidūre ekaṃ udumbaraṃ pakkaphalapiṇḍisañchannaṃ dassento “passetāni amhākaṃ hadayāni etasmiṃ udumbare olambantī”ti āha. “Sace me hadayaṃ dassasi, ahaṃ taṃ na māressāmī”ti. “Tena hi maṃ ettha nehi, ahaṃ te rukkhe olambantaṃ dassāmī”ti. So taṃ ādāya tattha agamāsi. Bodhisatto tassa piṭṭhito uppatitvā udumbararukkhe nisīditvā “samma, bāla susumāra, ‘imesaṃ sattānaṃ hadayaṃ nāma rukkhagge hotī’ ti saññī ahosi, bālosi, ahaṃ taṃ vañcesiṃ, tava phalāphalaṃ taveva hotu, sarīrameva pana te mahantaṃ paññā pana natthī”ti vatvā imamatthaṃ pakāsento imā gāthā avoca–

115 . “Alaṃ metehi ambehi, jambūhi panasehi ca; yāni pāraṃ samuddassa, varaṃ mayhaṃ udumbaro.

116 . “Mahatī vata te bondi, na ca paññā tadūpikā;

susumāra vañcito mesi, gaccha dāni yathāsukhan”ti. Tattha alaṃ metehīti yāni tayā dīpake niddiṭṭhāni, etehi mayhaṃ alaṃ. Varaṃ mayhaṃ udumbaroti mayhaṃ ayameva udumbararukkho varaṃ. Bondīti sarīraṃ. Tadūpikāti paññā pana te tadūpikā tassa sarīrassa anucchavikā natthi. Gaccha dāni yathāsukhanti idāni yathāsukhaṃ gaccha, natthi te hadayamaṃsagahaṇūpāyoti attho. Susumāro sahassaṃ parājito viya dukkhī dummano pajjhāyantova attano nivāsaṭṭhānameva gato. Satthā imaṃ dhammadesanaṃ āharitvā jātakaṃ samodhānesi– “tadā susumāro devadatto ahosi, susumārī ciñcamāṇavikā, kapirājā pana ahameva ahosin”ti. Susumārajātakavaṇṇanā aṭṭhamā.

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

トリルトリル 2005/11/26 2:35

こんばんわ。


わざわざ1エントリー設けていただき、本当に恐縮しております。

実はくまりんさんのページはちょっと近づき難くていつも外から覗き見るだけでした。

多分カウンターがあれば多くの方がここを訪れてるはずでしょうが、その割にコメントレスする人が少ないことと関係あるような気がしてます。

ページが荒れる事を厭うてそうしているのなら目論見通りと言うことなんでしょうが、自分には文脈を見てもその様には思えないので、ブッダに限らず良い知恵発見はドンドン供出しながら深化した考察と心のより良い有り様を平易な言葉で大きな間違いを起こさないように解説していただければ、もっと日常の中で救われる人も出てくると思います。


お袋が「ジャータカ」の話をしてきたのは自分が買ってきた本の中にあったからでしょう。

それがどの本なのか?今となっては分かりませんが、中沢新一とかダライラマのインタビュー本等は結構あります。


それとくまりんさんの話を聴いて幾つか自分の記憶違いに気付きましたが、ここでは確かにブッダの前世はワニ王ではなく猿王でした。

お袋に質問されて自分なりに今でも考え続けてるのですが、この話のワニ王、ワニ嫁、猿王、共に教訓めいたモノを論うことは可能です。

また、猿王は騙されてワニの背に載ったのか?偉大なブッダはそれを承知の上で載ったのか?によっても捉え方は変わってくると思います。

我田引水するわけではないのですが、仏陀自身が話されたならこの話に限れば主体的な主人公はワニ王だけであり、講和を聴いた者もワニ王に自分の姿を投射したのではないでしょうか?

トリルトリル 2005/11/27 16:05

続きです。


このワニジャータカの話には、何か生理的な違和感を感じ続けても居るんです。


思うに、一般聴衆の要求や必要に答えていると思われる部分が不明瞭である事。

所謂くまりんさんが言われているような、分離主義者ダイバダッタ(ワニ王)に対する当て付けと前世でさえ素晴らしいブッダ(猿王)という定説的解題では”教団内のご都合主義権威主義”的すぎると思うのです。

まずワニ王は此処では苦行や分離運動をしてるわけでもなくそういう片鱗さえ出てきません。

大体、聴衆の内で信者でなければこの非難は関係ない話で、どうでも良いはずです。

間違いらしい間違いを捜すとすれば、(真に求むべき?)イチジクではなく(思い付きのような嫁の求める儘に)猿の心臓を得ようとしたことぐらいです。

計略を用いたことは非難の対象になるかも知れないですが、猿王もイチジクを得るためにワニ嫁を間接的に焚き付けた?計略を用いた節があるので、深く追究することは憚られると思います。

いや、計略そのものは何ら非難の対象にはなっていないばかりでなく、目的のために手段として必要なら時と場合と程度を選んで用いるように知恵を使うよう勧めているように思います。


こうなると、大体ブッダがダイバダッタを間違いだと退けるにして、前世の因縁話を持ち出すならば、「ダイバダッタは前世でも求むべきモノを間違ってる」って事だと思います。

では、心臓でもマンゴーでもない”イチジク”とは何を象徴しているのかが気になります。

kumarinkumarin 2005/11/29 9:45

トリルさん、おはようございます。

 いろいろとご感想有り難うございます。ジャータカって今の仏教から見るとちょっと特別なんですね。例えばかなり初期仏教原理主義的だなと思わせるテーラワーダ仏教にしてもジャータカを持ち出して仏教教義の説明に使うことはないんです。なぜかというと仏典のうち重要なものは経律論の三蔵を重要視します。そのうち経蔵は聖典とされ初期は殆ど口伝で伝承されました。また経典の思想を示すものは論蔵と言われますが、論もまた重要な核心部分は口伝で伝承され、やがて律蔵に組み込まれ、そののち、アビダルマが思考される時代になると律から独立して論蔵が成立します。ジャータカは番外で経律論の三蔵には含まれず、それらとは別にインドに古くから伝わる説話を取り込みながら後代の仏弟子達が編纂したもので、そのなかで仏教の教理に沿うものと考えられたものについてだけがより増広されて律蔵やさらに後代に成立する大乗経典に取り込まれることはあったものの、基本的にはあくまでおまけみたいなものなのです。勿論、同じ説話が仏教思想と結びつき、やがて仏教思想の変遷と共にジャータカも変遷していくので、仏教史を研究する研究者からはテキスト批判の対象として重要な資料には違いないのですがこれを以て仏教の教理を語るということはないんです。


 そうしたことを前提に考えますと、まずこのワニジャータカは仏教を切り離したおとぎ話としての優劣は別にして当時ジャータカを北西インドに伝えより文学として洗練させていった仏教者には全編に共通に押し込まれている善業楽果、斑業斑果、悪業苦果の業報輪廻の思想を除けば仏教教理としてはあまり見るべきものがない、あるいは不適当であると判断されて、サンスクリットヴァージョンには取り込まれなかったのではないかと考えられます。また同時にそれより以前のこのオリジナルのジャータカが成立した時代にはこのワニジャータカで説かれるようなブッダの分別の智慧への賞賛も後の大乗経典で花開く苦行主義や作善主義、あるいは森林遊行者を賛美する思想と同様にジャータカの主たる聞き手であった仏教にシンパシーを持つ在家の人々にも歓迎されたことを推測することが出来るのです。


 ですから「分離主義者ダイバダッタ(ワニ王)に対する当て付けと前世でさえ素晴らしいブッダ(猿王)という定説的解題では”教団内のご都合主義権威主義”的すぎると思うのです。」とは現代にこのジャータカだけを取り出して言うからそう考えられるのであって、僕のエントリでの考察はあくまで当時の仏教成立後のインドの常識(仏教だけの問題ではなく輪廻転生はあたりまえであること、輪廻転生は業報であって善業を積むことが社会的要請でもあったこと)を前提に、仏教にシンパシーを持つ人々に対して(修行者ではなく)説かれた説話がジャータカであったこと踏まえて考察したものです。アショカの法勅が発せられ、それを巡る文献資料を精査しますと仏教教団を分裂させるものは悪人であるとの常識がインド中に定着していたことが推測しうるので当時の人々にはデーヴァダッタとチンチャマーナヴィカーは、例えば終戦後直ぐの東条英機や、ロス疑惑まっただ中の三浦知義氏などと同様な極悪人と映っていたので、現代の常識で言えば染色体の遺伝子に因ると言われる種の保存の本能が、当時の輪廻転生説では根本的生存欲という意志すなわち無明という煩悩によるもので、その記憶は肉体と共に滅び無明を滅した修行完成者にしか(記憶は)転生されないとされる生命観の前提の上では恐らくこの説話を聞いて楽しんだ殆どの人が”教団内のご都合主義権威主義”などとは考えず、騙して他人の心臓を取ろうとする、即ち殺生を犯すことは仏教ばかりでなく仏教成立以降のヒンドゥー的習慣でも忌み嫌われ出来ることなら道を這う虫すら殺さぬような生活を心掛けるインドの常識では、ワニよりも智恵でワニの企みを葬り去る猿王にシンパシーを感じもっともな話として受け入れたことであるだろうと推測出来るのです。だから当時のインドでは「ダイバダッタは前世でも求むべきモノを間違ってる」ということではないのです。仏教の側としても「殺生を犯す」まえのその因である「心に擡げる欲を滅し」、「心に擡げる欲を滅し」まえのその因である「無明=根本的生存欲を滅す」そのためには「在家者はまず善業を積むべし」という思想ですから「求むべきモノを間違ってる」というテーゼはその論理上俎上に挙げることはなかったと思われます。


 そう言う風潮の中で、ヒンドゥー的な伝統的修行者感である苦行主義や作善主義、あるいは森林遊行者を賛美する風潮が既に仏教はの流れの中にも取り込まれ大乗仏教の萌芽とさえなっていく流れの中で、ジャータカが北西インドへ伝播してサンスクリットヴァージョンのより文学的なものへ発展する際にこの苦行主義も作善主義も示唆しないこの物語が、先に述べたようにその担い手達には仏教教理としてはあまり見るべきものがないと判断されて採用されなかったのではと考えられるのです。あるいは大乗経典初期から中期にかけて伝統教団の法師と呼ばれる苦行主義や作善主義、あるいは森林遊行者を中心に成立していったと考えられる法華経ではデーヴァダッタはブッダの善き友人(善知識)として登場し最後には成仏もさせて仏弟子と彼が和解する様子が描かれますが、伝統教団の根本説一切有部律に因れば彼は森林遊行や苦行主義や作善主義を骨子とする「5箇条」の法を掲げて仏陀の僧伽に揺さぶりを掛けてから分裂し、その「5箇条」の法を定めて衆徒を率いたことが記されており、七世紀にインドを旅行した玄奘は『大唐西域記』にデーヴァダッタがその最期に地獄に堕ちていった時に開いたと伝承される穴が存在したことや彼の教団が「提婆の徒」として後世までも存続していて、ブッダに掲げた「5箇条」の法のうち乳製品等の食禁を守っていたと伝えています。そして伝統教団である説一切有部が苦行主義や作善主義、あるいは森林遊行者に対しても以前別のエントリで紹介したように仏教徒として丁重に扱いブッダの持ち分とされる財産から寝具や坐具、医薬品や食事、死んだ場合の葬送儀礼の費用を援助していたことが彼らの律蔵に記され、「提婆の徒」は当然森林遊行者であり苦行主義や作善主義であったことを考えると仏教史の分野ではとても興味深い事実でもあるのですが、ジャータカ (ワニジャータカを採用しなかった Aarya%suura のJaatakamaalaa の成立は法華経と同時期の2~3世紀と推測されている) が文学的も洗練されていく時期と法華経の成立時期を重ね合わせるとその担い手達がデーヴァダッタを悪とする説話を意識的に採用しなかったとも推測しうるのです。この辺はどちらかというとわめさんのご興味の範疇かもしれませんが・・・


>多くの方がここを訪れてるはずでしょうが、その割にコメントレスする人が少ないことと関係あるような気がしてます。

>ブッダに限らず良い知恵発見はドンドン供出しながら深化した考察と心のより良い有り様を平易な言葉で大きな間違いを起こさないように解説していただければ、もっと日常の中で救われる人も出てくると思います。


 アクセス数のことはあんまり考えていません。コメントについてはいまくらいでちょっと多いくらいかも。たとえ少し遅れても一つ一つのコメントに丁寧にお応え出来るように心がけています。がここにコメントされ方はサイトの性格上長文になるのでこれ以上増えると物理的に返信できなくなってしまうかも知れません(^^;。だから皆さんがコメントしやすい話題は避けて、政治的話題などはこちらからよそ様(例えば木走さんとこ)に出かけていくようにしています(笑)。

 また「日常の中で救われる人も出てくる」とすればそれはそれは有り難いことには違いがありませんが、未だ自分自身も救えもしない一介の仏教の徒に過ぎぬ僕などは試行錯誤しながら自分が救われるつつあるのかも分からぬそのプロセスの片鱗を恥も顧みずにお見せするのが精一杯で、人様を救うなどと慢心を起こせば最後、瞬時に権威主義、あるいは場所の哲学とでも言いうる地獄へ真っ逆さまに落ちてしまうでしょうから、そうした慢心には注意を払い過ぎても払い過ぎであろう筈はなく『走っても疾過ぎることはなく、また遅れることもなく』時間軸のただ今この瞬間、瞬間で押し寄せる過去を自己反省しながら『一切のものは虚妄であると知って』未来を選び取っていくことで『この世とかの世をともに捨て去る』ことが出来るように『犀の角のようにただ一人歩んでいく』しかありません。


*******

- お幸せでありますように -

トリルトリル 2005/11/29 14:41

こんにちわ。


まー腑に落ちるも落ちないもそういうモノだというのならそれまでなんですけど。

自分も高野聖小栗判官の話は好きですから、遊業の中で話が変質したりというのは有りだと思います。


トラやワニは肉食故にカーストが低く下賤だからその為に知恵を働かして口を糊するのは卑しい行為で次回の転生でもその報いを避けられない?

嫁さん相手は駄目だが、鬼子母神はどういう扱いになるのだろう?

善悪を一刀両断するとマグダラのマリアも、大衆的な価値と対立しますよね。

猿が知恵を使って他人を利用し木の実を得るのは褒められること?

後に仏教団が苦行僧等を近親者として支援したというのはホッとしました。