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「三世の説き方」を気に入ってくださり有り難う

ゲストさま

 6月17日のエントリ《三世実有 - 過去・現在・未来は確実に存在する? 》にちょっと嬉しいコメントを戴きました。なのに昨日書いたように毎日草臥れてしまってちっとも返事を書けないまま一週間が過ぎてしまいまことに申し訳なく思っています。ようやくポチポチ書いて見たら長くなって話も本題から飛んでしまったようなところもあるのでエントリにしました、すんません。

>安らかなるブッダの《さとり》という未来をたぐり寄せるあまりに人間的な願いと行為だったのである。

三世の説き方で、こんなに素晴らしいお話を伺ったことはありません。

実を言えばパート1でも、良い教えをコピーして仕舞ってあります。ただ法を説くばかりでなく、グルメなところが親しみをもてます。オリジナル(旧サイト)の『三世実有 - 過去・現在・未来は確実に存在する?』についたコメント

 ゲストさま、コメント有り難うございます。そしてレスが遅くなったことをお許しください。まずは「三世の説き方」を気に入ってくださり有り難うございます。とは言ってもこれはあくまでも仏弟子たち、特に在家の弟子たちの想いを想定しているのですね。本来ゴータマ・ブッダその人は未来をこのようには考えなかったと思います。ある意味ヤージニャ・ヴァルキアの忠実な後継者と言うことが出来るゴータマ・ブッダはむしろ非人情の哲学的論理に立って無明(宮元博士はこれを根本的生存欲と訳されます)を滅し、故に人生の苦しみから解放され涅槃に達した。しかし我々を含めて俗世間の信者たちにはそんな非人情なことはやろうとしたって出来ないわけです。そこで当然のようにゴータマ・ブッダへの強烈な憧れが生じます。それが真実の言葉でたぐり寄せようとする未来であるわけですね。しかし仏教はゴータマ・ブッダの純粋な教えだけではないわけで人々の自己の品質管理ともうしましょうか、倫理的要請に対して自己自身で答え解決していくという人格形成も含意しながら発展したわけで、そうした情意の側面こそ仏教を豊かにした原動力とも言えると思うのです。

 チベット仏教の中興の祖とも言いうるツォンカパは悟りも涅槃もないという否定的側面の強いナーガールジュナ以来の空観にダルマキルティー以来の仏教論理学を自らの核に据えながら、ゴータマ・ブッダの五蘊を因として涅槃がある、故に縁起によって涅槃はあるのだから涅槃に自性はないと、世俗の現実的な存在の有効性を認めた上で否定的側面と肯定的側面を両立させながら中観派の空観を発展させました。この思想はチベット仏教の主流になっていきますね。そして肯定的側面がある故に密教的なタントリズム共存しながら育つわけです。彼もまたチベット仏教の中興の祖であるばかりでなく世俗的生活や文化も包括し仏教を豊かにした立役者でもあると思います。結局大乗仏教とはゴータマ・ブッダの非人情の哲学を人情で膨らませて人々の夢を育んだ全アジア的な2000年にまたがる運動だと言えるのかも知れません。そんなこと言うと創価学会も入っちゃうんですが。逆に言えば仏教以外にも非人情な論理に貫かれた哲学者を生んだインドにおいては仏教が人情に流されたことが仏教が衰退した一因なのかもしれません。ディグナーガ、ダルマキールティとウッディヨータカラあたりの議論はヒンドゥ側のウッディヨータカラに歩があるように思います(苦笑)。

 グルメとはお恥ずかしい限りですが煩悩の極みですね(自爆)。いちおう宮沢賢治の「わたしたちは、氷砂糖を欲しいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことが出来ます。またわたくしははたけや森のなかで、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものにかわっているのをたびたび見ました。わたくしはそういうきれいなたべものやきものをすきです。(注文の多い料理店の序より引用)」という言葉を肝に銘じていつでもそう言う生活を受け入れる心の準備だけは終えておくという覚悟は持っているつもりですのでどうかお許しくださいませ。

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では、お幸せでありますように。

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

ゲストゲスト 2006/7/3 20:34

お忙しいのに有難いレスを下さり、却って申し訳ありません。

三世の説き方は、早速、先日の法話で使わせていただきました。もちろん、くまりん様のお話としてです。


>仏教が人情に流されたことが仏教が衰退した一因なのかもしれません


くまりんさまに反論する意図ではなく、個人的見解として・・・

私は、道元禅師の「仏法もし加せずんば人天の苦しみ若為せん」の言葉にある様に、インド仏教が民衆の加持祈祷の要望にこたえなかったのが原因ではないかと思っています。

kumarinkumarin 2006/7/4 5:23

ゲストさま。コメント有り難うございます。


>>先日の法話で使わせていただきました。

お坊様だったのですね。法話の時に「インターネットのくまりんの話」なんて注釈付けるのも変でしょうからそんなお気遣いは無用です。むしろわたくしごときの話が仏教を少しでもゆたかにするお役に立てるなら現場で使っていただけるなど大変に嬉しく思います<m(__)m> 


>仏教が人情に流されたことが仏教が衰退した一因なのかもしれません


こんな風に一行に書いてしまえば反論される余地充分です。「民衆の加持祈祷の要望にこたえなかった」の前提として「ヒンドゥー教と差別化を図り仏教としてのオリジナリティーを保った上で」と付加するなら仰るとおりだと思います。それはまた西ローマ帝国の崩壊によって支持基盤たる商人層の没落で説一切有部を筆頭にする上座部の教団経営が窮地に立ち、逆に信仰を突き抜けるような哲学を頂点としながら勢力を民衆へ拡大して巻き返していたヒンドゥー教への憧れが、実際には上座部教団に属していた大乗の法師達をしてヒンドゥー的人情に流され、やがて密教へと発展して行きヒンドゥーと同化し飲み込まれてしまったとわたくしは個人的には考えています。



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では、お幸せでありますように。