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軍国主義 官僚的集団指導体制のなれの果て

日本陸軍英傑伝--将軍暁に死す --岡田益吉

 1945年、沖縄上陸での多大な犠牲者の数は日本本土上陸をせずになんとか戦争を終結したいと米指導部に思わせるに至りました。トルーマンは我が国からみれば非人道的犯罪者ですがアメリカ軍の犠牲者を沖縄戦以降増やさなかったのはアメリカの大統領として当然の仕事だったのですね。そういう意味ではアングロサクソンは偉い。日本には昭和以降このような指導者は現れていないのではないかと思います。勿論そういう素材がいなかった訳ではないのでしょうが何かというと集団指導体制の法とシステムをもつ我が国ではそうした逸材は官僚機構ので中で潰されてきたのです。岡田益吉という明治生まれのジャーナリストは『日本陸軍英傑伝―将軍暁に死す (光人社NF文庫)』(1992 新版 光人社)で、既にそうした戦前の日本の集団指導体制の欠点を指摘しています。

 岡田益吉は明治32年の生まれ、早稲田大学を卒業し東京日々新聞(現在の毎日新聞)の政治部記者になり、後、満州国情報科長になった人。そのころ軍部の将校たちと親交を深め、そのつきあいの中から信頼するにいたる見識や思想、人格を持った将軍たちが軍閥政治の中で失脚していく悔しさを記事にしています。描かれている将校は、永田鉄山栗林忠道牛島満阿南惟幾、本庄繁、山下奉文本間雅晴、小畑敏四郎、石原完爾、根本博の各将軍たち。ここには所謂、皇道派と統制派の双方の人たちが含まれているのですが、筆者は皇道派と統制派を士官学校組と天保銭組(陸大組)、あるいは昭和維新推進グループと双葉会グループと、戦後の知識人が貼ったようなレッテル分けはしていません。皇道派は仮想的をソ連におく反ソ・親英米、統制派は仮想的を米国におく反米とその思想と政策が根本の違いだとするのです。そこがこの著者の視点のユニークなところです。

 人が逸材に育つのは、大物を生んだ町に育ったからというような明治的記述もあるのですが、その人物分析の視点は優れていると思います。彼らが大本営東条英機と意見を異にし噛み合うことなく予備役に編入されたり、あるいは致命的な最前線に送り込まれて非業の最期を遂げるのは知られていることですが、その発言や周りの人間の証言を取り上げながら思想や政策、戦略に迫っていくと毎回ながらもし歴史に「もし」が許されるなら今の日本が大きく変わっていたに違いないことを想像するのは難しい作業ではありません。そうした希望を葬り去ったのは官僚的に力を付けていた軍と宮中と政府の相互不理解と誤解、そして何よりも一番決定権のあった天皇その人と逸材たちを天皇に近づけなかった官僚機構であるとの筆者の謗りは免れない事実であるように思いました。なにしろその東条を総理にしたのは他ならぬ近衛と陛下自身なのだから。どちらにせよ軍を含めた政策の徹底的な研究が今日の日本の歩みには大変に必要なことではないのかと今の政治を見ていると思えてなりません。暴走するという意味では当時とあんまり変わっていないのですね、日本の集団指導体制。61年前の7月、トルーマン米大統領が日本への原爆投下を指令しました。