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安っぽいねぇ、「美しい国」なんてキャッチフレーズ

Politic Junk

恥ずかしくなるよな、京都学派と自民党の胡麻擂り合い

 安倍総理の「美しい国」なんてキャッチフレーズを聞いて背筋が寒くなったね(笑)。またぞろ梅原猛氏を筆頭とする京都学派が自民党に擦り寄って自民党もまんざらでもないおべっかでもお返ししたのかなと思ってしまった。安倍もすっかり梅原氏の日本学の手のひらに載せられているのかねぇ?まったく知性のかけらも感じられない政治家だな(笑)。かつて梅原氏が風見鶏中曽根総理に擦り寄ったときその直後に中曽根が道元の勝手な解釈をたれて曹洞宗から抗議されたことがあった。そのとき僕は大燈国師花園上皇に召され時に上皇の「仏法不思議、王法と對座す」に対して国師が即座に「王法不思議、仏子と對座す」と切り返し最後にお互いに微笑した話を思い出した。このエピソードは梅原氏の先達、京都学派の哲学者西谷啓治氏にかかると禅の神髄を顕すような賞賛すべき問答だと言う。

 実際、碧巌録 第一則 「達磨廓然」を彷彿とさせて、もし花園上皇が碧巌を知っていたのなら「おぬしなかなか書物を読んでおるのう」程度の上皇国師の旦那芸のラリーに見えないことはない。碧厳を推測しなければならない点においては確かになにがしかの教養を要求されていることには違いがないが、当時の碧巌が彼らにとって現代の我々にとっての哲学入門書程度でしかなかったとすれば、禅の神髄を顕すのに皇室の権威を借り出す必要をまったく考えない僕としては、かりにそうではなくてもお互いに相手を持ち上げ諂って胡麻を擦っているシーン意外になんの意味があるのかまったく理解しがたいのである。ところが梅原氏と中曽根氏はなんと実際にこれをやっちゃったのだから開いた口が塞がらない。「日本学事始め」なんて駄文を用意されて、日本は仏教外来以前から美しい大乗の国なんですよなんてデタラメを吹き込まれて得意になって失言まで犯し、日本学のための資金提供を約束してしまった風見鶏御大中曽根氏のはしゃぎぶりを見れば勿論梅原氏が一枚も二枚も上手であることは一目瞭然に違いはなかったけれどね。それにしても安倍ちゃんまでが梅原氏の「美しい国」を借用して平然としていられる知性の無さを見せつけてくれるとは思わなかったね。

 まぁ、「美しい国」という言い回しはそれまでの日本が「美しくない国」であった卑下の基に想定されていてなんら高貴な理念を示すものではないことは言うまでもない安っぽいキャッチフレーズなんだね。にもかかわらず戦後60年の間の自虐史観土下座外交、事なかれ主義をいつもの通り人の責任に転嫁してきた日本人がついに目覚めてきたのだと褒めるように論調する人やブログは多いけど目覚めは眠るから存在し悟りは迷うから存在するのだ。冷静に常に自らを観察さえしていれば眠ることもなく目覚めもないし迷いも無ければ悟りもない。君たちは今まで何を観察してきたの?と問いつめて見たくなるよ(笑)。美しいなんて何処の国でもその国なりの美しさはあるわけで、安倍ちゃんのように相対観念から導き出す美しさなんてカスもカスも良いところ。他の国から見たら独善的自意識過剰にしか見えないわな、笑わせんなよな。

 そんな情けない現代のこの国の指導者と哲学者なんだけど中世の日本の指導者哲学者は実はずっとしっかりしていた。そこには日本が伝統的で美しい国だなどいう概念は微塵もない。鴨長明は『発心集』でインド、中国を称えたあと日本を「小国辺鬼の境なれば」と辺土とみなす考え方を表明しているし『平家物語』には「我朝は栗散(そくさん)辺地の境、濁世末代といいながら」と日本が栗をまき散らしたような世界の辺境の地であることを表明している。それを受けて親鸞は師である法然を称えるのに「栗散辺州ニ誕生シテ念仏宗ヲヒロメシム」 (『浄土高僧和讃』)と栗散辺州からの出発を意識し日蓮もまた「末法に生をうけて、辺土のいやしき身」 (『頼基陳情』)と述べる。そして彼らのその直後の文面から共通する思想は我が国を辺土と否定的に意識、自覚して深く他者から学んでいこうとする謙虚な意志である。さらに天皇家系の『神皇正統記』ですら「天竺ハ正中ニヨレリ。ヨッテセンブの中国とナスナリ。地ノメグリ又九万里。震旦ヒロシトイエドモ、五天ニナラブレバ一辺ノ小国ナリ。・・・日本ハ彼土ヲハナレテ海中ニアリ。・・・此国ハ天竺ヨリモ震旦ヨリモ東北ノ大海ノ中ニアリ(世界の中心はインドでそのうちのバンジャーブが中心国と言える。その廻りは九万里にも及びシナ(現中国)がいくら広いと言っても五つの国よりなるインドに比べれば辺境の小国である。日本はこれらの大陸を離れた海の中に位置しインドよりも中国よりも東北の大海の中にある)」と我が国の位置を表明しているのである。そこには梅原氏のように日本は仏教伝来以前から美しい大乗の国であったなどというような奢り高ぶった自意識は見られないし、それをちゃっかり頂戴して政治のキャッチフレーズに祭り上げるような知性の無い政治家の存在が想定されることもなかったということを報告しておこう(笑)。