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いま逃げ場のない子に逃げ場を創れ!

Rice_shower さんからのカウンターパンチ

 先日木走日記さんの問題提起に役にも立たぬような雑考・雑文を書いてしまったが、そのあとに木走りさんのところに JANJAN 時代からの畏友 Rice_shower さんからズバリ直球のコメントがついた。否、カウンターパンチと言ってよい。どうやら我々は目的や効果、根本的解決策などと『いじめ自殺問題』を自己の経験的事実から独立させて、あたかも自己を離れた客観的存在としてデッチ上げたうえで解決策模索する、いわゆる戯論に耽入っていたようだ。今とりかからなければならないことは何か?それはまるでゴータマ・ブッダが弟子マールンキャプッタを叱咤した毒矢の喩えのようにわたしの弛んだこころに突き刺さった。刺さった毒矢のプロパティーなど議論している場合ではない。直ぐに毒矢を抜くことが先決だと。

Rice_shower

『絶望的にピントがずれています。 「じゃあ、首吊り以外の方法を選ぼう」と思うだけです、死のうとしている子は。

虐めについては一昨日あんとに庵さんの所で書いたので、ここでの重複は避けますが、夜回り先生だの、金八先生だの、ヤンキー先生だのもベクトルがあさってに向いたコメントをしていますね。 彼等の言葉程度で踏みとどまれる、改心する子供は、そもそもリストカットはするかも知れぬが死にはしない、覚醒剤に手を出すかも知れぬが、シャブ中になったり売人になったりする本物のワルじゃない。 

死に至る虐めをやるガキは、脳の機能障害(前頭葉連合野の発達不全)の可能性も有る。 死を決意する子は、苦しみから逃れるというより、生の意味自体を喪失してしまっているケースが少なくないと言う(ある精神分析医の話)。 だからそもそも踏みとどまることに意味を見出せない。 

何たら先生らの言葉が如何に空疎で暢気なものかお分かり頂けるでしょう。 

戦うな! 助けを期待するな! 学校に行くな! 逃げろ! すぐに逃げろ! 逃げ出して、学校、家族が必ず帰属せねばならないものではなく、大きな社会の中では、取るに足らない、塵の様なユニットに過ぎぬことに気付いて欲しい。』木走日記に寄せられた Rice_shower さんのコメント

 これは Rice_shower さんに対して感謝の意を表するとともに今日からわたしが何が出来るか直ぐにでも着手していかなければならないことを書こうとキーボードに向かいだしたらやられた。 Rice_shower さんはわたしの先日の駄文にも批判的にコメントを寄せられた。

大人が自分を棚に上げて語る解決法、処方箋が有効であるわけがありません。 だから私は木走さん、あんとに庵さんの所で、とにかく“逃げろ!”とコメントしました(http://d.hatena.ne.jp/antonian/20061114/1163506641)。 社会、大人、学校、家族が為すべきことは「逃げることは恥ずかしくない」との認識を共有すること、そして逃げ出した子らが、“傷ついたアイデンティティを再構築(byあんとに庵さん)”する“場”を準備する こと。 但し、大人はそこで彼らに何かを教えようなどと身の程知らずを考える必要はない。 ただ、彼等が心置きなく脱力できる環境を提供するだけでいい。 残念ながら、貴兄が仰るように“教育以前の問題”である現況において、例えば宗教者達は単に場を提供することすらしない、出来ないでいるのでしょうか。[??:title=うちにいただいた Rice_shower さんのコメント]

 改めて Rice_shower さんに感謝の意を表したいと思う。仏教が何を出来るかではなくわたしが何が出来るかの問題である。ここで仏教の、生きながらにして苦を滅する論理構造を問おうというのではない。それはそれである。しかし Rice_sHower さんが言われるように『例えば宗教者達は単に場を提供することすら出来ないでいる』のもまた事実である。そしてそれはわたし以外の宗教者のことではない。 Rice_shower さんが言われる宗教者とはわたし自身でありここで他の宗教者の現状云々は問題ではないのである。だからわたしは決めた。わたしに手が付けられることは直ぐにやろう。積極的にやろう。

 勿論大学の教員として、先日の駄文で書いたことをより思考を進めて具体化していくことも必要であろうと思う。制度作りも検討しなければならないし、Rice_shower さんやわたしの思いにより力を付けていくためには他の先生方や宗教者を巻き込みながら議論や運動は起こしていかなければならないだろう。その時には『単に場を提供することすら出来ないでいる』他の宗教者も巻き込みながら協力を仰がなければならないと思う。そしてわたしは今日、わたしの関わるお寺で私たちが出来ることから始めようと提言していくことになる。逃げ場を創ることに手を貸そうと。それにはいろいろなアプローチがあるはずだ。まずはお寺のまわりから、アンテナを張り巡らせて手を差し伸べようと。その時はじめてわたしのこの問題はわたしにとって仏教の取り組む問題となる。見渡せば様々な分野でこうした取り組みをされている寺院もあると聞く。そうした方々と連携をとることも大切だ。分からぬことは教えを請わなければならない。しかしだからと言ってこの問題に関わる責任はわたしにあるのであって他の方にあるのでなない。

 これは学問ではない。仏教学とも関連性をもたない。しかし仏教は救いと慈悲を人情で膨らませながらこんにちまで栗の散らかるような東の大海中の辺境、大和の国まで歩んできた。ならばその末裔として悔いのない人生を過ごしたいと思う。Rice_shower さんありがとう。

合掌

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

マニカナエムマニカナエム 2006/11/18 19:21

くまりんさま

ご提言に感動です。ありがとうございます。マニカナ・エムです。

わたしも、考えていたら、Rice_showerさまと同じ結論になりました。

学校に行くな、です。悪に近寄るな。とも思います。

それはたんに自殺を防ぐためではありません。「生きる」ということの意味を見つめるには、今の学校は、役に立たない場所だからです。

どうぞ「逃げ場」というだけではなく、「生きる」ということを見つめる場をお与えください。応援してます。

kumarinkumarin 2006/11/18 21:55

マニカナエムさま、お久しぶりでございます。

コメント有り難うございました。そして応援も有り難うございます。

 いじめの問題はアプローチの仕方がなかなか難しゅうございます。「いじめられて困っているひと、はい相談にのりますよ」ではだめだと思っています。あるいは学校なんかいかなくてお寺にいらっしゃいもダメです。勿論なんらかのアプローチとお手伝いの結果としてならそういうことも有りでしょうが。


 むしろわたしはまず身の回りのご縁の有る方々と子供たちのSOS信号をいち早く察知して次の行動が選択できる ----- それが逃げるべき状況であるならば「学校に行くな! 逃げろ! すぐに逃げろ!」とお手伝いさせていただくことになるわけですが ----- 大人の観察力を高める勉強を始めたいと思います。子供たちと直接接触のないわたしに出来ることはまずは親御さんのお手伝いをさせていただくことです。最大のポイントは親が子供の状況を素早く見抜くことです。そして学校から逃げさせるなら躊躇なく逃げることを選択できるようにする後押しです。わたしが出来るのはそんな些細なことかもしれません。そのためにお寺が利用できるならどんどん利用しようと思います。


 大分前になりますが後藤俊夫さんという監督が撮られた「イタズ」という映画がありました。その中で主人公の少年が熊料理屋の店先で鎖に足を繋がれてこけおどしに使われているほんの少し前まで少年と暮らしていて没収されてしまった仔熊を救いだし一匹と一人は山の中まで必死に逃げていきます。追っ手を振り払って逃げ切ったときの少年の安心したような笑顔。逃げるとは、逃げ切るとはこの仔熊と少年にとって「生きる」ことそのものに他なりませんでした。いま逃げ場が必要な子供たちにとってもそうではないでしょうか。人は生き延びることに成功したとき生きることを見つめ生きることを考えることが出来るようになりましょう。わたしがやろうと思うのはまずは生き延びるための逃げるお手伝いです。その後の展開はその時に考える。絶望的だった子供たちが生き延びることが出来たら仏教はその時に大いなる力を発揮することが出来ると確信しております。


 マニカナエムさまのますますのご活躍をお祈りします。


PS:龍樹本のご執筆如何ですか


では、お幸せでありますように。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/11/19 7:03

全く同感です。


君子危うきに近寄らず

走るをもって上と為す


基本でした。

学校教育なんて個々人のレベルで言えば絶対的必要性は無いのですから。

rice_showerさま、さすがですね。

マニカナエムマニカナエム 2006/11/19 20:12

くまりんさま、鮎川龍人さま


くまりんさまのご配慮の深さに感心します。鮎川さまの「個々人のレベル」という視点も忘れてはならないと思いました。おそらくは「逃げろ」と発信するだけで、もう目的の半分は達せられているかもしれません。追いつめられている人は、足がすくんでいるからです。


10月24日のブログで、チベット自治区からネパールに逃げていく人を狙撃する衝撃の映像を拝見して、やはり「逃げろ!」と叫びたくなります。「イタズ」の少年のように。


> 龍樹本のご執筆如何ですか


は!油断してました。くまりんさま、お人が悪いです(笑)。こっちは、逃げたらダメですね。

tenjin95tenjin95 2007/1/5 16:40

管理人様


最近まで、しばらく貴ブログを見ることが出来ず、なんとも困っていたのですが、急に今日になってRSS情報が更新されるようになりました。


そこで、コメントしてみるのですが、この一件、最近拙僧の周囲では、世俗にお寺を開放すべきという意見が非常に多く、それでもって「公共性」を得ようと思っている「イベント仏教」という話があります。


しかし、拙僧つらつらと、網野善彦先生の本などから拝察するに、古来お寺の公共性は、世俗に開くことではなくて、むしろ閉じることで実現していたのではないか?と考えるようになりました。そこで、それをもって(こちらの問題提起を知らずに)駄文をしたためてみました。あまりまとまってはいませんが、リンクだけ貼っていきます。合掌。


http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/2241b163e08a86f1d3f8ba86194f1990

kumarinkumarin 2007/1/10 23:55

tenjin95 さま、亀レス(死語?)ですいません。

 仰るように、なんでもかんでも寺院を世間に向けて開き、仏教が立ち向え!とする趣旨のいわゆる「イベント仏教」にはわたしも首をかしげます。そういう理由でいじめ問題への取り組みもわたし自身の問題として取り組み、その結果たまたまわたしが坊さんだったというのが仏教にとって望ましいと考えます。

 亡き父が宗派を越えた辻説法のスローガンの元に活動に協力しておりましたがわたしから見ればタレントまで動員したイベント仏教で、ついにはその講師たる僧侶までタレントのようになり、会費を徴収した辻説法の参加者に講師のタレントのサインや僧侶の墨蹟をプレゼントなどしていて完全な仏教のサブカル化です。そうした世俗へのアプローチはそろそろ考え直す時が来ているとわたしは思います。ですから tenjin95 さまのエントリはとてもタイムリーなものでした。

 ますますのご活躍をお祈りして、遅まきながら本年も宜しくお願いいたします <m(__)m>–