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お笑いフジが報道機関を気取った顛末

「この番組はフィクションです」のテロップを流せ!

 先週の水曜にブラスリー・ベックで一杯やりながらシェフと話したことを「不二家の不祥事に思うこと」というエントリにしたら、その存在自体がバラエティーだしお笑いであるフジテレビ・関西テレビが凄いことになっているね。昨夜はフジテレビの番組で社長の謝罪のビデオを流しながらキャスター達(もうしわけないけどフジのキャスター達の名前まで知らないし覚える気もない)が「我々テレビ人としては襟を正さなくては」ともっともらしい顔つきでしゃべってるじゃんね。だがしかし諸君、不思議に思わないか?雪印は不当表示と期限切れの商品で 21 世紀初等の藻くずと消えた。そして不二家も同じ理由で消えようとしている。

 なのにテレビや新聞は同じことを繰り返してその都度反省反省自己批判などと云いながらも今だに消えることなく続いてる。昨夜のフジのキャスターはテレビは報道機関として週刊誌より信頼される存在でなければならないなどとまじめにしゃべってるんだからよーするにやっぱり存在自体がバラエティーなんだよな。巨泉さんが云うようにいまやテレビは女子供とバカしか見ていないって言い当て妙だと思うんだよ。今回の事件以前フジテレビが週刊誌より信頼される報道機関だったなど本気で考えているのだろうか?この現実認識のなさがこういう事例を繰り返す原因じゃないのかいな?確かにだまされちゃう人がたくさんいるんだから影響力から考えれば雪印不二家以上の犯罪には違いないけどさ。

 報道機関でもないタブロイド東京スポーツアサヒ芸能なみのテレビ局が突っ張って報道機関を気取ろうとするから凄いことになっちゃうんじゃないか?これからもどんどん不当表示と期限切れの番組を垂れ流したってかまうことはない。まともな人は誰もフジなんか信用しちゃいないんだからさ。ただ本気にしてしまう愚かな人のために「あるある大事典も」昼過ぎのみのもんたのくっだらない番組も(こえださん風言い回し)放送のはじめと終わりに「この番組はフィクションであり実際の事実とは何の関係もありません。当社は番組の内容を一切保証いたしません。」と流していればこんな騒ぎにならなかったんだよ。ついでにフジの場合はニュース番組の冒頭とエンディングにもこのテロップを流した方がいいね(笑)、じゃんじゃん。

PS:フジばかりでなく民放はみんなそうかもね。あと朝日新聞も一面にこういう注意書きを入れたら信頼される新聞になるよなぁ。

元記事(ngp-mac.com/kumarin)へのコメント

rice_showerrice_shower 2007/1/23 16:40

お久しぶりです。 rice_showerです。

>フジという会社はまったく会社そのものがバラエティーでありお笑い<

その通りなのですが、この国の人々の納豆騒ぎを見るにつけ、「マスコミの存在だけでお腹を抱えて笑い楽しむことが出来るはとても幸せなこと」と達観できませんです、私は。 で、木走さんの所にはきついコメントをしてしまいました。

ところで、私の信頼するジャーナリストの神保哲生氏が自身のネット放送で「テレビ局は実は儲からない報道番組などやりたくない。 それでも止めないのは、報道取材という正当な手段により、政官財に深くアクセスし、そこで得た内部情報を経営に反映させられるというメリットを享受するため」という、かなりやばい話をしていました。 そう言えば、ホリエモン騒動の折、ライブドアとの提携が決まった後、役員等を送り込み、そこで得た同社の良からぬ内部情報を、フジサンケイはせっせと検察に流していた(これがホリエモン逮捕の決め手となった)、という噂も本当なのかも知れません。


ps、

大変遅ればせながら、以前ご推薦頂いた石飛道子さんの『ブッダ論理学五つの難問』を購入しました。  

kumarinkumarin 2007/1/23 21:55

rice_shower さん、ども。

>>「報道取材という正当な手段により、政官財に深くアクセスし、そこで得た内部情報を経営に反映させられるというメリットを享受するため」

 これは充分に推測しうる興味深いストーリーですね。実際経営陣はこんなものなのかも知れません。がジャーナリストたろうとする人々もその局内に抱えているのですからなんとも複雑ですね。わたしはそこを「笑ってたのしむ」ので視点は情報を垂れ流すがわの事情に向いています。


ただし木走さんのところで仰られたように

>>「無思考、無見識な“納豆マス(大衆)”の存在こそが絶望的」

と情報を享受するがわに視点を移せば確かに危機感を持たれるのは理解できます。しかしながら仏教的に言えばそのように身近な執着で右往左往する人々は愚かであり、わざわざ出向いて議論をするには値しない人々ということになるのです。石飛道子さんの『ブッダ論理学五つの難問』にはゴータマ・ブッダの論理学として議論をするに値する人を選択するということについて触れられていますのでブッダの考え方としてご参考になさってください。


本年も宜しくお願いいたします。

では、お幸せでありますように。