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国立新美術館

社会 People

目には見えない思想や哲学を語る黒川紀章のオシゴト

 久しぶりの雨で濡れずに行ける話題の国立新美術館を散策してきました。僕はどうも権威と言うことばに反発を感じるタチなので同美術館オープンの話題とともにソニータワーの解体を巡って大江匡氏と舌戦を繰り広げ、大江氏に「本気か!」と噛みついた(*1黒川紀章サンのオシゴトぶりを拝見させていただこうとの想いもありました。なにしろ国立新美術館は国立で有るが故に納税者である僕らは施主でもあるわけです。ならばオープニングイベントの『黒川紀章展』に薩摩藩士よろしく侍衣を纏い日本刀を突き立てて意表を突く出で立ちの自らのポートレートを掲げ「機械の時代から生命の時代へ」という黒川サンの設計テーマとともに「見た目だけにとらわれず、目には見えない私の思想や哲学をこの美術館からつかみ取ってほしい」と仰る黒川サンのオシゴトをチェックするのは施主の務めでもありましょう。

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 ソニータワーの解体を巡って大江氏は「黒川氏の主張はハードとして建物を残すという観点だけをとらえていて、発注者や地域の住民などの観点が抜けている。建物は建築家の作品だという考え方から脱却し、発注者や施工者、設計者などが協力し合うプロジェクトだと考えるべきではないか」と黒川サンに売られた喧嘩を買っていらっしゃいます。「建物は建築家の作品だという考え方から脱却」という考え方には僕も大いに賛意を表します。黒川サンに限らずいまだに「建物は建築家の作品」だなどと考えている「協力し合うプロジェクト」という視点が欠落したバカが多すぎるんですよ、この国は(笑)。これがあるからかれがあるのだよー。ところで斬新なフォルムを与えられた「作品」としての巨大な行政の箱はその構造美以外に特に新しさやオリジナリティーは感じられませんが、地下のカフェスペースの天井にずらりと並んだ点検口はいただけませんなぁ(写真下左から3番目)。何かあればメンテナンスの作業員の方がこの高い天井に向かって脚立をたてるんでしょうなぁ。

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 上場している大手の空調設備会社では脚立での作業を禁止しているところもあるくらいですね。先日も進捗率100%の建物で脚立作業で転落して重傷を負うという事故を聞きました。それくらい危険なんですね脚立作業は。だいたいこの高さで作業が出来る日本仮設工業会の認定する脚立なんてあるのか?メンテの作業員の方だって国民ならこの美術館の立派な施主でもあるのになぁ。「機械の時代から生命の時代へ」という黒川サンの設計テーマにはメンテ作業員の方の安全は入っていないのですね。メンテ作業員なんかどうでもいいとこの点検口は語りかけているようです。はい、黒川サンの「思想や哲学をこの美術館(の天井点検口)からつかみ取」らせていただきましたよー。予算配分の段階でメンテナンス作業の安全性について問題提起と提案をしていく権限くらいは持っているはずですよね、設計者は。「機械」を巧く配置して「生命」を守るという提起はされなかったのでしょうか?まさか「そこは俺の分野じゃない」なんて設備設計に責任を転嫁しないでくださいな。

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  • 左から1、2枚は後日(3/1)追加の中銀カプセルタワー
  • 3枚目は六本木のブティックのウインドウにあった奇妙なオブジェ

 メタポリストとしての黒川サンの才能とご業績は目に余るほどのものでございまして、その素晴らしいご業績の一つである中銀カプセルタワー(写真上左から1、2番目)の保存を建築学会等が住民に対して要望するという異常な雰囲気の中にあります。そもそも建築物をどうするかは民間ならオーナーの手に委ねられるべきであって設計者がどうこう言うスジのもではありません。しかもね、かたちあるものは必ず壊れるのです。生ずる性質のものは滅する性質のものであり、智者はこのことを知って憂いから解放されるのですよ、黒川サン。にもかかわらず黒川サンはここでも大江サンに噛みついたのと同じようにオーナーの一人で他の住民の意向を取りまとめている木村明彦氏を「取り壊し派」とレッテルを貼り付けて決めつけ木村氏が建て替えに向けた「票集め工作」をしていると非難しています。アスベスト問題の浮上や将来に向けたリサイクルなど建築物の保存問題は本来は社会問題として議論されるべきでしょう。それを建築家同士のライバル争いに矮小化してしまい自ら生き残るエゴイズムを剥き出しにして世間の失笑を買っているのは他ならぬ黒川紀章サンご自身でありましょう。まぁ「思想」と「哲学」を一緒くたにして「私の思想や哲学」などと語ってしまう黒川サンに哲学がないのは当然と言えば当然かもね、じゃんじゃん。

*1:このエントリの中の黒川氏をはじめとする建築家の方々の発言などは国立新美術館オープニングイベント『黒川紀章展』の掲示物によった。また日経 BP KEN-Plats 【保存問題】でことの経緯が纏められている。(日経 BP KEN-Plats は無料だがユーザー登録が必要)