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さくらさくら

写真生活につきもののSAKURA

 写真生活を楽しまれている皆さんのブログをみるとどうやらこの時期はさくらの写真を載せることが習慣になっているようである。そこでご多分に漏れず拙も今シーズンのさくらの写真を何枚かアップすることにしてさくらの総括を(笑)。カメラ付き携帯やコンデジ OPTIO s での写真生活と比較すると眼デジの導入は我が写真生活におおいにハリをもたらしてくれているようである。最初の三枚は恐らく上野で咲いた今シーズン最初のさくら。国立美術館前の噴水際で撮ったもの。僅かに2本の樹だけが花を咲かせた、まだ2月の中旬のころだった(写真下左から3枚目まで)。4枚目はそれから一月後、上野駅不忍池口からほど近い公園の正面にあたるところで、僅かなさくらよりもその僅かなさくらに希望を託すように群がる人々が面白くて腰から広角でシャッターを押した。勿論ノーファインダーである。ノーファインダーのノウハウはどうやらコンデジ OPTIO s を使い込んで身についた純粋経験のようなものらしい(笑)ので単なる習慣に過ぎず人様に自慢するほどのことではない。

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 それから一週後に上野公園は満開となって平日ですらあるのにもの凄い賑わいとなった。一週前の春分の日より人出は多いように思えた。満開のさくら(写真下左から1枚目)を追って外人の男性がビデオカメラで追うがその手前にカメラ付き携帯でさくらを借景にしてツーショットを撮った若いカップルがにこやかに画面を覗き込んでいる(写真下左から2枚目)。二人の穏やかな表情がとても素敵。やや日が暮れてきた寛永寺別院参道の天井もさくら、さくら(写真下左から3枚目)。ナイス(死語か!)なふたりも別の方向を見ながらそれぞれ写真を撮っているけれど心は一つなんだろうね。女の子はぽかんと口を開いていなければもっと美人に見えるでしょうに!(写真下左から4枚目)それはそうとファインダーから覗くと全ての人が素敵に魅力的に見えてくるから不思議。本来そうじゃなきゃいけないことをカメラは思い出させてくれる!

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 日付は変わって東京よりもやや寒い相模原もいよいよ満開(写真下左から1枚目)。魚眼レンズでさくらの樹一本をまるごと収めてみる(写真下左から2枚目)。続けてガラス窓に移り込んださくらをこれもまた魚眼で(写真下左から3枚目)。こちらは日付が変わって朝の宮崎台駅前のさくらトンネル。午前中の光が眩しい。

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 4月になって雨も降りいよいよ今年もさくらとお別れだ。日没の上野公園に提灯の灯りがともる。さてここから K10D に装備されたシャッター&絞り優先モードで夜桜にチャレンジ。被写界深度と照らし合わせながら絞りを決めて次ぎにシャッター速度を予測で決める。あとはカメラが ISO感度を自動調節してくれる半自動モードなんだけど一枚撮って直ぐに確認できるのが眼デジのメリット。手ぶれ補正との相乗効果で思いの外スローなシャッターが切れる。これが K100D では完全にマニュアルモードで露光調整をしなければならなかったんだよね。中上級者むけであるはずの K10D がエントリーモデルの K100 より拙のような眼デジ初心者に優しいのはなんか可笑しい気もするが・・・。

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 毎年のことだけどさくらが散りゆくのはなにかもの寂しい気分になる。こうして僕らがさくらを撮るのも一瞬の栄華を永遠に語り自らのこころに繋ぎ止めておきたい一心からだろうか。生じる性質のものは滅する性質のものである、と智慧あるものは知って心の平穏を得るとお釈迦様は言われた。写真をとるという行為は時間から一瞬の空間を切り取って鮮明な映像に仕立て上げてしまうことで生じるものは滅するというあまりにも人情に反した冷徹な無常を否が応でも僕らに突きつけてくるようだ。