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三種のヴァイオリン演奏と表象を目の当たりに見ること

友よ、あなたにとって時が空しく過ぎることがありませんように

 政治的問題についてすっかり日和見主義になってしまた。なにかこう語るべき対象の問題点ばかりを突いて一方通行の発言をしてもそれを自己の内面に差し戻さなければ何も建設出来ないのではないかと思い始めている。皆さんと建設的な議論できて有意義でしたという締めくくりに強烈な違和感を感じるのである。政治問題を語り国際問題を語ってもその中に自己を確認出来ないでいる異邦人の自分がいる。ならば政治的問題は一人静かに選挙に行って世俗的な権利なる名称で表現されるものを行使しよう。そして論争に費やす時間を名称で表現をなす主体があると考えないように怠ることなく励む時間に割り当てることにして区切りがついたら友に静かに語ろう。

『わたしは勝れている』『わたしは等しい』また『わたしは劣っている』と考えている人は、それによって争うであろう。

これら三つのありかたに心の動揺しない人には(勝れている)とか、(等しい)とかいうことは存在しない。もしあなたがそのような人を知っているならば、それを告げよ。中村元訳『ブッダ神々との対話—サンユッタ・ニカーヤ1』より

   ヴァイオリン小品集(1)フランク:ヴァイオリンソナタディア・モリコーネ

 ここ一年ほど本を読む時間、仕事の準備をする時間、写真の整理をする時間にはヴァイオリンの演奏を聴いている。特に最近はパールマンの『クライスラー:名曲集』、古澤巌と高橋悠治の『フランク:ヴァイオリンソナタ』、矢部達哉の『ディア・モリコーネ』の三枚がお気に入りだ。もともとわたしは若い頃はオーケストラが好きでヴァイオリンのソロを聴くことはあまりなかった。そんなわたしがヴァイオリンの美しいメロディーと音色に魅せられたのはもう10年以上も前のことだったが、それは COCO FARM WINERY で古澤巌と出会ってから。当時醸造の面倒を見ていたブルース(現醸造部長)の紹介だった。古澤さんのヴァイオリンを聞いているとわたしの心の中で名称で表現されるものの上に立脚している足下が危うくなり、そこに立ち続けようとする絡まった想いの糸が緩やかに解れだして、やがて生じる性質のものは滅する性質のものであると時を要せず目の当たりに時の無常が経験されることを頷きはじめる。音色は発しては消え発しては消え行く。過ぎ去った音色を振り返ることなく、いま、ここに刹那刹那に聞こえ来る音色を体験するわたしがいて、それは毎回毎回新しい音色の発見なのだ。いつの間にかわたしはヴァイオリンの音色そのものになってしまって時が立つことをすっかり忘れて去っている自分がいることに気がつく。その時わたしはするりとわたしの背後に回り込んでそのわたしをわたしは見ることが出来なくなる。

『名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば彼は死の支配束縛に陥る。

しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現する主体が有ると考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。中村元訳『ブッダ神々との対話—サンユッタ・ニカーヤ1』より

 ところが最近、古澤さんには大変申しわけないがパールマンの『クライスラー:名曲集』を聞いて繊細さと美しさに大胆さまでもが加えられた音色に聞き惚れてしまった。彼の発する音色はわたしの心の中で絡み合った名称で表現されるものの上に立脚しようとする束縛の糸を、絶妙に間を取ターンタンと心地よく叩きながら解き始めてくれるのである。これはどちらが勝れているというような判断を持ち込むような問題ではなくマイルドセブンマールボロの味わいの違いのような、あるいはクロ・ド・ラロッシュとヴォーヌ・ロマネの違いの様なものだ。だから高橋悠治とデュオを組んだヴァイオリンソナタは放物線の音色にテンポの音が加わってまたまた刹那刹那の新しい音色の発見、生じる性質のものは滅する性質のものと目の当たりに眼の前で展開される音色がわたしを引き込んでしまう。まるで音が煌びやかに目のまで踊っているように。矢部達哉の新しい手法も面白い。パールマンと古澤がポンソやアルマン・ルソーのような巨匠なら矢部はまるでギー・アカの教え子のようなのかも知れない。

 なぜかヴァイオリニストをブルゴーニュワインの巨匠に喩えてしまったが今年は COCO FARM WINERY に労働をしに行こうと思っている。先日古澤さんがタモリの『笑っていいとも』に出たときに「実は最近ワインを作っているんですよ」と COCO FARM WINERY のワインをお土産に差し出していた。実際のところ古澤さんは常時其処にいてワインを作っているわけではない。ただ COCO FARM WINERY の取締役に就任されていろいろ有る事情を『いいとも』の視聴者に簡潔に説明したに過ぎないのだと思うが見事に大胆な目の当たりにわかりやすい説明だった。実際ワインをつくりというのは大変な労働である。雨の日も風の日も暑い日も寒い日も一日びっちり単純な作業をただ勤めなければならない。真面目にコツコツと葡萄の木には良くない草を抜き、果実に成分を濃縮させる為に剪定を行う。暑いも寒いもクソもない。暑い日には汗をだらだらと流し、汗疹をつくり、寒い日にはふるえながら鼻水をぬぐってそれでも今日決められたことは今日やる。ただ、唯、只管にやる。ブッダのように人の心を耕し切ることが出来ないわたしは畠を耕す苦労の寸分でも体験して罰は当たるまい。わたしも古澤さんのように大胆に目の当たりに語ろう。わたしも COCO FARM WINERY のサポートはさせて戴いているんですよ。だから今年は名称で表現されるものの理解に努めて執着を捨て去り、生じる性質のものは滅する性質のもであると目の当たりに経験して知ることが出来るように、名称で表現をなす主体があると考えないように怠ることなく励む時間を過ごすために iPodパールマンと古澤巌と矢部達哉を詰め込んで、ただ、唯、只管に農作業に行きませんか。

 そして汗をかいて、へとへとに草臥れたあと静かに語ろう。

 友よ、あなたとわたしにとって時が空しく過ぎることがありませんように。


関連エントリ

■COCO FARM WINERY

ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)

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