わたくしたちは近代国家による強引なIT社会統合に草臥れ怯えているのではないか
第一章 今なお中央の文明に汚染されぬ、小さい桃源郷、いざ、隠れ里へ
70年代も後半の頃、知識人の間で隠れ郷と呼ばれる思考が盛り上がろうとしたことがある。地方の時代などと言われ音楽家や文学者、芸術家などが地方の山麓や海岸線の村を活動の拠点として選択し、一方ではその土地土地の素材を売り物にした旅籠や料理屋が注目を集めたのもこの頃だ。時はまさしく高度経済成長によって都市部の土地や水の汚染が拡大し、急激な工業化と自動車社会の到来が光化学スモッグで都市を覆い、さらに追い打ちを掛けるように石油ショックによる突然の経済の停滞と物不足が背後にはあったその時である。かごめかごめの童謡が我が国の隠れ里と西アジアのどこかの村が地下で繋がっておりその歌声は相手に伝える合図なのだというストーリーまで現れた。当時の雑誌『思想読本』で柳田聖山は次のように述べている。
文学や美術の分野で今、隠れ里と呼ばれる思考が、市民権を得ようとしている。その拡大は洋の東西を問わない。都市から一寸足を伸ばした、山間や谷間の「村」に、今なお中央の文明に汚染されぬ、小さい桃源郷があって、古い神話や神事を伝えている。地理的には、多少へだたっていても、何処かで同じ地下水脈に通じている、というのである。既に行き苦しい隘路と化した、今の地球の表に住む我々にとってこれくらい魅力的な話はない。昭和 57 年法蔵館『思想読本 道元』現代史としての道元 -- 柳田聖山
- 隠れ郷への道は田んぼが切れたところの小さな山への石段から始まる。
- その山中に沼・・・かつて弘法大師が来たときに灌漑用水として作られたという。
- 沼に注ぐ渓流に沿ってさらに上流へ。
- やがて頼りになるのは谷間の森の裂け目から差し込む日の光だけとなる。
- 苔だらけの渓流の脇で道が二手に分かれる、がそこで道祖神が手招きをしていた。神は仏教の守護をすることによって神たり得ていたのである。
こうした時代を経てやがて今の IT 時代がやって来る。パソコン通信から始まってやがてそれはインターネットへと拡大した。2ちゃんねる や はてな と言った匿名性が保持できるコミュニケーションツール(はてなは例のウェディング事件までは匿名で参加することが出来た)はまるで柳田が述べたようにまさしく中央の文明に汚染されぬ、地理的へだたっているが同じ地下水脈に通じている小さい桃源郷そのものだった。人々はそこに中央の御上の存在を意識せずに自由に発想し発言する「村」を形成することになる。しかしその桃源郷である「村」が中央から自由でいられる時間はそう長くはなかった。近代国家という自己の安全と保存のためには殆ど暴力的な権力機構はITの推進という名目の元に行政システムの電子化を図りネットワークを自らの管理下に組み込んだのである。息を潜めて中央の横暴を見守っている人々の存在は国家の知るところとなった。ネットワークは有効なコミュニケーションツールではあってももはや中央の文明に汚染されぬ隠れ里としての機能を失いつつある。国家への批判は国家によって統制されようとしているのだ。
こうして「村」の発想は、同時代の文明を問う、自己告発の意味を持つ。もともと隠れ里の生活者は、一方では深く山地や、緑の森林に身を隠しつつ、つねに中央を伺う姿勢を持つ。それは隠れ里の内側に、隠れ里そのものを裏切る契機を、本来内包していたことを意味しよう。~ 中略 ~ 将来の新しい旗揚げという希望によって、かれらは揆を一つにしつつ、その実践を分かつのであり、現実には、そんな共同の目的そのものが、自らを危機的にすることになる。前掲柳田論文
こうしてわたしは隠れ里へと旅立つ。国家によるネットワークと情報の統制に恐れおののきながらも今現在の文明を問い自己告発の契機とする自らの古層を訪ねる旅に。隠れ里への入口は弘法大師空海の指導の元に千年以上の時を隔てた何気ない農作業用の灌漑用水貯水池への石段にあった。もはや沼と化した池の脇を通り抜けて渓流に沿って上流を目指す。道はやがて獣道となり、人の気配はもはや無い。ただ時折現れる道祖神と菩薩だけが隠れ郷への道案内だ。
やがて峠を越えて視界が広がると眼下にひっそりと佇む集落が見えた。ひとの姿は全く見えない。目指す隠れ郷に到着だ。緩やかな坂道を下りながら郷に入ると何処にもあるような小さな社があった。遠い豪族の時代、人々から搾取し戦で人々の命を弄んだ彼らは罪の意識にさいなまれて仏教に帰依したという。そうして日本古来の神々は仏教の守護神になった。しかしいずれの神々もヒンドゥーの神々だ。誰かが言っていた --- 卑弥呼はアショカ仏教徒なのだ、大陸や半島から大乗仏教が伝来するより遥か前に遠くセイロンから船で弥生時代にやって来たのだと。しかし天照大御神となって太陽神に殉じた(あるいは生け贄に差し差されて殺害された?)彼女は天皇の祖先でもある。ならばヒンドゥのバラモン一族だったのではないかと考える方がしっくり来る。天皇も日本の農耕のために祈り供物を捧げ祭祀を実行する。地方豪族が天皇の権力機構に殉じ自らをヒンドゥの神々に準えやがて大陸から伝来する仏教に帰依するのは遠いヒンドゥ(当時の発音ではシントゥ)の王族たちを模したものではなかろうか?これが神道(シントウ)の始まりだったりして(笑)
- 峠を越えて視界が広がると眼下にひっそりと佇む集落が見えた
- 緩やかな坂道を下りながら郷に入る
- 小さな社の真っ赤な鳥居
- 遠い昔、権力機構の構築に関わった豪族は罪の意識にさいなまれて仏教に帰依したという -- そうして日本古来の神々は仏教の守護神になった
- 社と鳥居の間には石灯籠の他に鋳鉄の今にも朽ちてしまいそうな灯籠があった -- この灯籠に誰が灯りをともすのだろううか
あるとき世尊はシューラヴァスティーのジェータ林にあるアナータピンダダの園林に滞在していらっしゃった。その時、マーガタという神の子は夜も更けるころ、その姿かたち麗しく、ジェータ林を普く照らして世尊のもとに赴いた。近づいてから、右肩をあらわにして傍らに立った。傍らに立ったマーガタは世尊に次の偈頌を以て呼びかけた。
「世の中にはどれだけの光があって世の中を照らすのでしょう。
あなたさまにお尋ねするために来たのですが、
わたくしたちはどうしたらそれを知ることが出来るでしょう。」
すると世尊はこのようにお応えになった。
「世の中には四つの光がある。ここには第五の光は語られることはない。
太陽は昼に輝き、月は夜に照らす。また灯火は昼でも夜でもあちらこちらに輝く。
正しく理法に従ってニルヴァーナを得たサンブッダは光輝くもののうちで最も優れている。
これはこの上ない光輝である。」と。中村元訳『ブッダ神々との対話—サンユッタ・ニカーヤ1』より適詮引用、要約
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