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律が後回しになった中国と日本の仏教

正倉院所蔵の『唐経四分律』は鑑真和尚の持参品?

鑑真が「正解」運ぶ?-唐経の四分律 経巻の訂正調査

 奈良市正倉院が所蔵している、僧の守る規則をまとめた唐経四分律が、鑑真和上(688—763年)によってもたらされた可能性の強いことが15日、明らかになった。宮内庁正倉院事務所の杉本一樹・保存課長が正倉院紀要で発表した。端整で美しい字体の背景が初めて論証された。

 唐経は東大寺に伝わった聖語蔵(しょうごぞう)経巻の一部。四分律は全部で60巻あり、うち16巻が現存している。字の美しさや紙質から唐経と呼ばれるようになった。

 聖語蔵経巻には、光明皇后が父母の冥福を祈って発願した「天平十二年御願経(ごがんきょう)」の四分律もあり、訂正の朱書きが各所に見られる…奈良新聞:鑑真が「正解」運ぶ?-唐経の四分律 経巻の訂正調査(2007.5.16)

 杉本さんは「御願経の成立にはかなりの苦労がうかがえる。鑑真が持ち込んだ唐経四分律以前には、信頼性のある手本がなかったと考えられる。白書による再記入は、唐経を信頼していた気持ちがうかがえる。(産経新聞 5/16 02:25)」と話されているがここが中国や日本の仏教とインド仏教の違いで律が後回しになっているところが面白い。つまり救済されるというロマンや仏の神通力が中心になった大乗経典が先行したということなんだろうな。

 インドやスリランカの仏教はその経典自体が哲学的思惟や戒めを守った清浄な生活の薦めを説く上座部の経典が律と共に口伝され、やがてそれがテキスト化されて流布していったのに対して中国や日本は大きく異なる。中国や日本の仏教はまず信仰あって、その信仰も初期仏教のような自覚に基づいたものではなく助けて下さる仏さまへの信仰があって、それが単なるアニミスティックな土着の神々より優勢になりやがて教団が成立して、後に律が必要になったというパターンなんだね。

 つまり土着的な中国的、あるいは日本的なアニミズムがありそれを基盤に仏教を上塗りすることからスタートしたということ。外来の思想を学ぶという姿勢ではなく外来の良いところをかすめ取って上塗りするところから始まった。そこが外来思想を学ぶという姿勢で仏教と向き合ったチベットとも決定的に違う。僧侶になれば階級に関係なく食べられる。問題意識の無いヤツが裕福になればやることは見えてるでしょ!だからあとになって律が必要になってくる。

 今回のこの『四分律』は法蔵部(Dharmaguptaka)の伝持した広律で、漢訳は全体を四分することからこの名を付けられた。カシミール僧の仏陀耶舎(ぶっだやしゃ)が5世紀初めに口伝で中国にもたらし、竺仏念(じくぶつねん)と共に翻訳して書き出したもの。5世紀前半のうちに中国・日本の仏教では五大広律とよばれるうちの『四分律』『五分律』『十誦律』『摩訶僧祇律』の4種が一斉に漢訳されているから学界では中国仏教の成熟とともに整備された戒律への要求が強まった証といわれている。

 日本では同じような仏教の成熟と整備された戒律への要求が8世紀に興ったということだね。平城遷都ののち仏教教団の発展とともに官僧が増加し規律の乱れが目立つようになった。まぁセックス、博打、酒ですよ。そうそう、セックスといえばジェンダー以前だから少年愛も少女愛も同性愛もなんでもありよ。一方で中国へ渡る留学僧も増えたが、日本で僧になっても中国では沙弥という見習僧の扱しかされなかった。そうしたことを背景として、戒壇と律が本格的に必要になってきたわけだね、真面目な僧にもそうでない僧にも。それで朝廷の命を受けて栄叡、普照らが遣唐使船で唐に渡り律の専門家・鑑真和尚に来日を要請する。

 彼らは渡日を試みるが妨害や難破で何度も失敗。五度目に鑑真和尚は失明してしまいながらも漸く日本に辿り着き東大寺大仏殿の前に仮設の戒壇を築いて聖武上皇・光明太后と80人の僧侶に菩薩戒を授け、その後唐招提寺を開く。日本仏教に魂が打ち込まれたときとでもいうのかな。しかし栄叡は帰国を果たせぬまま亡くなる。肇慶の慶雲寺にはその栄叡の記念碑があるが、いつの時代も真摯に道を求める真面目な仏教徒が仏教を引っ張る。おっと「求めれば背く」ってか?「平等心是道」そのこころは?なんか壮大なロマンだね。

 正倉院に伝わるもう1つの四分律『天平十二年御願経四分律』はその鑑真和尚から戒を授かった光明太后が父母の冥福を祈るためにこの和尚持参の『四分律』を手本として書写した可能性も高いということだけれど、この経を書写することで功徳があるという大乗思想はすっかり根付いていたんだね。空を理解しましょう、縁起を理解しましょうじゃあない。この経を授持すれば、この経を書写すれば、ギャティーギャティーと唱えれば、南無阿弥陀仏と唱えれば、南無妙法蓮華経と唱えれば、あのお釈迦様や菩薩方々と同じように空も縁起も理解できちゃいますよ、いえいえそんなこと理解しないでも仏になれますよ、極楽に生まれますよっていう大乗思想は既に8世紀に朝廷のトップ光明太后がお示しになったものなんだ。

 人は自分の力でどうしようもないときに手を合わせて祈る。空を理解出来なくても縁起を理解出来なくてもやはり心の平穏は欲しい。清楚で清らかでいることを心がけながら真摯に祈る姿はまた美しい。大乗仏教はまさしく日本を支えてきたロマンなんだね。