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ボキューズ・ドールはフランス料理衰退の特効薬になるのか

類い希なボキューズのビジネスセンスに騙される人々

f:id:lovelovebear:20070526021640j:image:w280:right かつてフジテレビがそのスタジアムスタイルでの料理対決と言うアイディアをパクり日本でも名称と形態に立脚したグルメブームの火付け役となる『料理の鉄人』のモデルにもなった『ボキューズ・ドール』2007年大会の模様が NHK の地上波で先ほど放映された。わたしは料理の技術云々や『日本ボキューズ・ドール委員会』代表の平松宏之氏が「フランス料理界において最も権威あるコンクールです」と語るような権威云々には関心がないし、若い挑戦者の料理人達を指導するシェフ達が芝居がかった高校野球の監督のようなことを言っていくら励ましたところで日本代表が良い成績を収められないのも当然だし別にどうでも良いことなのであると思っている。しかし報道機関の雄を自負するNHKがフランス美食術とボキューズの権威、オマケに平松氏の権威を高らかに鼓舞するわりには肝心なことを敢えて隠しているように思えた。ポール・ボキューズは確かに勝れた料理人であることは間違いがない。その出自が殆ど貴族階級であるヨーロッパの自動車エンスージャスト達は『雨の日のフェラーリは腹痛の日にボキューズ行くようなものだ』と形容する。

 そのボキューズはかつてジョルジュ・デュブッフを見いだしボジョレー・ヌーボーを自国の首都花の都パリばかりか世界中に送り出して一大ブームを仕立て上げ、貧困にあえぐボジョレー村にプジョールノーの高級車ではなくメルツェデスをプレゼントして見せた。さらにボストンバックにフォアグラとトリュフ、ブレスの鶏を詰め込んでフランス料理の親善大使としてニューヨークへ乗り込んで、NYタイムスを唆かす。大陸コンプレックスのニューヨーカーたちはまんまとその策略に乗ってしまう。その記事は DINKS などと新しい都市のライフスタイルを掲げながらも心の奥底はコンチネンタル指向を持つ最先端のニューヨークっ子たちにボジョレー・ヌーヴォーヌーベル・キュイジーヌのイメージをしっかり植え付けて見せた。そうして実質上ニューヨークから始まったヌーベル・キュイジーヌがあたかもフランス直伝であるかのごとく振る舞って(*1)世界中のフランス料理を席巻した。その結果フランスにもたらされたものはフランス産料理原材料輸出の莫大な増大である。政府がボキューズに権威を与えるのは当然のことなのだ。彼はまさしく料理界のポール・マッカートニーである。

 ヌーベル・キュイジーヌは「本国」フランスではボキューズとその取り巻きたちによって批判の矢に晒され次第に求心力を失っていく。しかし決して旧来の料理に戻ってしまったわけではく論理構造的にはボキューズの『市場の料理』にとって代わられて、食材・加熱の方法論と二者を繋ぐ熱媒体に瑕疵される無数のソースなどフランス料理をフランス料理たらしめる原理を守りながらリコンストラクシオンされていったのだ。フランス料理の伝統は原理が守られることによってまたそのサプライヤーたちの利益も確保される。ボキューズが大使=政治家であると賞賛されることの由縁だ。ところがそのころからヒタヒタとフランス料理に衰退という危機の兆候が現れ始める。戦後フランスの経済復興はフランス経済をグローバル化しフランス人の伝統的な生活習慣を変化させてしまったのだ。それはフランス人自身のワイン離れとフランス料理離れである。フランスの一人あたりワイン消費量は毎年確実に減少傾向を見せはじめ今ではイタリアに抜かれてしまっている。そしてフランス人達はフランス料理すら見放し始めたのである。かつてのフランスには昼食に時間をかけ夜は軽く済ます習慣があった。ところが80年代に入るとオフィス街にはデリカテッセンやファーストフードが増えだしてくる。オフィス街に勤めるエリート達がまずフランス料理に背を向けた。ビストロでディジョネは摂らないの?と問いかけるわたしにデリカのラディシオンに並ぶ女性はこういった。「あんなもの年寄りが食べるものだわ。昼から時間をかけて食事してワインなんか飲んで酔っていたら頭が回らなくなるでしょう。ばっかみたい。お昼の時間は限られているもの、もっと有効に時間を使わなくちゃスマートな女性にはなれないでしょう。わたしは食べ過ぎてデブになってフランスの伝統に押しつぶされてしまうようなオバサンにはなりたくないの。」

 勿論こういう人たちが全てではない。しかし統計的には毎年確実にフランス料理は衰退しワインの消費量も減っているのだ。さぁ、ボキューズがこんなことを見逃すわけがない。こうした危機に世界のマスコミと消費者を巻き込んでブチあげたのが『ボキューズ・ドール』なのである。会場の熱狂を見れば世界のジャーナリズムはフランス料理の危機など忘れ去ってしまうだろう。外国を巻き込むことによって外国からフランスにお金は流れ込むのである。平松氏がボキューズに媚を売り、音頭を取って日本の若い代表を送り込む姿は小泉がブッシュに媚を売って自衛隊イラクに派遣するのとお金の投げれもスタイルもそっくりだ。小泉が国民の税金でブッシュに媚を売り自衛隊が国民の税金なしではイラクに行くことが出来ないように平松氏は消費者の消費が無ければボキューズに媚を売ることは出来ないし、スポンサー企業の協賛(すなわち消費者の消費)がなければ日本代表はフランスに行くことも出来ない。日本国民の税金はアメリカとアメリカの戦争産業の為に使われ、消費者が付加価値だと判断して投資した売り上げの一部はフランスとフランス料理のために使われる。こうしてとりまとめて投資してくれる外国にも幾ばくかのメリットがあるように見せかけながらアメリカとアメリカの戦争産業の資金を確保するブッシュと同じようにボキューズは投資してくれる外国にも幾ばくかのメリットがあるように見せかけながらフランスとフランス料理の為に資金を確保する。まさしく『ボキューズ・ドール』とは21世紀のフランスの食品産業と農業を維持し守っていくための派手でケバケバしい装置なのである。この装置は名称と形態の世界に立脚している人を泥沼に閉じこめることによって機能する。これでいいのか?ニッポン。

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 ■ボジョレー・ヌーボー、タスタリベ!

*1:事実ボキューズは本国フランスでは外国で自身が火を付けたヌーベル・キュイジーヌには批判的であくまで郷土料理にこだわった。彼の料理は『市場の料理』であってヌーベルではない。にもかかわらず彼は自身のレストランの外人客にはこれは『ヌーベルキュイジーヌだ』といって憚らないビジネスセンスの持ち主でもある。