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これって先進国のやることか?

自然と折り合いをつけるのは国家の仕事だ

 シエスパの爆発事故で犠牲になられた方のご冥福を謹んでお祈りしたい。ところがこの事故を巡っては醜いことになっている。マスコミ、と言ってもおもにテレビ局だがなんとか誰かを悪者して血祭りにあげようとしているかに見える。あるテレビは同じような施設を運営する京急開発を取材して平和島温泉のガスセパレーターとガス濃度などの中央監視システムを紹介しながら京急のやり方が常識でユニマットが非常識であるかのような印象操作をした上でご遺族の悲しみや怒りを取材して煽り立て、警察も方向性はおんなじで3人の方の犠牲が出てしまった以上強制捜査などという無謀な権力を発動してやはりここは誰かに責任を問おうとしている。

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  • 写真はイメージで記事とは関係有りません

 こうした報道はなにか違和感を感じるしはっきり言って反吐が出るほど気分が悪い。京急開発が法令以上の安全管理をしているのは彼らの親会社が鉄道会社であり安全にたいする意識が金貸しのユニマットより多少上を行っているということに過ぎない。それも鉄道会社としてのリスクマネジメントの一環であり優先されるのは実際の安全よりも安全に対しての管理記録に残すことによっていざというときに企業としての自らを守るという資本主義の論理なのだ。それが良くないことかと問われれば利益を追求する民間企業としては当然のことであり、自らを守る方法論が人権意識が一人歩きしている社会の倫理的要請と噛み合っているだけのことなのだと思う。残念ながら金貸しのユニマットにはそこまでのリスクマネジメントが出来ていなかっただけのことで、人の命を扱わない金融会社には仕方がないとも言える。なぜなら彼らもまた利益を追求する民間企業なのだから。まぁそれにしてもメタンガスを含む温泉の汲み上げシステムとガスセパレーターのメンテナンスをコンピュータのメンテナンスと同程度にしか認識していないような発言はさすがに金貸しここにありという感じで呆れるけどね。

 これは良い悪いの問題ではない。民間企業というのはそういうものなのだ。そういうことを前提にして行政が機能しなければならないのである。地下からメタンガスが温泉の湯とともに上がってくるのは自然である。振り返れば一目瞭然だが人間は時には凶暴な振る舞いをして人の命を寿命前にいとも簡単に奪い去ってしまう自然の脅威に対して文明の力で折り合いをつけてきた。それを可能にしたのはわたしたちの遠い祖先が言葉を以て動物から立上り、自然の一部に過ぎず野生動物と同じように人情で行動してきた人間が時には情を超えて展開される論理的思考を獲得したからである。論理的思考が文明を築き上げ文明が自然の振る舞いによる犠牲者を減らすことに成功してきたのである。その文明をコントロールするのは文化だがその秩序は法治システムによって発展をとげた。今現在その頂点に立つのは国家である。自然は都市部の温泉の危険さについて既に過去数回の爆発事故によって人間に警告を与えてきた。しかし残念ながら日本の国家システムはそのことについて鈍感だった。それは働中の温泉施設で大きな事故が実際には起きていなかったからやむを得ないのかもしれない。経験的事実だけが文明を豊かにしてきたのである。

  自然との付き合いで事故や犠牲者は避けて通ることは出来ない。それを法令の整備もないところで関連がありそうな周辺の法を引っ張り出して誰かに責任を問うというのは法治国家の精神に反する極めて野蛮な方法である。ましてそれを警察権力がやろうとするならもはや専制国家だし、警察と一緒になってテレビがユニマット日立ビルシステム、大成設備を悪者にしようとするなら彼らのやっていることは将軍様への提灯報道に明け暮れる北朝鮮のテレビとなんらかわるところがない。テレビって民間企業であるまえにジャーナリズムでありたいなどとことある度に能書きを垂れまくっているが恥ずかしく無いのだろうか?一番責任があるとすればそれは国家だし事故の犠牲というものは避けて通れないものなのだからそうした事故が起きにくい(絶滅は無理なことだから)明日を作るために迅速にアクションを起こし、法整備をするのが国家の仕事だと思う。それが犠牲になられたかたの死を無駄にしないことに繋がるし最大の供養だと思うが誰かを悪者に仕立てることは生きている人間のエゴを満足はさせても事故の犠牲になられた彼女たちを弔うことには繋がらない。

 叱られてしまうかもしれないが、日本社会と日本人は移動の便利さと引き替えに年間7000人程度の交通事故による死を許容している。加害者と被害者の個人レベルでは恨み怒り辛みをあるだろうが社会レベルで7000人もの死者を出す交通事故をヒステリックに糾弾することはない。極端な話クルマ社会は人間の都合でつくられた文明でありその文明による死には寛容で自然の横暴に対しては台風で有れヒグマであれ大騒ぎをする。不思議なことだ。エゴとエコの融合でロハスだ温泉ブームだなんてホイホイしていたムードはこれで少し水がさされるかも知れない。自然を人間が自己流にてなずけようとすればしっぺ返しは大きい。ロハスなんて所詮そんな目に遭うものなのだ。自然は人間のエゴなんて許さない。