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HCB アンリ・カルチエ・ブレッソン展

ブレッソン木村伊兵衛とライカと

f:id:kumarin:20070701170714j:plain 夕べはドラムマニアのメンバーと呑んでしまってすっかり寝坊してしまったが今日は九段の東京国立近代美術館にHCB(アンリ・カルチエ・ブレッソン)展に行ってきた。撮影地別にカテゴリー分けされた展示スタイルを自分なりに時系列に再構成すればアメリカでは「決定的瞬間」と名付けられた彼の写真集のタイトルは当時HCBと信頼関係すらあった木村伊兵衛が言うように横行していた印象派的絵画表現延長としての写真芸術から瞬間を切り取った写真にしか出来ない表現を切り開く初期HCBの写真スタイルに冠された形容にすぎないことが理解できる。

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 印象派的な美しい表現を否定するかのようなHCBの写真スタイルはおおよその保守的な人々には理解できなかったばかりか絵画的な表現の少なさに批判まで現れたのである。そこでアメリカの進歩的エディターたちは大きなニュースより日常の人々の生活から被写人物の内面を瞬間的な表情の中から掴み取ってみせるHCBのスタイルの一面を切り取って「決定的瞬間」と名付けて批判をかわしたに過ぎない。があまりにも評判を呼んだ「決定的瞬間」が一人歩きしてHCBは「決定的瞬間」の写真家にされてしまったというのが真相だろう。今回のこの世界各地での巡回展のタイトルは「ブレッソン・知られざる全貌」というものだがこれには生前のHCB自身も関与していて「決定的瞬間」に対するHCB自身のアンチテーゼの意味合いも込められているのだと思う。

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 実際のHCBの作品はややローキーな中間トーンの深いグレーが非常に美しい。そしてフレームも期待するべき被写体も非常に良く構成されて練り上げられ計画された作品であることが伝わってくる。若い頃画家を目指したHCBは自らの写真にも絵を描くような計画と構成をもって望んだのである。ただ彼はカメラを絵筆の代用には利用せずカメラでしか出来ない映像表現をすることを選択した。これは木村伊兵衛と非常に共通する点である。HCBも木村も心の中で撮るべき写真の造形を丁寧に注意深くイメージしてから人間を撮っている。そしてそういう映像表現を実現するために彼らが選択したのが当時最先端の小型軽量でかつ明るいレンズを持つライカシステムであったのである。

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 HCBにも木村にとってもライカは最良の道具であった。だから彼らはライカのモデルチェンジのたびに新しいモデルを使い決して懐古趣味的に古いライカを追ったり懐かしんだりはしない(し実際にもしていない)。もし彼らが生きていれば彼らは銀塩だデジタルだなどという論争にも参加せず銀塩に懐古趣味的になることもなく必要に応じてパナソニックOEMのライカシステムも選択しながらM8をメインにして写真を撮り続けていることだろう。彼らが必要として望んだことはまず威圧感を与えて被写体を被害者にしない小型カメラでありその小型の機構に備わった速いシャッタースピードだった。そのためのズミルクスやズミクロン、エルマリートと言った明るいレンズであり、優れた感度のフィルム(今で言えばISOスピードレート)なのだ。この条件がより進化すれば進化するほど彼らの領域は膨張し膨らんでいったのである。こうした観点から見れば国産メーカーの大きな一眼レフシステムより、あるいはM3、M6などのオールドライカでもなくM8が今現在の彼らの最良の道具であるだろうことは論を待たない。

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 二人の大きな違いは木村が病床の最後までカメラを手放さず病室からライカRシステムで窓の外を眺めていたのに対してHCBは「写真とは被写体の素肌とシャツの間にレンズを滑り込ませることだからそう言う意味では被写体は被害者だ。故にそうした関係からは心の平穏は訪れ難くデッサンをするときにこそ真の心の平穏が訪れる」と言って晩年は写真を離れ素描(デッサン)に打ち込んだことだ。写真は彼らの絵画的計画性と構成力の積み重ねと作品を見る人間の視力の世界で感じ読み取っていく純粋持続によってそれぞれの心の中に造型されたイメージを「ことば」を介さずに伝え感動を共有するための言語となったのである。そして絵画や音楽を含むことばを排したその言語を我々の先哲たちは芸術と名付けたのだと思う。

僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ

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