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Souvenirs 消せない記憶

銀塩写真は人の心に似ている・・・

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Souvenirs 消せない記憶 : M6 + TELE-ELMARIT 90mm F2.8 f/5.6 1/30sec ILFORD XP2 Super400

  • もしこの二人が自分の記憶にとって必要がないなら、あるいはむしろ邪魔な存在なら、デジタルならさっと消してしまえばいい。あるいはプリント上の姿だけならフォトショップに取り込んで公園だけの風景にいくらでも加工が出来る。しかしネガに残された二人までを消し去ることは出来ない。人の心は銀塩写真に似ている。心のひだの片隅にでも記憶される些細なものですらプリントすればありありと事実として蘇るのだ。この光景に出くわして僕は父方の叔母から聞いた捨てはずの祖母と父が遊ぶ姿を見て涙したという祖父の話を思い出さずにいられなかった。今日の話の登場人物、僕の母以外はすべて故人である。だから漸く書く気になった。

 夕方遅くまで遊び続ける母親と男の子。「ねぇ、ママ、パパはどうしたの?」「多分天国かな」「じゃぁ昨日の電話は天国から?」この男の子は上手いこと言うな。なにもかもお見通しなのかも知れない。そんな会話を聞きながら僕は祖父と父のことを思い出していた。亡き父は5人兄弟姉妹の下から二番目唯一の男の子だった。そんな父の父、すなわち祖父は新潟で大工をしていたという。父がまだ幼い頃、祖父は飯場に奉公に来ていた女と懇ろになる。家族の為の独立だと弟子を住まわせるために新しく借りた飯場。その資金は長女夫婦から借りた。だが祖父はその女と一緒になると言い残し家を出ていったそうだ。長女夫婦の善意は女のために使われてしまったようなものだ。祖母は頭をさげて弟子たちの再就職先を探し飯場をたたんだ。祖母は縫製を内職して3人の子供を食べさせたが稼ぎは追いつかず、成人して既に嫁に行った二人の姉の援助を受けて飢えと寒さをしのいだ。金を差し出す長女に「あの泥棒猫が・・・」と悔しそうにキセルで火鉢を叩いて涙を流し、深々と頭を下げて「悪いねぇ」と受け取った。いよいよ大正も終焉に近づき昭和の大恐慌が迫っていた。

 そのころに村の広場で父を遊ばせる祖母の姿を木陰に隠れた祖父が見つめ、涙を流していたのを三女が目撃している。数年前に祖母や父と姉妹を捨てて女のところへ行った祖父は「女房、子供とはきっぱり別れてお前と一緒になる」と女と自分に誓ったであろうことは想像に難くない。だから祖母と父の前に姿を現さなかったのはまだその女と一緒だったのかも知れない。女とは旨くいっていなかったのか。心の葛藤が見え隠れする。しかしあのときの誓いとは裏腹に子供達や妻のことを記憶から消し去ってしまうことは遂に出来なかったのだろう。実際に生活を共にした記憶、血を分けた記憶はしっかり心のひだに記憶され消し去ることなど出来ない。そう今日の写真の焼き付けられたネガフィルムのように。デジタル写真の様にフォトショップでヒョイと消し去るわけにはいかないのだ。人の心は銀塩写真に似ている。かりにプリント上の邪魔な存在・・・ここではこの母と男の子だが・・・をフォトショップで綺麗に消してただの公園の風景のみにしてしまうことは「女房、子供とはきっぱり別れてお前と一緒になる」などとまるで誠意のないたわごとを発するかのように比較的簡単にはできる。しかしネガに焼き付けられた二人までを消し去ることは出来ないのだ。

 やがてその三女が女学校を出て自由恋愛で結婚すると祖母は父と下の女の子を連れて初恋の人(とは叔母の推測で真偽の程は定かではない)だった福島の山寺の和尚の元に身を寄せている。父は村の衆から若御前と大分に可愛がられた。そして幼くして僧籍に入る。姉たちの援助もあり新しい義父である和尚も優しく随分と理解を示してくれたらしいが父は旧制中学進学を機に東京へ出て三女夫婦の家に下宿して麻布中学へ通うようになる。それから程なく祖父が福島の寺に祖母と末娘を迎えに現れたらしい。末娘である僕にとっての叔母も既に逝き確かめようがないのだが父の記憶によれば同じく東京大井町に住む長女夫婦に呼ばれて訪ねるとそこには長女夫婦の他に祖父、祖母、末娘が揃っていたそうだ。戦争が忍び足でせまり国民生活を圧迫しだしていた頃だという。

 10年以上のブランクがあった夫婦生活、祖父はすっかり変貌していた。棟梁として独立してまもないころの揚々とした面影はどこにもなかった。殆どアル中で気にくわなければ直ぐに暴力を振るう。今でいうドメスティックヴァイオレンスに耐えきれずやがて祖母は新潟の次女夫婦の家に身を寄せた。それから亡くなるまで二人の同居はない。その間どのくらいの時間が流れたのだろう。長女夫婦も新潟に帰ることになったときたったひとりぼっちの祖父は父が住職するる大きな寺に寺男として雇われた。僕も同じ屋根の下で生活した記憶がある。寺の中で突然二人の父(僕にとっては祖父)を抱えることになった母の苦労は幾ばくのものであったろうか。それでも母を説得して家に入れたのはやはり血なのであろうか。祖父は暴力こそ振るうこともなかったが常に酒浸りだった。酒に酔っては問題を起こし門前町の商店街に迷惑を掛けた。そのたびに謝りに行って祖父を連れて帰るのは母の役目だった。その間の父と母がどういう会話をしていたのか僕には分からない。父は祖父を憎んでいた。一度だけ酒に酔った父が祖父への恨みを語ったことがある。たった一度だけ。

 ひとりぼっちになってから消してしまった筈の記憶に身を寄せて生きなければならなかった祖父の思いはどんなものだったのだろう。将来を誓ったはずの女がいつどこでいなくなってしまったのかは僕にはわからない。誓ったはずの存在が消え失せ、目の前にあるのは消してしまった筈の存在なのだ。人生のなんと皮肉なことだろうか。酒は絡みついてくる記憶から一時的に自己を開放してくれる。もはや祖父には酒に頼り絡みつく記憶から逃れる以外に生きる術がなかったのではないか。祖父の非道いアル中の様は幼かった当時の僕の記憶にもはっきりと刻まれている。やがて父は祖父を老人ホームに入れてしまう。程なく祖父は逝く。父は無言で死に水を執った。父のアルバムから出てきた古ぼけたセピア色の写真。おそらく大井町の長女夫婦の家に皆が集合した時のものだろう。祖父だけが笑顔を作らずにそっぽを向いている。消すことの出来ない事実。もの語る写真。