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クマがいない地球なんて

人間が恐れをもつ何かとして神に造られたクマ

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K10D + smc-PENTAX FA 80-200mm F2.8Star ED 108.0mm f/2.8 1/125sec.

  • 短い冬の日差しを浴びながらヒグマはまるで人間がくつろぐようにゆっくり草を食べていた。なるほど、人間が恐れをもつ何か……か。クマの存在はこの世界がわれわれ人間だけのものではないことを意識させてくれる。

 小川洋右と大山卓悠の「星野道夫 永遠のまなざし」を一晩で一挙に読み進んでしまった。ヒグマやワタリガラス、そしてアラスカの大自然を通して星野さんは有史以前の人間の成立と根源に目を向け現代社会に警告を発しようとしていた。星野さんと旧知でもあった二人の著者はその星野さんの視線を共有しようと試みる。人の命とは肉体が滅んでも、形がないものとして人の心に生き続けるものなのだ。

 ワタリガラスはふと考えた 人間が恐れをもつ何かを造らねば この地上にこしらえたすべてのものを いつか滅ぼしてしまうに違いない

 ワタリガラスは1頭のクマを形づくり そこに生命を吹き込んだ……。アークティック・オデッセイ—遥かなる極北の記憶

 ワタリガラスの神話では、人間はハマグリの殻から外に出たようになっている。だが、夜の闇、そしてその闇を忌み嫌う人間が作り上げたまばゆい都市や家屋のことを考えるとき、私には、人間は殻から出たのではなく、本当は自分が入っている殻をひたすら大きく大きくしてきただけではないのか、と思えて仕方なくなってくる。いまだに殻の中に入っているというのに、殻の方がなまじっか大きくなって、まるで一つの世界のように見えるから、自分は大きくなって外の世界に出て、何でも知るようになったかのように振る舞っている。それが人間ではないのか……と。「星野道夫 永遠のまなざし」より

 そういえば初夏に行った星野さんの写真展「星のような物語」のパンフにもこういう星野さんの言葉があった。このことばはアラスカで1996年9月に行われたメモリアル・サービスで作家のシェリー・シンプソンが朗読したそうである。

 もしもアラスカにクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることが出来る。何の心配もなく野営できる。でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるんだろう。

 人間はつねに自然を飼い慣らし、支配しようとしてきた。けれども、クマが自由に歩き回るわずかに残った野生の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。それはなんと貴重な感覚だろう。それらの場所、これらのクマはなんと貴重なものたちだろう。写真展「星のような物語」より

星野道夫 永遠のまなざし

星野道夫 永遠のまなざし