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カルネヴァーレ ・謝肉祭 の仮面

背徳を神に見つかりませんように

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謝肉祭 の仮面 : M6 + SUMMICRON 35mm F2.0 f/2.0 1/125sec. DNP CENTURIA200

 カルネヴァーレ (carnevale) =謝肉祭とはラテン語で「肉よ、さらば(carne vale)」と言う意味でカトリック四旬節の断食の前夜祭に端を発すると言う。いかにも正統で伝統的な説だが一方ではゲルマン民族に伝わる春の到来の祭りをキリスト教に取り込んだものという説もある。神の名の下に侵略と略奪の正当化を担ってきたのはキリスト教の持つ影の側面である。そこで異教徒を強引に改宗させ支配したキリスト教が旧異教徒のガス抜き、抑圧された精神の解放、つまりキリスト教社会の維持の為にゲルマン民族の春の祭りをうまく取り入れたと考えるとこの二つの説が対立する説ではないように思える。

 普段は強引にキリスト教的生活を強いられた旧異教徒達は謝肉祭の一週間の間だけは教会の内外で羽目を外して祝祭を繰り返えし精神を解放することが許されたのだよ、きっと。そのかわりに彼らはキリスト教徒であることを隠し神の罰を受けないために仮面を付けて変装したのだな。そして最後に神を冒涜するような自分たちの行為の責任を転嫁するために大きな藁人形を用意して、火あぶりの刑に処して精神は解放され謝肉祭が終わりを告げて普段のキリスト教的生活に戻っていく。さてここに表象と本質の逆転が起こっていることが興味深い。普段の生活・素顔での生活のほうがタテマエで仮面を被っているようなもので、仮面を付けて変装し神から身を隠した時にホンネの行動をしているのだから。

 西洋的なアイデンティティーの確立とはきっとこう言うことなのだと思う。宙ぶらりんで不安定な自己などいつも巡って変わっていくものだ。本質的にひとつのアイデンティティーなどで生き抜けるわけがない。そこで仮面を付けずに素顔で規律正しくまるでそれが本来の自分であるかのように振る舞ってタテマエで仮面の生活をする。それでホンネでデタラメをやるときは仮面を付けて社会的な記号である自己を隠してしまうという寸法なんだね。この歴史が人間に羞恥心を醸成しきたのだろうと思う。羞恥心とは動物時代にはなかった人間社会の賜なのだ。恥ずかしいことをするときはせめて仮面を被る。弱くって一人では堂々と生きることの出来ない人情に裏打ちされたとても人間的な行為だと思う。ところ最近は精神を勝手に開放しすぎて恥ずかしいことに仮面を被らない人が増えたなぁと思うのは僕だけだろうか(笑)動物への退化か?

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