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いじめ、不登校の現場 出口の見えない混沌

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 可愛い顔して、煙草プカプカに立て膝。別に法に触れているわけではないから文句言う筋合いは無いのだけれどこういう光景になんとなく眉をしかめたくなるのは僕がもうトシだからだろうか。別に当たり前のようにやっていて、不良とかそういうんじゃないんだけどね。写真は本文とは関係ありせん。

いじめ問題に取り組んでみて

 2006年の11月、いじめ自殺問題がクローズアップされわたしも仏教が少しでも具体的に手を差し伸べられればという問題意識の元、幾人かの有志と末寺レベルでの取り組みを開始した。「いじめ、不登校119番(仮名)-- あなたたのお子さんはだいじょうですか?」なる地域ネットワークをスタートさせ、両親からの、あるいは直接いじめの被害にあっている子供達からのアプローチを受け入れる体勢を準備した。具体的な地域、方法にについては当事者のプライバシー、これ以上物理的にも受入が出来がたいわたしたちの非力さ故にここでは割愛させていただく。実際のところ当時ニュースにも取り上げられた、学校に行くことによって過度ないじめに遭い自殺が想定される緊急度を要するケースはわたしたちには寄せられなかったが、いじめ被害を両親を通さずに直接訴えてこられた児童も含めていくつかのケースをわたしたちは受け入れ、この一年間解決の糸口を模索しながら、ご両親や学校とも対話を続け、さしたる成果を上げることが出来ずに二度目の新年を迎えてしまったことをここに報告させていただく。

 ■2006-11-15 難しいな、いじめ自殺問題 

 ■2006-11-17 いま逃げ場のない子に逃げ場を創れ!

 この活動に取り組んだ動機は上記二つのエントリに述べているので興味のある方は参照されたい。前述のように一昨年のエントリで取り上げたような自殺が想定される緊急性を持つケースはなく、ほっとしたところもあるのだがわたしたちに持ち込まれたのは単なるいじめだけが原因とは思われない多層な問題を抱える不登校のケースであった。いじめ被害を直接持ち込んでくれた児童のケースを別にすると、いじめにしても不登校にしてもいざ家庭内の問題として持ち上がる以前に子供が発している SOS を要請するなんらかの発信に親が気がつかない場合が多い。それがやがて膨れあがり親にとっても懸案事項になって始めて気が付く。しかしわたしたちの接したケースでは親はそれでもそれ以前の日常に戻ることを優先して考えがちで、相談されるケースのほとんどが「どうしたら子供が再び学校に通うようになるか」ということに集約される。

 ものごとには常に時間的因果関係があるからその原因を一緒に考えましょうというわたしたちに対して決まってでてくるのが「いじめ」「教師への不信」という原因である。そこに到るまでの子供の心理的変化、つまりなんらかの不満やトラブルへの遭遇→親へのSOSの発信→親の無視、そしてその経験による将来への予測から導き出される不登校というこどもの選択は考慮されず、責任を単に「いじめ」「教師」と単純化し、自分を傷つけずに済む他者への転嫁というかたちでの問題の解決という方法がわたしたちに要請された。あくまでも私感で統計的な裏付けがあるわけではないが、こうした家庭の親は子供と一緒に何かを成し遂げるというような「子供との精神的な共同作業」をした経験が少ないように思われる。そして彼らと対話を積み重ねていくうちにそうした「子供との精神的な共同作業」ということ自体に関心がなかったか、あるいは意識すらしていなかったのではないかということをわたしたちは認識させられた。

 子供(あるいは哺乳類全般)は「自分にとって悪いことが起きる」という結果が予測される行動を選択しない学習能力がある。問題を複雑にするのは子供にとってこの「悪いことが起こる」という予測が学校、家庭の双方に存在する場合である。学校でいじめにあって金銭の授受等が生じ、そこにいたるいじめの経緯の原因が家庭にある場合、こどもはそのことについて一切の口をつぐんでしまう。一例だけあげるが「おまえのオヤジは他の女と住んでいる。言いふらされたくなかったら金を持ってこい。」というケースがあってその子供はことあるごとにいじめる側の子供に金を渡していたがやがて不登校になるものの、自分が学校に不在の間「言いふらされる」ことを恐れて、不登校の間もいじめる側の子供に金を渡していたという、いささか衝撃的なケースがある。実際のところ父親は離婚していたが、他で他の女と住んでいるという事実はなく、その子供は母親を庇うあまりにいじめの要請に応えていたのである。母親も仕事に忙しく子供と過ごす時間が少なく言われるままに小遣いを渡していたから子供は「自分にとって悪いことが起きる」ことをせずに黙っていた。ところがモノを買っている様子もない子供があまりにお金を要求するし、学校にも行っていないことがわかったのでわたしたちにアプローチしていじめの実態が明らかになった。

 このケースではわたしたちから学校に連絡して大凡の金銭の返還をうけ、いじめた側の親と担任の先生にもいじめた側の子供のフォローをお願いするかたちで和解を得たが、だからといって事後はそう簡単にはいかない。母親の離婚という家庭内外で口に出しては子供にとって「自分にとって悪いことが起きる」要素を、べつに悪いことは起きない要素へと作り替えて行く必要がある。それはまさしく母親と子供と一緒に何かを成し遂げるというような「子供との精神的な共同作業」にあたると言えるだろう。こどもの年齢にもよるが離婚が決してマイナスな要素ではないことと、たとえ母親にとってはウソでも父親がこの子と母にとって悪い人間ではないことが子供に意識されるような親子の対話が求められているように思う。この親子にわたしたちは声援を送りながら対話を進めているが、やはり一番求められていたのは母親の自覚と積極的な子供との対話である。ところがこの親子のように比較的短期間で解決の糸口が見えてくるのは稀である。母親が離婚という子供に対する負のコンプレックスがあったから、母親が自分の問題として取り組みやすかったのだろうとわたしたちは推測している。

 わたしたちが経験した他のケースではこうすんなりと親が自分の問題と意識して子供との共同作業に入ってはくれない。多くの方の協力を得て「いじめ」という一つの不登校の要素を取り除くことが一応出来た場合、それが短期間であれば短期間であるほど、次のステップをわたしたちの責任であるように要請してくる親が多いのには辟易してしまう。こうしたケースで問題を複雑にしてしまうのは両親が揃っている場合の父親の不協力だ。いじめの原因となる家庭内での子供にとっての負の要素を子供から取り除いていくためには母親一人ではなく父親の協力が不可欠だ。だが母親がわたしたちとの対話によってようやく自己の問題と認識し取り組もうとしているのに、父親が協力してくれないケースが多い。凄い例では母親に対して「お前が坊主なんかにそんな相談をするから悪い」と言われた例があった。世間的な「坊主」の評判の悪さを払拭していく努力も必要だねとわたしたちは苦笑せざるをえなかったが… これも少数からの統計なので普遍的なところまでは断言できないが、20代、30代、40代と世代を重ねるごとに父親の協力が得にくい。単に世代の相違だけでなく、こどもの年齢も違ってくることにもその理由はありそうだが、若いお父さんのほうが我が子に対する親の責任の思いが強いようだとわたしたちには思えた。

 なんとくだらだらと書いてしまったが、それぞれのケースについてわたしたちはいくつかの末寺で真剣に取り組んでいるつもりだ。実際にいじめがおきている学校の取り組みはどうなのかと問われれば、それはわたしたちが踏み込む領域ではない。ただ個別の事例ごとに学校にアプローチを試みてはいるが学校によっては決して快くわたしたちを受け入れてはくれないところも多い。「何も起きていない(本当は見ていない、あるいは見えないフリをしているだけなのだが)ところになぜ騒ぎを起こすのか」というのが彼らの言い分である。しかし面会を求めた公の場では「いじめ」は当校にはないと拒否された学校でも、あとになって担任の先生から連絡をいただき密かに調査協力を申し出て下さる先生もいらして大いに力になっていただいているケースもあることは報告しておく。そしてこの活動の報告をするためにわたしは昨年末、齢80を越えていまだ矍鑠とする小学校の時の担任の先生を訪れた。仮に I 先生としておこう。 I 先生は今の尺度から言えば体罰教師でわたしも随分と殴られた思い出があるし、あるときは一本背負いで投げられて教室のフローリングを壊したこともあったくらいだ。

 そういう先生だから当たり前のようにクラスにいじめなどなかったし不登校もなかった。最近の報道で先生がクラスの子供達にルールを守らせるのに苦労しているというものがあったが当時は勿論そんなことはなかっただろう。わたしは前にも同様なことを書いたと思うが学校の先生の言うことを守らないと子供にとって「自分にとって悪いことが起きる」という経験則を植え付けるのが一番なんです。これでいじめは無くなる。少なくとも机上ではね。ところが現実はもっと重層的な問題が横たわっている。奇しくも I 先生はこう言われた。

わたしが自分の思うような教育方針を採用しそれが実行出来たのは
  1. 一つには君たちのご両親がわたしを信頼してくれて学校にいる間の君たちに対して全権をいただけたことだ。
  2. 二つ目は君たちがわたしのことをバカにせず、きちんと担任の先生として認めてくれたこと。
  3. そしてもっとも重要なことはわたしの教員生活を通して偶然による幸運に感謝しなければならないが体罰で一つも事故が起きなかったことだ。

これらのことには時代の援護もあったというべきだろう。こうして君が今日わたしを訪ねてくれることもふくめてわたしは教師として、わたしが任官していた時代に、君たちのご両親に、そして君たちにとても感謝している。今日はありがとう。

 I 先生の言葉を裏返せば時代が教師から権限と信頼を奪い去ってしまったとも言えよう。ならば、わたしたちが子供を守っていくために、時代という怪物が教師から奪ってしまった権限と信頼のボリュームを、教師の代わりにわたしたちが子供達に差し向けて行かなければならない。時代とはまさしくわたしたち自身も含まれるのだから。そのぶんわたしたちは子供と一緒に何かを成し遂げるというような「子供との精神的な共同作業」を積み重ねて行くしかない。いじめも不登校も決して単純なキーワードに原因を転嫁していくだけでは解決の糸口は掴めない。重層、多層に横たわる負の要素をまずは我が子から取り除いていく共同作業を子供と取り組むことだ。わたしたちもこうした作業に取り組むことによって少なからずの経験を積ませていただいた。この一年間、人にわたしたちの考え方を伝える難しさにわたしたちは疲弊もし失望もしたが、またわたしたちと対話を重ね共同の作業をしながら取り戻されていく親子の笑顔に勇気づけられもした。これからも微力ではあるものの混沌としたなかから、僅かではあるが出口につらなる糸口を模索していきたいと思う。温かく見守り、あるいは叱咤激励をいただいた全ての方に感謝の意を表したい。

♪BGM while writing

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