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反省の仕方を理解していない倖田來未の謝罪会見

どうやったら同じ過ちをしないかを分かっていないんじゃないか

CANDLE LIVE

CANDLE LIVE:K100D + PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL 21mm f/4.0 1/8sec. ISO800

 このブログはなにも倖田來未さん叩きに加勢しようというつもりはないんですが謝罪会見見たらあれ~っ!この子は反省の仕方も理解していないんじゃないかと思ったのでちょっと。涙流せば良いってモンじゃなくてどうして自分があんな発言をしてしまったかというアプローチが全然見られないんだよね。「羊水が腐る」発言は「冗談を大きく言うクセ」から出て来るものではないし「軽はずみな言動」を慎めば出てこない発言でもないと思います。

 ■You Tube : http://www.youtube.com/watch?v=AF8OPiw03EU&feature=related

 昨日も触れさせていただいた kikulog の『倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について』コメント欄にはこの倖田來未さんの謝罪の内容を示唆するコメントがいくつかあったのだけれど、ここから引用されいる id:next49 さんの 『発声練習: 「自然な疑問」を持たないように訓練されている』に倖田さんの脳のはたらきがよく示されているように思います。

高校生を対象にロボット製作の授業をやっていますが、目的はチームワークの経験にウェイトを置いています。

その中で、議論を戦わせる、相手の考えを読み取るといった面を重視しているのですが、これに何ヶ月もかかります。

なんというか「自然な疑問」を持たないように訓練されている、とでも言うべき状態なのです。

常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹しているから、基本的によい子になっている。

結局のところ、分断された知識の暗記のような事にしかならないから「どうすれば良いのか」とか「なぜこんな問題が起きるのか」「解決手段が無いときに代替手段を考える」ということ自体にたどり着きません。kikulog:倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について:コメント28の酔うぞさんの発言より抜粋

「概念」という概念を持ち合わせていない学生が少なくないんじゃないかと思うことがあります。

来月出る予定の「大学の物理教育」に書いたんですが、頭の中が単なる知識データベース(not RDB)になってるんじゃないかと感じられる部分や、未整理なエピソード記憶の集合体になってるんじゃないかと感じられる部分など、ともかく何かしらの生体記録媒体としてしか脳を使ってないんじゃないかと感じられるんですね。推論エンジンを持ち合わせていないし、データ間の整合性なんて気にしない。

授業で、「習った重要キーワード間の意味的なつながりを図示せよ」って課題をやらせてるんですが、なかなか悲惨というか、学生さんたちの頭の中身が手に取るように見えてきます。各キーワードが断片化されていて、全くつながってないんですよね。

kikulog:倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について:コメント47のいしやまさんの発言より抜粋

まさしく、このように日々感じている。


・常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹している

・ともかく何かしらの生体記録媒体としてしか脳を使ってないんじゃないかと感じられる


卒業研究の肝は、正解がない問題(正解を誰も知らない問題)を観察した事実や構築した理論に基づき論じるという点にある。なので、上記の「正解を先生が知っている」という姿勢で卒業研究に望む生徒はいつまでたっても、研究が進まない。しかも、勉強した知識や先生や先輩からもらった助言と観察できた事実との間に関係性を結ぶことができないので、実験しても実験しただけ。プログラム組んでもプログラム組んだだけという状態で止まる。本当に困っちゃう。


これは明らかにこれまでの生育過程においてそんなことを考える必要がなかった、あるいは、そんなことを考えるとペナルティを受けるかもしれなかったという状態に適応した結果だと思う。この認識からすれば、卒論生個人が悪いわけではなく、単に不運だっただけ。

発声練習: 「自然な疑問」を持たないように訓練されているより

 想像力の欠如という問題を、むしろ想像力なんか働かせないように「自然な疑問」を持たないように訓練されているのではないのかという問題提起です。倖田さんもまったくこの通りなんですね。脳が上で言われているように未整理なエピソード記憶の集合体になっていて、そのなかから自分が面白いと思うことがらをピックアップしているに過ぎなくて、そのことの自覚がないから、「どうすれば良いのか」とか「なぜこんな問題が起きるのか」「解決手段が無いときに代替手段を考える」ということ自体にたどりつかない。結局内容の伴わない「反省」「反省」を繰り返すしかない。あの涙は「反省」している涙ではなくてどうしたらいいか分からない涙ですね。

 別に冗談を大きく言うクセは悪くもなんともない。そんなことより脳内の断片的知識が公の場所で発言して冗談ですむかどうかを検証しなければならない。だけどそれを検証する方法は自分は知らなくても大人が知ってるから大人に任せようってスタンスなんです。今回は大人の役割を果たさなければならないはずのニッポン放送のスタッフも気がつかなかったんだから話になりませんけど。

確かにこの倖田來未の発言は、想像力の欠如の良い例ですね。

私は、彼女個人の想像力の欠如ももちろんですが、今の一般社会全体の想像力の欠如についてどうしても考えてしまいます。

まず彼女の件で具体的に言うと、これは倖田來未自身に聞いてみないとわかりませんが「35歳を回ると羊水が腐ってくる」と聞いたときに、自分の周り(もちろんこれだけでは統計的には不十分ですが、あくまでも思考の最初の取っかかりとして)で実際に羊水が腐った35歳以上の女性がいるかどうか確かめたりしようとなぜ考えないのか、と言う事なんです。

こうしたことは、私には伝聞した情報の真偽を確かめる際に行うべき最低限の行為だと思うんですが、一連の謝罪とプロモーション活動の自粛までの流れを見ていても、彼女がそうした行動をとっているようには見えません。

ここがどうも理解に苦しむんです。

なぜ伝聞情報の真偽を確かめるコストをここまでかけないのかが。



ああいった発言を

故意にしたとまでは私も思いませんが(^_^;)何というか、彼女が「何となく感じる皮膚感覚」から、ああいった発言をしても一般層に受け入れられるんじゃないかという判断を下した可能性は私はあると思っています。

だからこそ、「35歳を回ると羊水が腐る」事が事実かどうかとか、科学的根拠があるのかといった事には関心がほとんど向かない。

だから一切話の真偽を確かめる事にコストを割こうとも思わない、そういう風に私には見えるんです。

kikulog:倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について:コメント20と24の内海さんの発言より抜粋

 倖田さんにはせいぜい頑張ってもらうしかない。でも今回程度の「反省」しか出来ないならきっとまた同じようなことをしでかしてしまうのは目に見えている。「反省」「反省」なんて考えなくても良いからとりあえず一冊本を手にとって下さい。どんな本を手にとって良いかわからなければ昨日、今日と僕が引用した他の方のブログを見ればいい。「水伝」がいかにインチキかを考えるその方法論を学ぶだけでも想像力は身につくでしょう。

 でもこの想像力の欠如は皆さんが指摘されているようにひとり倖田さんの問題ではないですね。今日は他の方のブログの引用だけで終わってしまいました。最後に id:next49 さんのならば『「自然な疑問」を持つように訓練するには』からまったくその通りと思うご提言を引用して今日は終わります。

研究は基本的にどこにも答えがない。場合によっては、問いすらない。問いや答えを自分で作りだし、その問いや答えの妥当性を出来る限り多くの人間に納得させなければならない。仮定や前提によって問いや答えは変わるので、多くの人間が納得する仮定や前提を選ばなければならない。つまりは、問題を解決する枠を用意し、自分の用意した答えがその枠をぴったり満たしていることを示さなければならない。一方、勉強は、基本的に問いも答えも用意されている。すなわち、問題解決の枠とその中身はあらかじめ用意されている。問題解決の枠が決まっているので、答えもひとつに定まることが多い。問題解決の枠の妥当性も他人が保証してくれている。(発声練習:研究と勉強の本質的な違い)


長期的には、小・中・高等学校の教育、特に国語教育を変えればどうにかなると思う。具体的には、感想主体の授業をやめ、論述・説明主体の授業へと切り替えないといけないのだと思う。もう、20年近く前になるのにも関わらずいまだに国語に対して恨みをもっているのが以下の原体験があるから


私が国語の時間が嫌いになった理由は、小学校のとき「この作品を読んであなたはどういう情景を思い浮かべますか?」という先生の質問に対し、私が、「私は***という情景を思い浮かべます。」と回答したら、「うん、でも、正解はXXXXXという情景なんだよ。」と先生に言われたからである。私の考えを聞かれたから回答したのに、それを他人である先生が、しかも根拠なく不正解であると宣言した経験が「国語というのはどうしようもない科目だ」と私に思わせた。

(発声練習:外国語で発想するための日本語レッスン)より

発声練習:『自然な疑問』を持つように訓練するにはより抜粋、引用

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