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般若心経が否定しなかった三十七菩提分法

仏教

はじめに

梅 -紅白-

梅 -紅白- : Leica M6 + Elmarit M135mm F2.8 露光時間1/250sec. f/5.6 Kodak ULTRA COLOR 400UC

 仏教はまた暫く書かないと宣言したはずだが id:ajita さんから2月10日の拙稿『初期大乗と小乗僧院の社会的活動との関係について』にトラックバックを戴き発信元である ajita さんのご論考『般若心経が否定しなかったもの』を拝見させていただいた。簡単なコメントのつもりで本稿を書きだしたらコメントにしては長くなりすぎたので結局こちらのエントリにして仏教を語ることになってしまった。朝令暮改もまた縁起のなせる技なのかも知れぬ。わたしの「仏教を暫く書かない」は「サッティヤ」ではなかったのだ。ajita さんはその『般若心経が否定しなかったもの』で

「通仏教」とは何かとあらためて考えはじめて、何でも「無」にする『般若心経』もその親分である『大品般若経(摩訶般若波羅蜜経)』その注釈『大智度論』を読むと、般若波羅蜜多とは三十七道品の修習に他ならないことが明記されており、その実践に励む人々はすべて、釈尊の遺訓(大般涅槃経に説かれた訓戒)に従う仏弟子であるとみなすこともできる。このように教相判釈ならぬ「行相判釈」で経典を分析していくと、不毛な教理論争を乗り越えた通仏教的な仏教理解の足がかりが成り立つかもしれない、という気がしはじめている

と書かれている。そこで本稿では(1)でサンスクリットの文化と土壌を考察し、(2)で般若経自身が物語る当時の僧院を取り巻く環境を追い、(3)で「通仏教」の中での「空」思想と仏教教団史の中での派閥闘争の「ブラフマン」としての般若経の二面性を持つ役割を考察したうえで 「まとめ」で 中国や日本では「小乗」の初期経典のアーガマがインド大乗においては「小乗」と蔑まれるものでは無いばかりか重要な修行の要点であること、それはサンスクリット文化の上に成立した般若経においても例外ではないことを論ずる。

一、サンスクリットを土壌とする般若経

 実際のところ般若経グループがその「空」という思想を除けば実際の仏教教団史の中でどういう位置にいたのかを確定することは難しい。『八千頌般若経』に記述されるマーラの介在として描かれる般若経グループとアンチ般若経グループの対立と抗争は例えば後代のアサンガ、ヴァスヴァンドゥ等、瑜伽行実修行派と毘婆沙師グループの論争のように部派教団説一切有部内の論争とは趣を異にしているからだ。美しい都城内の豪邸に住む法上菩薩に般若の求道者である常啼菩薩が般若波羅蜜の聴聞するストーリーは何らかの教団外の人物を示唆している。しかし五蘊が「空」であるという思想は四念処の実践による発見とその論理的要請以外には考えられない。ナーガールジュナによれば「空」とは自性のない依他起性である法無我のことであり現代人のように仏教ファンが机上で考えて「すべては空」というのとはわけが違うのである。したがって「空」思想の提唱者は教団内の毘婆沙師グループから出たと考えざるを得ないのである。

 般若経サンスクリット語圏をベースに成立した仏教思想である。このことは般若経グループが以下のサンスクリット語圏文化の前提を持っていたことを考慮しなければならない。

  1. サンスクリット(原語はサンスクリタ)と名付けられたのは紀元後5世紀をくだってからであるが、サンスクリットの使い手(バンディットと呼ばれるバラモン系の知識人)にとって、言語という存在は始まりもなく終わりもない不滅のブラフマンであり、そこから意味の形象により世界が生成される。つまり聖典の為の言語である。
  2. 何故ならサンスカーラという語(仏教では修行により滅するべきものとされたが)があるが、それは行為者、要因、必要とされる素材などを包括的に参照して一つの行為を準備し、なにものかを実現するための多様な要素を総称する語である。この過去受動分詞形がサンスクリタで準備され完成されたという意味でこの言語に名付けられた。
  3. この言語は聖典の暗誦の為に基本的には3通りの読誦のパターンを持つ。1のパターンは連続したサンヒター(一節全体)を語の間に休止を置かずにそのまま暗誦する。2のパターンは同じテキストをパダ(単語)ごとに区切って暗誦する。3のパターンはテキストの全てのパダ(単語)を後続のパダ(単語)とセットにし、そのセットごとに休止を入れる。その3通りをそれぞれ口に出して唱えることで、パダ(単語)結合の習慣的ルール、リエゾンの変化などで音韻論的に、形態論的に暗誦者はそれぞれに誤りがないかを検証することが出来るようになっている。

 以上の3点は仏教に限定されたものではなく通サンスクリット語圏的なものである。大雑把ではあり、もっといろいろあるのだが本稿に必要な最低限を挙げればこの三つ。これらのルールは文法家パニーニ(紀元前5世紀)によって固定化されたものであり、パニーニのルールによってサンスクリットラテン語のように歴史と文化によって自由に発展することを堰き止められてしまった。また漢訳仏典のように翻訳者の意図が表意文字である漢字によってぼかされてしまうこともない。古代インドの聖典が正確に伝承されていくのはこのことによるものだし説一切有部アーガマの nītārtha/neyārtha (了義・未了義)に拘っていけるのもサンスクリットのこの特性に因る。

 仏教がいつからサンスクリットアーガマの伝承に用いるようになったかはパーリ語との関連性とサンスクリットへのシフトの時期が検討されなければないが、少なくとも「根本分裂」以降、般若経グループが成立するころの南方分別設部を除く仏教各派の公用語サンスクリットであることは論を待たないだろう。パーリ語についてはわたしにははっきりと論述は出来ないが少なくとも暗誦の方法論についてはサンスクリットと似たような体系を持っていると考えられる(パーリ語はそれをすらパーリ語で記述する)。また94年のハッダ出土の仏教経典の古写にはサンスクリット版のスッタ・ニパータも含まれており、1892年のホータン出土のサンスクリット版『法句経(ダルマパダ)』と合わせて最初期の仏典が「根本分裂」以前からサンスクリットでも伝承されていたことを示すものだろう。

 こうしたこととサンスクリットの文法上の特性を考えれば初期の阿含経仏典はゴータマ・ブッダ釈尊の言葉そのものであると考えてまったく差し支えない。あり得ない話だが、たとえ仏教に信服せず仏典の暗誦をするパーナカと呼ばれる比丘をバンディットが単に職業として選択したとしても寸分違わず伝承するシステムをサンスクリットは持っているのである。それはインド人が記憶力が良いなどと言う話(これも事実そうなのだが)に収斂されてしまうようなレベルの伝達力ではあり得ない。最初期の仏教の教団には当然バラモンの暗誦者・パンディットからの出家者もいたであろうし聖典の言葉を伝承するためにサンスクリットの文法ルールに則って伝承されるウパニシャッドを知っていたと考えられる仏教教団がその方法論を見のがすはなく、第一回と第二回目の結集が成立するのもサンスクリットのこの特性によるのではないか。この特性こそアーガマの nītārtha/neyārtha (了義・未了義)を論理的に議論、検証できる下地であったのであろう。そしてまとめられたアーガマは分担が決められルール通りに暗誦され教団の修行法として口伝で伝承されるのである。従って「三十七菩提分法」はパーリ語圏の南方分別設部ばかりでなく有部などのサンスクリット語圏の教団の中でも「三十七菩提分法」に指し示されるように読誦され、師から弟子へと文法に基づいた暗誦の教育が伝承されていたのである。そしてこの伝承はナーランダーへと連綿と続く。フランスのインド学者ルイ・ルヌー(1896~1966)はナーランダーはパニーニ文法学の最高の教育機関であったと述べている。

二、般若経が物語る僧院を取り巻く環境

 説一切有部の律では出家者は最初に読誦と禅定の二つのどちらかのコースを選択することになっているがこれも如何に教団が聖典の伝承を重要視していたかを示すもので、読誦コースの教育内容がサンスクリット文法に基づいた聖典の暗誦であることは疑う余地がない。そして禅定コースを選択する者のために、その教育的効果を上げるために五位七十五法が体系化されていったものと思われる。その五位七十五法を観察する禅定であるが、大乗経典に書かれるように当時の禅定者はその多くが森林に住した。「八千頌般若経」に書かれるマーラとは僧院の布薩に参加し、寝具、衣料品、医療品、そして時には食事なども僧院から支給されている森林に住する有部系の毘婆沙師であり、彼らが何らかの縁があって般若経グループに接触しその影響をうけた(経典は大乗に入って間もないものと表現する)初発意を持った比丘、つまり大乗の菩薩の誓願(六波羅蜜の誓願は言葉を実態視したヒンドゥのサンスカーラである)を立てたものをそれは仏説ではないとして「声聞地(つまり読誦コース)」や「辟支仏地(つまり禅定コース)」を希求するように再度し向けたのである。むしろ般若経に説かれる対立点は思想そのもよりも利害の結びついたグループ同志の対立に見えてこないだろうか?毘婆沙師に呼び戻された彼らはもともと教団の構成員であり、「三十七菩提分法」を行っていたものたちである。

 般若経グループは「空」を説きながら大乗運動の持つ言葉を実態視したヒンドゥのサンスカーラ・六波羅蜜の誓願をするという矛盾を内包していた。その誓願も在家菩薩の僧院への金品喜捨の見返りの作善の儀式に端を発するもので、僧院側の経済的要請であったであろうが仏教から見た在俗にはサンスクリットの使い手たるバラモン系譜を持つバンディット(知識人)も絶対数は多くないもののいたであろうから、「声聞地(つまり読誦コース)」や「辟支仏地(つまり禅定コース)」をせずに阿羅漢果を得たいというニーズはあった筈である。そうしたニーズと比丘の側の経済的要求が「世界が生成される」というサンスクリットの土壌で六波羅蜜の誓願を論理的に成立させ大きな乗り物としての大乗(般若経最初期の道行般若経には対比としての蔑称であるヒナーヤーナ「小乗」は見られない)のキャッチフレーズになったのではないか。彼らも出発点は僧院の比丘であり、経済的、思想的等いくつかの理由で在家のニーズに応えるようになったのであり通常の修行としては当然「三十七菩提分法」を行っていたものと考えられる。

 従って「空」思想は教団の表層的な建前を示す論書では否定されることになるが有部系の毘婆沙師すべてがそれを否定したわけではない。それは「法有」の限界を禅定によって知った人々の論理的要請なのである。五位七十五法の「人空法有」の「法有」は虚妄分別として依他起性のものとされ、むしろ法に自性がなく縁起するもの、つまり実態を持たない「空」として、華厳の「唯心」に根拠づけられて瑜伽行派唯識思想に消化されていく。すでにそうした思想の萌芽とそういう人々が毘婆沙師の中にいることが『大毘婆沙論』には記述されヨーガチャーラ(瑜伽師)と呼ばれている。彼らの禅定体験は「瑜伽師の意楽」として掲げられている。彼らはまた大乗のキャッチフレーズ「誓願」では仏には成れず、あくまでも修行が必要なことも体系化していく。

三、般若経の二面性

 「空」が大乗ばかりでなく既に伝統的な教義の中でも確立しようとしていた時、あえて登場した般若経は何を受け持つ装置であったのだろうか。装置としての般若経がスートラとしてアーガマの体裁をとられたということは「始まりもなく終わりもない不滅のブラフマン」でありそれはなにがしかの権威を作り出すためのサンスカーラとサンスクリタである。『大品般若経』には『大智度論』という注釈書があるが、ある経典に注釈書、所謂論書が書かれるということはその論書の内容如何によらずその経典の権威を高めるサンスクリット伝統のサンスカーラなのである。こうしたサンスクリットの伝統による効果をナーガールジュナが見のがす筈はない。こうして順を追って考えてみると般若経グループが主題にしたかった論点は「空」思想そのものよりも、経済的思想的に結びついたグループの存在証明そのもではなかったかとすら思えてくるのである。『八千頌般若経』の罵詈雑言の内容はナーガールジュナの『ラトナーヴァリー』より遥かに辛辣で生々しい。これは当時の僧院にこうした腐敗や経済的な派閥による争いがあったことを物語っている。伝統教団たる僧院の主流派も例外ではないだろう。般若経グループはナーガールジュナのような有能なリーダーを頂き、彼らが考える腐敗した教団の再編をもくろんだのではないだろうか。しかしそれは強固な伝統と結束の前に脆くも敗れ去ったのだ。伝統教団側は地域社会の社会的要請に良く応えて成功している組織の例に洩れずしっかりと良いとこどりをしたのである。

 『八千頌般若経』の記述を見れば、旗印である「空」思想と教団浄化グループとしての般若経グループの闘争は、その思想的な核である「空」が毘婆沙師に採用されつつも、グループ存立への危機感吐露され、論点は錯綜しているといってよい。これはわたしたち自身が「小乗→大乗」=「仏教の発展」というどこかで準備されたサンスカーラを取り除かなくてはいけないことを気づかせてくれる。般若経以降、大乗グループはさらに過激にセクト的になった。しかしその後は沈静化し法華経は既に一度対立概念として立てた小乗を再び統合しようと試みる。更にヴァスヴァンドウに到ってはその漢訳や注釈書の題名に「大乗~」「大乗~」という形容詞が見られるものの、それらのサンスクリット原典には「大乗~」という形容詞は殆どない。『唯識三十頌』を見れば「大乗に転向した」はずのヴァスヴァンドウが描く最勝の境地は「阿羅漢」であり、それが大乗の菩薩と同等であると注釈を付けているのはスティラマティーである。ヴァスヴァンドウもまた所謂大乗の「誓願」で仏になることは斥ける。そして彼が論争の対象として頻繁に登場させるのは「毘婆沙師」であり、そこには罵詈雑言も「小乗」という蔑称も無い。般若経時代の大乗と唯識以降すなわち玄奘が「小乗・大乗兼学」と言ったころの大乗は、その掲げる理想は同じでも、指し示す人々やグループの意味はまったく変わってしまったのである。ナーランダーにおいて玄奘がそう呼んた「小乗」の学とはサンスクリット文法学に則り1000年以上連綿と正確に続けられているアーガマ「三十七菩提分法」の暗誦と読誦なのであった。そしてその学に励むサンスクリットに生まれサンスクリットに育った比丘達にとってそれは玄奘の言うような「小乗」の学などではなく「幸あるお方」ゴータマ・ブッダが生前に説いた金言と寸分違わぬ仏教の要石なのであったのだ。

まとめ

 以上駆け足で、般若経の提起した「空」思想と既製教団への闘争的な態度を通じて、そこに説かれる「大乗」という語が唯意識以降の後期インド仏教における「大乗」という語の指し示すものと換骨堕胎されてしまっていることを確認するとともにその変遷の底流では結集で確認されたアーガマ、ことに目覚めた人になるべくの修行法の要「三十七菩提分法」が小乗、大乗を問わず暗誦、伝承され実践されていることを概観した。本来であれば如来蔵思想や仏性論なども視野に入れて考えるべき事象ではあるがもともと ajita さんのエントリへのコメント用に書いたテキストが肥大してしまったものとご容赦願いたい。インドの仏教をインドの言語と文化を土台に考えるとアーガマの伝承、あるいは話し手の意図性をより正しく伝えるために文法的に大きく制約があるインド仏教と、表意文字の漢字を使って比較的自由な解釈が許された中国→日本仏教とは言葉のイメージや意図された語意が大きく異なる(ちなみにチベット語サンスクリット文法を模倣して作られたので伝承形式はインドに近い)。すなわち両者は仏教であろうとする志は一緒でも時にその思想内容はまるで別物の宗教であるかのような表象を示す。般若経をとりまく諸問題は、その時代性から言ってもことごとく史実を抉り出すのは困難であろう。しかし本稿のような視点にたったときインドでは大乗仏教であろうとも初期経典のアーガマが如何に修行の要点であったかを考察することが出来るし、それは最も闘争的で伝統に敵対的である般若経グループも例外ではないことが知られるのである。

一日一チベットリンク → 映画「雪の下の炎」-チベット民族の誇りを呼び覚ます季節

今年の3月10日はチベット民族蜂起の50周年。中国では動乱とされ、これを制圧してチベットを封建農奴制から解放したという。だがチベット人中国共産党からダライ・ラマ14世を守るために命がけ立ち上がった民族の誇りを呼びさます季節という。

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