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マンナンライフ事件は幼児虐待

社会

正常な感覚の記事に共感

ある日の夕暮れ

Leica M6 + MC ZENITAR-K2.8/16 f/16.0 露光時間 1/125sec. Kodak SUPER GOLD 400

 マンナンライフの蒟蒻を幼児が喉に詰まらせて死亡するという事故。どうも報道の仕方に違和感を感じていた。この記事を見て同じように思う人がいると安心した。つうかさ、この件書こうにも顰蹙を買いそうで書かなかったんだ。

マンナンライフの一件は「不幸な事故」的な文脈で世間では処理されつつあるけれど、とんでもない。これは虐待致死事件である。ここを見誤ってはいけない。
そもそも、「赤ん坊に何を与えるのか」というのは、親はじめ保護者が徹底的にケアしなければならない問題である。赤ん坊は自分で食事を選べない。ゆえに、的確なものを与えずに食べれないものを与えるというのは幼児虐待であるし、その挙句死亡してしまったのだからこれは傷害致死だ。祖母はなぜタイホされなのだろうか。

■マンナンライフ事件は事故なんかじゃない

 わたしはこのニュースを聞いてアメリカでベジタリアンの両親が乳幼児に野菜ジュースしか与えずに死亡させてしまったという数年前の出来事を思い出した。人々の妄想を掻き立てる洪水のような情報と何不自由が無い怒濤のような物質文明の豊かさは人間の子育てという能力すら奪ってしまったのだろうか。少なくとも女性は何が乳幼児にとって安全で何が危険かを嗅ぎ分ける観察力と判断力を持っているものである。それが出来ないということは種の保存という人間の、否、人間ばかりではなくこの地球をシェアしていく生物としての使命の放棄である。

 それなのにこの国はなにやら責任の所在を違うところに求めようとしている、こりゃもう終わりやなと思っていた。まして消費者行政担当相を勤める野田聖子氏がマンナンライフの会長を内閣府に呼びつけたというニュースを聞いてもう呆れてものが言えなかった。アメリカのベジタリアンの夫婦は栄養分が足りないと言って野菜やジュースの製造者を訴えることはしなかったが、この亡くなった子の両親がしていることはこれくらいバカバカしいことと同じであり、アメリカの同様な職に就く行政相は野菜やジュースを作った人を呼びつけて「乳幼児が摂取し続けても死なないような野菜にしなさい」とか「この野菜をだけを与え続けると乳幼児は脂肪の危険がありますと表示しなさい」とかのあまりに馬鹿げた行為はしなかったようであるが野田聖子氏のとった行動はこのようなものだ。

 引用元の id:tragedy さんはこう結ぶ。

「当たり前」を当たり前に行使できない人間のレベルまで、我々の社会は基準を落とさなければいけないのだろうか。

 まったく同感である。

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