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「帝国の慰安婦」裁判に惟う

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僕の好きな一枚。
大韓仏教曹渓寺。
2011年12月。この時も韓国でたくさんの人に東日本大震災の心配をしてもらって激励の言葉も頂戴した。

「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授が、同書の内容を巡り名誉毀損に問われ、韓国で1月から刑事裁判が始まった。韓国社会は、神聖な慰安婦のイメージを否定しているとして朴教授の主張には反発がでているものの、学識者からはこうした問題に司法が立ち入るべきではないとの議論も出ている。ソウルのジャーナリスト、リー・テフン氏は、朴氏が責められる理由は、「罪を犯した者には日本人、韓国人に関係なく責任があるという、今まで議論されなかった不都合な真実を説明した」ためと述べている(フォーブス誌)。

 しかしこうしたことが韓国社会に提起されることは好ましいことだと言える。慰安婦問題への海外メディアの報道は、これまでの「日韓対立」という視点から、そこから派生した「韓国内の『言論の自由』の危機」へとシフトしつつある。それはもう一歩進めれば慰安婦などいなかったとする保守派論客の一部の歴史修正主義者とその主張にカタストロフ的な共感を得て共鳴する、竹中平蔵曰くの自民党の自由になる弱者低学歴層の議論に真っ向から対立し日本の低学歴層の右傾化に水をさす流れにも発展していく可能性を孕んでいると思う。そしてまた『言論の自由』の危機も我が国においても他人事ではない。

 実際に慰安婦も含めての日韓併合の歴史的事実はどちらの責任?とか現代社会から見て悪だという単純な問題ではない。日本の近代化において朝鮮半島への投資はロシアとの対立という視点から見れば当然の国策であっただろうと思うし、日本の配下に入る方が得策だと当時考えた朝鮮のインテリ層が政治家を押して議会で可決することになったのも当時の朝鮮の国力からすれば理にかなう。

 イギリス人があれほどの酷い扱いをしたのにインド人や中国人から恨まれなかったのはなぜか?というような話を東洋哲学の研究をしているころ同じ棟の英国文学の研究者と夢中になって議論したことがあって彼に「早くから日英同盟を結びながらなぜイギリスのアイルランド併合失敗の教訓を朝鮮植民地化に際してなぜ活かせなかったのだろうか?」と提起され考え議論したことがある。

 日本政府はは明治維新に際して教育勅語を発布して日本の国民に対して天皇陛下の子になることを誓えば立派な国民とする旨を初等教育から日本人に叩き込んだ。言い換えれば天皇に忠誠を誓えば人間として認めてやるということだ。こんな制度は紀元2600年を通して初めてのことだ。それまでは和を以って尊しとしなすという和の思想という聖徳太子が朝鮮の華厳仏教の根幹からパクった思想が日本人の根幹だった。

 だから日蓮法華経をそしったものは天皇でも地獄に落ちたと実名をあげても罰せられることはなかったし、徳川も度々皇室をおちょくった。それも時代々々の「和」だったのである。ところ明治維新からはそうではなくなり皇室をバカにすれば不敬罪という犯罪にまでなった。

「陛下の子になればお前らも朝鮮人でもなくちゃんころでもなく俺たちと同じ人間になれるんだ」と朝鮮人や中国人に迫ったのは朝鮮や中国に出兵した学歴の低い兵隊たちだった。しかも彼らは悪意はなく善意で良かれと思ってそうした行動に出たと考えられる。つまり陛下の子になることを拒否したものは彼らにとって人間ではないから姦かそうが殺そうがなんでもない。逆に善意で日本名に改名しろだの日本語を使えだの迫ったのだ。

 そうした付き合いの中で日本に忠誠を誓い死んで靖国に祀られることを願って知覧から特攻を志願した朝鮮人の青年もいるし、南方へ陸軍とともに赴いた娼婦の中には日本兵と恋愛関係になったものもいれば同志的連帯意識を持ったものもいたであろうことはいろいろとある記録に触れずとも想像に難くない。

 こうしたことを整理すれば慰安婦も強制連行もないし、日本名強制も日本語強制もない、なにしろそうした政策への軍や行政の証拠となる文書がないと歴史修正主義の御用学者がいくら主張しようが、低学歴の兵隊たちが自発的に善意でやってくれればそんな行政文書は必要ですらなかったことに私たちは気がつく。

 立教大学の小林龍一先生が復員してきた兵隊たちが市電の停留所で自慢げに話しているのを当時の人はみんな聞いているから、東京裁判東条英機が「皇軍の兵士がそんなことをするはずがない」と供述したニュースを聞いて最後まで嘘を突き通すか東条は。国民をあれほど死地に追いやったくせに往生際が悪い野郎だと思ったよと話してくださったのを昨日のことのように思いだす。 韓国にとって不都合な真実は日本に撮っても不都合なのだろうが、不都合な真実こそ不都合な同志が真摯に向かい合い共有して、二度と同じことをしないようにともに歩むのがモダンなやり方だと惟う。