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A fulfilled life - Jean Michel Kaneko Photograhie

知足是福。音楽家・演奏会の写真がメインのカメラマン、公開OKの作品は掲載中。IT企業役員、趣味で料理の YouTuber、趣味は仕事と同様大切でロードバイクと料理とワインフリーク。

天皇陛下のお気持ち表明は昭和、平成、次代の皇太子と三代にわたる天皇家の安倍晋三に対する闘いだ

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憲法に署名する昭和天皇
 今上陛下のお気持ち表明は天皇の政権への闘いなんだと僕も思っている。陛下だってテレビは見るだろうし安倍晋三が在野時代に「こんな、押しつけられた憲法、みっともないですよ。」というのも見ているはずだ。

 ここに昭和天皇のこんな発言がある。昭和21年3月6日に発行された官報に記載された、GHQと幣原内閣が新憲法について会議を重ねている時のものである。君主としての昭和天皇が総理である幣原喜重郎に下賜された勅語だ。

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昨五日内閣総理大臣ヲ宮中ニ召サレ左ノ勅語ヲ下賜セラレタリ

日本国民ガ正義ノ自覚ニ依リテ
進ンデ戦争ヲ抛棄シテ
国民ノ総意ヲ基調トシ
憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ
政府当局其レ克ク朕ノ意ヲ體シ必ズ此ノ目的ヲ達成セムルコトヲ期セヨ

 このところの一連の陛下
と皇太子の言葉は上記の昭和天皇勅語を受けてされているように僕は思う。

「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本をさ、築きました。」〜2013年12月23日、80歳の傘寿を迎えた陛下のお言葉。

日本国憲法には『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』と規定されております。今日の日本は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、現在、わが国は平和と繁栄を享受しております。今後とも、憲法を順守する立場に立って、必要な助言を得ながら、事に当たっていくことが大切だと考えております」〜2014年2月21日、皇太子徳仁親王、54歳の誕生日を迎え元赤坂の東宮御所で記者会見し「皇室の活動と政治との関わりについて」の質問に答えて。
 
 皇室は憲法のなかに象徴という立場が規定されている。象徴である立場の天皇の家族が憲法を守るというのは,当たりまえのことであり、いいかえれば、彼ら一族の立場としては言うまでもないことである。それなのになぜ天皇親子が求められていない憲法を大切なものとして守っていかなければならないとの意見の表明を口に出すかたちでしなければならないのか。しかも親子で連携するように。

 本来であれば天皇、皇族の方々がこのように皇族のお立場における利害状況を理念的に表明することは守ると言われる日本国憲法の立場から許されないはずである。しかしあえて陛下は踏み込んでいる。何故なら現行憲法こそ天皇家と国民の約束であり、この憲法こそ神から人間に降りてきた昭和天皇の苦悩と決心の世界化であり天皇家の国民に対する懺悔と出発点なのだ。その出発点を安倍晋三が破壊しようとしている。

 安倍晋三はまず教育基本法を改正し、教育の目的を「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成」(1条)としてしまった。つまり教育は近代的な個の育成ではなく国家のための教育になったのだ。その結果、国を愛する態度が教育の目標となり(2条)次に靖国神社を参拝して国家と神道との関係を復活させようとしている。

 ところが現行憲法のままでは教育に国家が介入したり,宗教を利用しようとするような国家の行為は許されない。安倍晋三にとってみれば政府が海外で軍事力を行使しようとするときに、憲法がそれを邪魔をしてきた。逆に言えば憲法は国家権力を縛って国民の権利・自由を守り、平和を守ってきたのだ。そこで安倍晋三は押し付け恥ずかしい憲法などと宣伝して憲法の改定への宣言と着手をした。

 しかし現行憲法を改定するなど天皇家にとってはとんでもないことだ。先述したように現行の憲法が現代の皇族の出発点であり、国民との約束であり、この憲法において皇族の地位の保全と安定が保障されているからである。ゆえにこの憲法を日本国民は変えてはならないとメッセージを発しているのだ。改憲の動きにひそやかに抵抗しなくてはならない天皇家は、マスコミを最大に利用できるチャンスを捉えては現状を破壊することになる時代の流れに必死の抵抗を試みていると考えられる。

 ところで安倍総理がみっともないと言った押し付けの現行憲法憲法9条は、幣原喜重郎首相がGHQ側に提案したというのは幣原自身の回顧録『外交五十年』に記述されていたものだが一部の研究者からはこれもマッカーサー回顧録も捏造だと指摘された。僕のFBの投稿にも「まあ、ちょっとだけ法曹に関わった人たちは、何で今更こんな話題を?? と思い、またお得意の朝日の情報操作か、と瞬時に考えますね。当時は、新年度のキャスター交代等が話題になっていた時期でもあり、古舘の最後っ屁かなぁと笑ってしまいました。」などと皮肉のつもりなのか世の非常識である自らの常識をあたかも流通常識であるかのごとく振る舞う歴史が修正主義者の知性を疑うコメントが寄せられた。しかしこういう方々の影響か小学館『少年少女日本の歴史』1989年版では幣原喜重郎首相がGHQ側に提案したとされていた記述が 1994年版では、マッカーサーが、戦争放棄を提案と正反対に改訂された

 これはやはりアメリカ側の意図であったということにしたい願望が働いてきたと言える。これに異をとなえる内容で報道ステーションが2月に岸時代の調査会の肉声発見と『総理と祖父「改憲の原点」』というテーマで放送。この時、木村草太・首都大学東京准教授は「押し付け憲法論のまま施行停止している人が多くいる。今の憲法がGHQの押し付けだというのは、制定過程の理解としては不十分・不正確と言わざるを得ない。日本国憲法が世界中でも優秀な内容であったこと、また国民が望むような提案を国会議員が提案してこなかったから改憲しなかったと思う。より国民の望む改憲がどんなことなのかを考え、アピールすべきだ」 とコメントした。

http://www.dailymotion.com/video/x3ub062_岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見20160225houdoustation_newswww.dailymotion.com

 そして8月13日の東京新聞。「幣原喜重郎がGHQ側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた。史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。」と報道。資料とは岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。マッカーサーから高柳への返信書簡を発見した。書簡には「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結ばれている。

 改憲を目指す安倍晋三は「(今の憲法は)極めて短期間にGHQによって作られたみっともない憲法」などと強調してきた。堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話している。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016081290070313.htmlwww.tokyo-np.co.jp


 冒頭の昭和天皇の発言はこの幣原発案を裏付けるものだ。次の1945年8月10日の御前会議の発言と繋げるために再度掲載する。

昨五日内閣総理大臣ヲ宮中ニ召サレ左ノ勅語ヲ下賜セラレタリ

日本国民ガ正義ノ自覚ニ依リテ
進ンデ戦争ヲ抛棄シテ
国民ノ総意ヲ基調トシ
憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ
政府当局其レ克ク朕ノ意ヲ體シ必ズ此ノ目的ヲ達成セムルコトヲ期セヨ
官報 昭和21年3月6日発行の号外

 そして遡ること1年と半年、昭和天皇終戦間際の御前会議で「東条!お前は私に嘘ばかりついているじゃないか!」と激怒されたという伝えがある。そしてその後このように「戦争をやめる決心」の言葉を述べている。

大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。

(史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録 | チャンネルNipponより)


 戦争に良い戦争と悪い戦争があるのかどうかわからないが昭和天皇はこの日本という国はその戦争をする資格もなかったことに気がつかれたのではないだろうか?この「戦争をやめる決心」の言葉には此の時までは立憲君主として政府の決めたことに従ってきたが、その結果露呈した軍官僚の無責任さを嚴しく非難しているように見える。自分はどうなってもかまわない、戦争をやめようという非常に強い意思が見える。すでにお心のどこかに「戦争の放棄、軍備の放棄*1」が萌芽していたのではないだろうか?敗戦ではなく永久の終戦である。

つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは、他の人は知らないが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。それは一種の魔力とでもいうか、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本へやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうではない、決して誰からも強いられたのではないのである。
軍備に関しては、日本の立場からいえば、少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。
将校の任に当ってみればいくらかでもその任務を効果的なものにしたいと考えるのは、それは当然のことであろう。
外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっているような劣弱な軍隊ならば、誰だって真面目に軍人となって身命を賭するような気にはならない。
それでだんだんと深入りして、立派な軍隊を拵えようとする。戦争の主な原因はそこにある。
中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だと思うのである。
もう一つ、私の考えたことは、軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということである。
武器を拵たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。

幣原喜重郎回顧録『外交五十年』より

 幣原のこの着想は少なくともこの時代は正しい。ハンガリーの人々は強圧的なソ連軍に立ちはだかったし、ベトナムの人々は軍備にまさるフランス軍を追いはらい挙げ句の果てに日本が歯も立たなかったアメリカを敗戦に追い込んでいる。

 幣原喜重郎回顧録『外交五十年』に記述されているような戦争を放棄し、軍備を全廃してというこのくだりは昭和天皇と共有されていたのではないだろうか?ならば昭和天皇を通してこの思いは陛下にも伝わっているはずである。天皇のお気落ちの表明は、昭和、平成、そして次代の皇太子と三代にわたる天皇家安倍晋三に対する闘いなのである。

*1:私見を述べておくとアメリカとの関係や国際情勢の変化もあって軍備の放棄は慎重に考えなければいけない問題だと個人的には思う。しかし神から人間におりてかつ神時代の責任を負うと決意された昭和天皇の想いは尊重したい。仏教が適者生存を模索しながら今日まで来たように近代国家日本を背負った昭和天皇の決心を国際情勢の中で適者生存するにはどうしたら良いのか?まともな議論ができる方とは是非いろいろお話がしたいと勝手ながら思っている。


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