ヴァイオリン独奏 青木尚佳 リムスキー=コルサコフ "シェヘラザード"
美しい独奏ヴァイオリンがハープ伴奏とともにシェヘラザードの主題を奏でる
If you miss Naoka Aoki's Sheherazade on the next occasion, you’ll regret it. Maybe not today, maybe not tomorrow, but soon, and for the rest of your life.
- アマデウス・ソサイエティー管弦楽団第54回演奏会、三曲目は青木尚佳さんをゲストコンサートマスターに迎えて
- 美しい独奏ヴァイオリンがハープ伴奏とともにシェヘラザードの主題を奏でる
- シェヘラザードのエピソードに触れたことがない方のために
リムスキー=コルサコフによるアラビアンナイトを主題にした交響組曲
「王さまが明日もわたしを生かしてくださるのなら、もっとおもしろいお話をお聞かせできるでしょう」
こうしてシェヘラザードはお話を語り続け、千と一つの夜がすぎていきました。
アントワーヌ・ガランによって最初に紹介されたガラン版『千夜一夜物語』は19世紀に仏語・英語に編訳されたマルドリュス版・バートン版などと異なり、オリエンタリズムに彩られた脚色や性的な読者サービスの描写がない282話に構成されたものでした。ガラン版は心理描写や欧州文学に見られる過剰な形容もなく、淡々と語り手のシェヘラザードが口伝であたかも大乗経典を読み聞かせる様にさまざまな説話を語る形式です。筑波大学教授の青柳 悦子氏によれば、その原本はシェヘラザードとその妹ですら「どちらも美しく可憐で,気高く、すっきりと均整がとれていた」と形容されているのみである*2。と指摘しています。作曲者であるリムスキー=コルサコフが読んだのは年代的にもこのガラン版であり、だからこそ、自由に解釈して発想しこのように純粋に美しい音楽が生まれ得たのかもしれません。
ヴァイオリン独奏青木尚佳さん
今回ハープ伴奏とともに美しい独奏ヴァイオリンでシェヘラザードの主題を奏でるのはゲストコンサートマスター青木尚佳さん。
Biography
1992年東京生まれ。
2014年11月、フランス・パリで行われたロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで第2位受賞。併せてコンチェルトの最良の解釈に贈られるモナコ大公アルベール二世賞を受賞する。
ロン=ティボー=クレスパン国際コンクール入賞後、本格的な演奏活動を開始。浜離宮朝日ホール、東京・春・音楽祭を始めとする各地でのリサイタル活動、N響、東響、東京シティ・フィル、仙台フィル、大阪フィル、大阪響、兵庫芸術文化センター管など各地のオーケストラとの共演で高い評価を得ている。2018年4月にはフォンテック社よりデビューCDをリリース(株式会社 ヒラサ・オフィス:青木 尚佳 より*3)。
この記事でも今回の演奏を批評する様なことは書きません。青木さんが演奏された記録の写真を掲載します。ただ普段の演奏会での仕事と大きく違う点がありました。それは僕がこのリムスキー=コルサコフ "シェヘラザード" を知らなかったということ。そこでこの曲のことを徹底的に調べました。もちろんいつものオペラの予習の様に10日間毎日何回も聞いてヴァイオリン、弦楽器、管楽器、打楽器のソロパートをどこから撮るとかっこいいか?思案の連続でした。でも、違いはそれだけではありませんでした。(...次の写真の後に続く)
この曲のベースになっている千夜一夜物語なんですが、冒頭で触れた様に、僕が学生の頃に読んだマルドリュス版・バートン版などと異なるものを作曲者のリムスキー=コルサコフは読んで着想したということと、よく言われる様なこの曲がバレエ組曲として書かれた曲ではないということでした。つまりリムスキーは現代の世界文学となった東洋的な千夜一夜物語から着想を得ていないばかりか、バレエで踊ることを想定した曲を作ったのではないのです。(...次の写真の後に続く)
この曲はアントワーヌ・ガランによる『千一夜』(仏語)の記述から純粋にリムスキーの想像力でテーマが導きだされたといっていいと思います。もし関心をもたれたら国立民族学博物館教授・西尾哲夫氏の『ガラン版千一夜物語 asin:4000287737』と筑波大学教授の青柳 悦子氏による研究論文-「アラビアン・ナイト」の逆説的世界:そのテキスト特性についての予備的考察- をお読みなることをお勧めします。いままで流通していたいわゆるアラビアンナイトとの違いに驚かれると思いますし、リムスキーのこの曲にもっと触れることができると思います。(...次の写真の後に続く)
シャリアール王の主題が力強いユニゾンとともに始まり、続いて美しい独奏ヴァイオリンがハープ伴奏とともにシェヘラザードの主題を奏でる、壮大な物語の始まりが、あのエロエロしいシェヘラザードの振る舞いではなく自然に耳に入ってきました。青木さんや柳澤マエストロが文献研究をしていらっしゃるのかどうかはわかりませんが、おそらくですが文献研究などせずに音符を読み込むことで作曲者の意図へストレートに近づいている(よく曽我先生がおっしゃってます)のだろうと思います。だから音符がちゃんと読める方は論文読む必要はないですね。(...次の写真の後に続く)
アマデウスソサエティ後半は、もうこれは青木さんの、青木さんによる青木さんのためのシェエラザードだったのでは?!🎻こんな素敵violinistさんだったけか…!
— シマリス (@shimarisukun1) March 1, 2020
いや‼️打楽器の神、松井さんの🥁もサイコーやったわ😭😭👏👏松井さんご招待頂いてあざしたぁ🙇♂️
あ…最後に…ホルンはもっと頑張ろな…👼
西尾哲夫氏は千夜一夜物語から「教訓」のようなものを得ようと思わないで、ただお話としてのおもしろさを純粋に味わってほしいと述べています。アラビアンナイトは「人間はかくあるべきだ」とか、「世の中はこうあるべきである」といったことを言わないところに真骨頂があるのだと(*4)。それが僕には説話の名人がその決意と妙技をもって自分やその父、そして同年代の女性の危機回避しながら罪深い人を許していく壮大な物語に見えます。(...次の写真の後に続く)
だからこの音楽がかくも美しく壮大なものになったように思えてなりません。そして最後の美しく艶やかなフラジオレットの長音はこの世のものとは思えないのでした。
素晴らしい演奏でした。
シャヘラザード、素晴らしい演奏でした。美音がホールの空気を切り裂くように飛んできました。最後のフラジオレットの長音はこの世のものと思えず。日独を頻繁に往復されているとのこと、くれぐれもご自愛ください。
— yasu (@yasutak213) March 2, 2020
青木尚佳さんディスコグラフィー
シェヘラザードのエピソードに触れたことがない方のために
以下にこの曲の着想の元となったシャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語、そしてシェヘラザードと王の出会いのエピソード
最近、許すということの素晴らしさに心打たれることが多いのですが、改めて千夜一夜物語から観取できる思想は許すことと、その偉大さ、深大さではないかと思うのです。その代表的な人格であるシェヘラザードとシャハリヤール王がテーマであるこの曲の雄大さと深さに改めて打たれて、それがつながっていく気がします。これを読んでいただければ冒頭の「王さまが明日もわたしを生かしてくださるのなら、もっとおもしろいお話をお聞かせできるでしょう」にお話をつなげることができるでしょう。途中、性交という言葉が何度も出てきますが、実際リムスキー=コルサコフが読んだアントワーヌ・ガランによるフランス語版には性交を形容する描写は現れず、ただ性交をしたという事実が語られるのみです。
また妃と女奴隷との性行為(*5)も出てきますがそれも「痴態の限りを尽くす」という表現になっています。またシェヘラザードとその妹の美貌についても「どちらも美しく可憐で,気高く、すっきりと均整がとれていた」と形容されているのみですのでそれを踏まえてご覧ください。
シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語
ササン朝ペルシャ時代のこと、シャハリヤール王はペルシャのみではなくインドと中国も治めていた。あるとき北部の都市サマルカンドの統治を任せていた弟のシャハザマーン王から留守をしていたときに王妃が奴隷と不貞をしていたので首を撥ねた話を聞き、兄貴も気をつけたほうが良いと警告をうける。
それを聞いたシャハリヤール王は王妃の貞操を試すために弟と狩に出かける。狩の途中、海辺の一本の木の下で二人が休んでいる時に魔神が現れ、頭の上のチェストから非常に美しい乙女を出し、その膝枕で眠り始めた。
兄弟の二人の国王に気がついた乙女は二人に自分と性交をするよう言い、しなければ魔神を起こしてあなたたちを殺させると脅す。怯えた二人は乙女のいう通りにすると乙女は、自分は婚礼の夜に魔神に誘拐されて今に至り、これまで魔神が眠っている隙を見て570人の男たちと性交をしたこと、なぜなれらば女がしたいと思えばなんびともそれを抑える事など出来ないということを語り聞かせたのだった。
魔神ですら自分達よりも非道い不貞をされていることに驚いた二人はそれぞれの都へ帰って行く。帰ってみると案の定、王妃は20人の男奴隷と20人の女奴隷を相手に快楽の限りを貪っていたので王は王妃と奴隷を殺してしまう。
女性不信となった王は側近の大臣に毎晩、処女をひとり連れて来るよう命じ、街の処女を宮殿に呼び一夜を過ごしては、翌朝にはその首をはねて殺すルールを作る。3年が経つとペルシャには若い処女はいなくなってしまったが、それでも王は大臣に処女を連れて来るよう命じる。
シェヘラザード登場
大臣には二人の年頃の娘がおり、どちらも美しく可憐で,気高く、すっきりと均整がとれていた。王への恐怖と世の親たちとの軋轢に悩みに疲れ果てた父を見て、姉のシェへラザードは自分が王の妾になると父に申し出る。大臣は喜び王に取り次ぐと王のもとに参上したシェへラザードはあらかじめ王と自分の性交が終わったら、寝室に入りわたしに物語をねだりなさいといい含めた妹のドニアザードを呼び寄せる。
行為を終えた王とシェへラザードの寝室にはいると、ドニアザードはかねて姉に言れたとおりに物語をねだった。アラビアをめぐる古今の物語を知るシェへラザードはペルシャにまだ残るすべての処女達の命を救おうと、自らの死を賭けて王と妹を相手に夜通し説話を語り始める。
シェへラザードは夜があけてくると語りを停めた。「王さまが明日もわたしを生かしてくださるのなら、もっとおもしろいお話をお聞かせできるでしょう。」シェへラザードの語りに感動した王は彼女を殺さず物語の続きを請う。こうして千夜一夜物語は始まる。物語が佳境に入ると「続きは、また明日の晩」そして「明日はもっと面白いお話を」と話を打ち切る。王は話の続きが聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けて、シェヘラザードはついに王の作った悪いルールを止めさせることに成功する。
毎夜物語を語り続ける間にシェヘラザードは王の子を身篭り出産するのですが、この長大なスケールこそ許すことの偉大さ、深さ、そして困難さではないかと思った次第。
*1:(にしお・てつお)1958年香川県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士(京都大学)。現在、人間文化研究機構国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授。主な著書に『アラビアンナイト──文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書、2007年)『世界史の中のアラビアンナイト』(NHK出版、2011年)『ヴェニスの商人の異人論──人肉一ポンドと他者認識の民族学』(みすず書房、2013年)他。
*2:青柳 悦子 「アラビアン・ナイト」の逆説的世界:そのテキスト特性についての予備的考察 筑波大学人文社会系, 言語文化論集,50,27-72 (1999-03-25) , The Paradoxical world of The Arabian Nights ; Notes on its textual properties
*3:株式会社 ヒラサ・オフィス:青木 尚佳(ヴァイオリン) Naoka Aoki, violin
*4:NHK 名著ゲストコラム 名著27 『アラビアンナイト』:100分 de 名著
*5:ペルシャ時代の奴隷の扱いについては、近代の米国における黒人奴隷のイメージで解釈すると大きな誤りを犯します。僕はその理解にために波戸愛美『イスラム世界における女奴隷―『千夜一夜物語』と同時代史料との比較― お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア』を参考にしました。その中で波戸は「女奴隷が非常に広範な範囲でイスラム社会に浸透し、多様な仕事を担っていたことがあげられる。特に女奴隷にしかできない仕事の存在は、奴隷が自由人には不可能な社会的職能を担い、性差を跨ぐボーダレスな役割を果たしていたことの現れであるといえよう。」と述べています。