そうかい 振られたかい それはとてもきついことだね
♪昨日と変わらない景色が 去年と違う思い出をつくり - 里帰り 泉谷しげる
泉谷全盛期(70年代)を代表するオリジナル・アルバム「光と影」。加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンドの全面的なサポートを得て、レゲエにまで挑戦するなど、楽曲・演奏両面から最高水準のレコード。友人から借りて iTunes と iPod に突っ込んで聞いている CD は残念なことにマスターテープが紛失してしまい、2曲はオリジナルと別版に差し替えられ、曲順も変更して発売されたもの。レコードでは1曲めだった『里帰り』9曲目になってしまったがこの曲を聴くと学生の頃の青かった幾つものシーンが甦ってくる。そしてそのシーンも泉谷が歌う通りもうちゃんと思い出に塗り替わっている。どこかの雑文祭とテーマが合えば参加しようと思いながら雑文をしたためる。
♪うららかな春の陽射しは
♪待ちわびた顔に照りつける
♪前のことは洗い流せと
♪思い出に塗り替える
大学のときマドンナだった島根県出身のK子ちゃんをみんなで競い合った。僕が一歩出し抜いてこの勝負ありっ!と思っていた。ところがある日のこと突然彼女は待ち合わせをすっぽかした。携帯電話もメールもない時代、しかも彼女が住んでいたのは下宿だったから電話も大家さんに取り次いでもらうしかない。一度か二度大家さんに電話したが彼女は帰っていなかった。やがて彼女が茨城県出身の一年先輩の友人のKと、ああ、こちらもKだからわけがわからなくなるな、Tとしよう。そのTと付き合いだしたらしいという噂を耳にした。
キスもしたのに、オッパイだって触ったのに、パンツにだってそっと掌を滑り込ませたのに。『♪そうかい 振られたかい ♪それはとてもきついことだね』Tから正式に話が来たのはTとK子ちゃんが三宿のTのアパートで同棲を始めるときだった。その時Tは「ごめん、幸せにするから」と僕に気が済むまで殴ってくれと深々と頭をさげた。へそのあたりからグラデーションを描くように体温が上がって、鼓動が激しくなったのを今でもはっきり思い出すことが出来る。だけど僕は手を出せなかった。ただ拳を握りしめて泣いた。Tも一緒に泣いた。
それから2年も過ぎたある春の日の夜、淡島の僕のアパートで僕は買ったばかりのシステムコンポで泉谷を聴きながらカミュの異邦人を読んでいた。コンコンと木造アパートの玄関が鳴った。またクロちゃんか木佐貫(それにしても当時の友人はみんな頭文字Kだらけ)あたりが酒でも持ってきたかと出てみるとTだった。話したいことがあって来たという。まぁあがってよとあがってもらっても彼は「へぇー、ステレオ買ったんだ」と泉谷に聞き入ってしまい膝を抱いてうつむいていてちっとも話が始まらない。『♪僕たちにいま一番必要なものは熱い恋や夢でなく……』と『白雪姫の毒リンゴ』を反芻しながら彼は震えた。
結局、TはK子ちゃんとはやっていけないと言い出した。
「別れようと思うんだ」
「……そっか」
僕自身の気持ちはちょっと複雑だった。だけど2年の月日はK子ちゃんのやわらかくってあったかい肌触りですらもう思い出に塗り替えられていた。気晴らしに飲み行こうか?という僕の誘いにTは頷いた。バイト代が入ったばかりだったのだと思う。奮発しようか、奢るよ、と坂を下って当時まだカウンター席しかなかったドマーニへ行った。アルコールが入ってTも随分陽気になった。この2年間のK子ちゃんへの不満を笑いながら喋った。まるで自分が犠牲になって僕がそんな目に遭わずに済んだのは自分のおかげだとでも言うように。それでも良ければお前が付き合えばみたいなことも言った。
夜の8時には別れ彼は「ありがとう、これで別れを切り出せる」と揚々とK子ちゃんが待つ三宿のアパートへ帰っていった。僕はなかば呆れていた。
その晩、もう夜中になってからTから電話がかかってきた。
「K子ちゃんに完全に振られた……」
「いまどこにいるんだ?居にくかったらうちに来いよ」
「いや、茨城の実家に帰ってきたんだ……」
その後Tは電話の向こうで号泣した。その鳴き声を聞いて僕はようやくことの次第が見えてきた。Tは強がっていただけでK子ちゃんに振られる寸前だったのだ。さっきまで陽気に酔ってK子ちゃんの悪口を言っていたのはカッコをつけたのと強がりゆえだったのだ。アパートへ帰るとおそらく彼の推測通りK子ちゃんから別れ話を切り出されたのだと思う。居ても立っても居られず彼は故郷への列車に飛び乗り里帰りしたのだ。きっと壊れて分解してしまいそうな自分自身を必死に抱きささえながら……
♪風は歌いささやく
♪昨日と変わらない景色が
♪去年と違う思い出をつくり
♪明日もはりきれと
♪そうかい 振られたかい
♪それはとてもきついことだね
♪ひと雨きそうな雲行きだね
♪雨宿りに寄っていくかい
幼いころから父親の仕事の事情で各地を転々とした僕にはとくにここと言った故郷はない。けれども自分が傷つき草臥れ果てたとき、そのシーンに応じて無性に行きたくなる、否、帰りたくなる幼い頃の場所をはっきりと思い浮かべることが出来る。広末涼子さんがタクシー無賃乗車で騒がれたとき彼女がおそらく行くのではなく帰った場所は房総の果てのドラマ・ビーチボーイズの撮影現場だった。そこはまた僕の幼い日の故郷だ。広末さんに妙に親近感を感じた。広末さんならと民宿のおばさんがタクシー代を立て替えてくれたと聞く。きっとそこは広末さんにとって傷を癒やしてくれる故郷だったのじゃないか。きっと人は傷ついた心を癒やすために故郷へ走るのだ。
♪暖かな日がくれば
♪またひとつ年をとってく
♪忘れたいことも山程あるし
♪忘れたくないことも多い
その後僕はもう一度結局思い出に塗り替えることになるK子ちゃんとの時間を積み重ねることになる。誰が見ても卒業後に一緒になるはずだった僕とK子ちゃんのストーリーは僕の欧州留学という事件で振り出しに戻ってしまうのだ。勝手気ままに遍歴を重ねた4年後に僕は大学に戻った。博士課程に進んだほんの一握りの友人を除いて当時の仲間は三々五々に散っていった後だった。島根県の彼女の家に電話をした僕に彼女のお姉さんはこう言った。
「K子はお嫁に行って赤ちゃんも出来たんです。そっと見守って下さいとあなたに伝えて下さいと……それがK子からの伝言です……」
♪うららかな5月の陽射しは
♪待ちわびた顔に照りつける
♪前のことは洗い流せと
♪思い出に塗り替える
気がつくと僕は幼いころを過ごした南房の砂浜に立って、あのときのTと同じように号泣していた。きっとTと同じように壊れて分解してしまいそうな自分自身を必死に抱きささえながらここまで来たんだと思う。そして壊れてしまう僕。泣きじゃくる僕に泉谷が優しく温かく語りかけてくれた。その後の何年かの月日は僕の居なかった4年のあいだのK子ちゃんの寂しさ辛さを思いやり、すまないと正直に思えるようにもしてくれた。そして数十年たった今、僕は当たり前のように生きている。
PS:このエントリを書くにあたって「里帰り」「泉谷しげる」でググってみました。あるわあるわ、この歌に対する人々の想い。『「うららかな春の陽射しは 待ちわびた顔に照りつける 前のことは洗い流せと 思い出に塗り替える」。男性か女性か、老いか若きか、いずれにも通用する人生の真理と心理が、ここに表現されている。「忘れたいことは山ほどあるし 忘れたくないことも多い」。確かに。』と述べられるのは http://www005.upp.so-net.ne.jp/folk/IZUMIYA_2.htm さん。ニャンちゅう さんは僕ともの凄く似たような体験をお持ちで『この『里帰り』という歌は詞のぬくもり、旋律の美しさ、聴けば聴くほどに名曲だと思う。特に『ライブ !! 泉谷/王様たちの夜』に於けるテイクは奇跡に近いくらいに完璧だ。』と述べられている。