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A fulfilled life - Jean Michel Kaneko Photograhie

知足是福。音楽家・演奏会の写真がメインのカメラマン、公開OKの作品は掲載中。IT企業役員、趣味で料理の YouTuber、趣味は仕事と同様大切でロードバイクと料理とワインフリーク。

人物スナップのすすめ

85mmや125mm の単焦点で人間撮りまくるのが面白い

 巻頭のことばは僕がたまにくつろぎに行く代々木上原のバーの伊藤さんの言葉だ。この言葉を僕は殆ど正しいと思っている。写真を撮っていて人間ほど面白い被写体はない。しかも僕は被写体としての人間が写真を撮られることを意識していない状況のほうが好きである。勿論写真を撮られる人が撮られていることがわかっていても意識せずに僕が撮りたいその人のテーマを普段通りやってくれるならこの限りではないが。一般の人の場合殆どそういう風に旨くはいかないものだから顔がはっきり写ってしまってどこのだれかさんだかはっきりわかってしまうような写真を撮ったときは事後承諾で被写体に写真を撮った旨の合図を送るようにしている。

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左から

  1. 焦点距離58mm ほとんど正面で撮る
  2. 300mm 二番目の女の子が精悍な顔つきだったのでピンはその子に。超望遠だがこのサイズに撮るには殆ど離れていない
  3. 携帯で話をする横顔を200mmで。2m程度しか離れていないがオープンカフェで僕のすぐ前のテーブルに座っていた女の子でこちらの行動は了解済み
  4. 左同じ位置に座って少し離れたところで。お父さんがお母さんを押さえつけて息子がオッパイを揉むというゲームに昂じていた家族。オッパイを揉むと言う行為に子供が参加することによってエロティシズムが粉砕されてしまう

 殆ど正しいと言ったのは実は僕はそうした望遠系だけでなく広角で撮るのもこれまた楽しいと思うからである。広角で寄っていって、あるいは望遠で殆どアップを撮る。友人にも勧めるのだがみんな躊躇する。たしか明らかに写真を撮ることがわかった場合声は掛けなきゃならない。だけど断られたら、あるいは嫌な顔をされたらどうしようと思うのが人情というものらしい。だからいつも言ってるじゃないの!人情なんてのは人間の依拠すべき分野じゃない。我々人間の祖先は言葉で論理的思考を持って情を乗り越えて動物から立ち上がったのだと。人情なんてのは倫理的な要請の元に論理で打ち負かされ無かれば人間的な活動とは言えないのである。

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  1. 先の3枚目と同じ場所、同じ女の子をこんどは全身を入れてみようと80mmで。
  2. 靴下にメリハリがあるので露出オーバー気味に飛ばしてみる。Leica DC Vario-Elmarit で105mm。
  3. このふたりになんとなく知性を感じた。しかも西日に輝く髪も綺麗だと思った。
  4. すらっとした感じがとても良かったので Leica DC Vario-Elmarit で28mm。画角を想像しながらピンぼけ防止に一段絞って素早く撮影位置に行き合焦、シャッターまで恐らく3秒程度。別に盗撮しているわけではないがアングルがアングルだけに素早さは必要。残念ながら頭が少し切れてしまった(笑)

 など仰々しく構えることもなく断られたってべつに恥ずかしがることじゃない。相手だって写真撮っていいですか?なんて一瞬の出来事をいちいちどんな人に聞かれたかなんてずっと覚えているもんじゃないのだ!別にSEXしていいですかなんて聞いているわけじゃ無いんですぞ!断られたら素直に引き下がればよいだけで深追いすることもない。次ぎにチャンスを待ってまた新たな被写体に声を掛ければよい。それにカメラ好きならおわかりだと思うが50mm47度が人間が普通に見えて認識している画角である。そのちょっと外なら殆どの人は見えもしないし気がつきもしないのだ。だからどんどん撮っちゃえば良いのだ。かつて木村伊兵衛さんはお弟子さんにそんなことに勇気が持てないなら写真なんてやめてしまえ!と仰ったそうである。どうどうと撮って相手が気がついたら軽く会釈して合図を送り「粋なモンです」といって涼しい顔をしてその場をスタコラ立ち去れば良いだけのことである。

 ところが憎らしいことに僕がそういうと友人達は僕がもう既に人畜無害の顔をしているからそういことが出来るのだなどと宣うのである。なんだぁ?この野郎とも思うが少しは思い当たるフシもあってある意味仏教のおかげかとも思う。それにしても人物はアングルが決まるだけでも面白い。


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