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A fulfilled life - Jean Michel Kaneko Photograhie

知足是福。音楽家・演奏会の写真がメインのカメラマン、公開OKの作品は掲載中。IT企業役員、趣味で料理の YouTuber、趣味は仕事と同様大切でロードバイクと料理とワインフリーク。

Bailando de una Fiesta de Cosecha

晩秋の葡萄畑の祭り

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Bailando de una Fiesta de Cosecha : M6 + ELMARIT 135mm F2.8 f/8.0 1/500sec DNP CENTURIA200

  • COCO FARM & WINERY のHARVEST FESTIVAL。そこはリズムとメロディーに溢れていた。会場の北の池の畔ではフラメンコを舞う人々。祭りに舞はよく似合う。美しい舞は太古からの神への捧げもの。こうしたイベントがすっかり商業的なイベントであることは皆わかりきっている。それでも人々が引きつけられるのは太古の昔からのDNAの記憶の琴線に触れるからじゃないか。

 収穫を祝う祭りは作物とその1年の無事の確認と感謝を神に捧げる祭祀として遠い太古の昔から各地のコミューンで行われてきた。リズムとメロディーと美しい舞が共有され神に捧げられたのである。煌びやかな装飾を纏った舞の美しさを人々が意識として共有するようになったのは何時のことだろう。土地の主である神に捧げられる最上級の捧げものの中に収穫された作物と同様にリズムとメロディーと舞が組み込まれていたということはそれはそのまま人々の意識する最上級の現象の裏返しでもある。

 だとすればそれは言語で構想される文学(当然口伝の文学を)よりも遥かに先に人々の美意識の中に組み込まれたと考えることが出来る。舞が生殖行為を示唆することは他の動物にも見られることだが、その舞は音楽と不可分に結びついておりここに明らかに人間の歴史にとって音楽が言語の発達に従って従属的に発達してきたものではなく、むしろ言語が形成への主導的な役割を果たしてきたと考えることも出来るのではないか。一年にわたる農作業は天候や野生動物などの自然現象への畏敬、コミューンの中での人間関係、そして外敵とストレスの連続である。そのストレスから精神を解放しコミューンの結束をはかることも収穫祭の大きな機能でもあっただろう。それでも解決できないストレスから精神を解放するために哲学が生まれて行く。


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