コルセットのないドレスで女性解放の先駆けとなったのはシャネルではなく川上貞奴だった!
日本橋オペラ2019のプログラム、福田祥子さんと佐々木修マエストロの記事に世界女性解放運動の先駆け、コルセットから女性を解放した人として人形町出身の川上貞奴が描かれている。
コルセットのないドレスで舞うピカソが描いた貞奴。そして芸者というキーワードでコルセットのない舞台衣装のマダム・バタフライ。
ハッと気が付いたことがあった。いままでコルセットから女性を解放したのはココ・シャネルだとばかり言われてきたが、実はそのオリジナルは違うのではないか?と思ったので、貞奴、蝶々夫人絡みの人たち、シャネルの欧州での活動を年表にしてみた。
ココ・シャネルの映画の中でエティエンヌ・バルサンがベッドの中でシャネルに日本の芸者の話をするシーンがあるのだがアーサー・カペルと出会う少し前のことなので舞台設定は1907年前後だと思います。この時代の知識人でもあるフランス軍の将校であるバルサンだとしても、なぜ遠く離れた日本の芸者に詳しいのか映画を見たときは不思議だったがやっと謎が溶けた。
川上貞奴の欧州での舞台活動の大ヒットとパリ万博での公演の大成功があるとすればその謎は絡んだ糸を解くように溶けていく。1907年頃といえばパリ万博の余韻が冷めやらぬ頃でしょう。
やがてシャネルがジャージー素材を取り入れコルセットから解放されたドレスを発表するのが1915年。そのアイディアは自分用の服として試作されアーサー・カペルとの逢瀬に1910年頃から身につけているので、シャネルのドレスやスーツによる女性解放のアイディア、その原型は時系列で追ってみれば貞奴と蝶々夫人にあったということになりますね。