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マーキング

大人を見て育つ子供達のマーキング

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 マーキング : M6 + SUMMARIT 50mm F1.5 1/125sec f/11 Kodak BW400CN

  • SUMMARIT 50mm は逆光に滅法弱い。フレアを押さえ込もうと PhotoShop で弄ったら帰って悪い結果になった。このフレアを作画に旨く活かせないことにはライカ使いとは言えないからとほほである(笑)

 犬はオシッコで自分のテリトリーを主張する。同じようにヒグマは背中の臭いを擦りつける。フクロウやネアンデルタール人は決まった時間になると喉を鳴らしメロディーを奏でる。意識される以前の自己主張の息吹、マーキング行動である。

 こうしてみると鳥にしろ哺乳類にしろマーキングはそれぞれの種が他の種に対して尤も長けたる感覚器官で認識しうる経験手的手段によっていることがわかる。

 なぜ他の種に対して尤も長けたる感覚器官で認識しうる経験手的手段によるのであろうか。それはマーキングが同一種の中での序列を表現するものであり、他の種との争いになった場合は共同してことにあたらなければ種が存続できないことを本能的に知っているからであろう。

犬やヒグマにとってそれは臭覚の世界であり、フクロウやネアンデルタールにとっては聴覚の世界である。

 ならば我らが人類にとって他の種に対して尤も長けたる感覚器官で認識しうる経験手的手段は意識活動における記号化としての言語であると言っても異論はでないのではないか。

「おいキミ、わたしの立場を考えてくれたまえ!」「それではわたしの立場がないではないか!」

そうした発言の前で序列が決定づけられ席順などが決められていく。そう、だれが見ても誰が偉いか直ぐわかるように。これはちゃんちゃらおかしな話である。

 偉い人ほど立場に拘泥して止まないのは、実はもっとも原始的で動物的なマーキングをその基盤に置いた営みであって知性のかけらも見いだすことが出来ないということを既に彼らはまったく気づいていない(笑)

 これはとても不思議な話ではないか。人間はことばと論理を以て二本足で立ち上がったはずなのに、知性こそが勝負なはずなのに、偉くなると原始的で動物的なマーキングをその基盤に置く行動に還ってしまうのである。大企業が倫理を忘れ去って組織犯罪に手を染め、さらに人間組織の最大の規模を持つ国家が平気で戦争が出来るのもなるほどこれなら納得が行く。

 公園のシンボルツリーに持ち去るものすらいないことを織り込み済みに掲げられたバスケットボール。バカな大人を見て育つ子供達のマーキング。意識される以前の自己主張の息吹。