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Lang Lang, Eschenbach ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番

Music


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲1番
・ピアノ:クリストフ・エッシェンバッハ
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・1966年11月30日-12月1日、ベルリン、イエスキリスト教会でのセッションステレオ録音

カラヤンエッシェンバッハとラン・ラン

 連日の暑さのせいかすっかりまいってしまっていたのだが昨夜は久しぶりに友人の建築デザイナーと会って彼女の地元の隠れ家に案内してもらった。なるほど入り口は全く店の風体ではないので常連に連れて行ってもらわないと全くわからない。そこでどこかでお会いしたような風貌のマスターとこの店の家具やオブジェを制作されている彫刻作家さんと4人で楽しく会話した。秘密の場所というのがまたじんわりとエキサイティングだ。相当飲んだみたいで、というかその前に南新宿で彼女も含めた友人たちとさんざん飲んだというのもあってかかなりまわった。
 深夜に帰宅後今日は久ぶりの休みなのでぼうっとしている。こんな状態の時は用がなければ家で音楽を聴いているのが一番気持ちが安らぐ。クラシック音楽は僕の大切な被写体でもあるので時間があれば聴いて心の襞の記憶に染み付かせることで仕事としての撮影の時に演奏家の表情や仕草の予測に役立てるというのもあるけどね。でこれを書きながら昨夜の秘密のバーのアトモスフィアの余韻を楽しみながら聴いているのがランラン、エッシェンバッハ、パリ管のベートーヴェン:ピアノ協奏曲1番。もう学生のこもの話だが夢中になって聴いたレコードにカラヤン率いるベルリンフィルにまだ若きクリストフ・エッシェンバッハが胸を借りるような形で収録されたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調があった。右の写真がそのジャケットである。

 まだモーツァルトスタイルの曲作りにカデンツァだけはしっかり以後のベートーヴェンの曲構造が垣間見える作品だが、それが初々しいエッシェンバッハの演奏と絶妙にマッチして好きなレコードの一つだった。すり減るほど聴いたように記憶している。そのレコードは卒業後の海外留学や転居などのうちに無くなってしまったが……カラヤンエッシェンバッハの緊張を受け止めるように第1楽章のアレグロ・コン・ブリオはベルリンフィルの普段のテンポよりずうっとスローに、静かに始まる。そしてオーケストラが一旦終了すると、まるで緊張したエッシェンバッハの指の震えまで聞こえてくるように銀盤が鳴り出す。それが符を重ねるごとに緊張がほぐれベルリンフィルも普段のテンポ戻っていくのだが、エッシェンバッハの指も銀盤を軽やかに、そして時には重厚に叩く。静かに語りかけるような第二楽章ラルゴを経て、最終楽章のアレグロ・スケルツェンド、圧倒的なクライマックスの一糸乱れぬハーモニーは銀盤の貴公子、当時音大ピアノ科生のアイドル的存在優等生エッシェンバッハの面目躍如たるものがある。そこまで引き出して見せたカラヤンの手腕、巨匠にしてみればしてやったりだったのだろうか?
Twilight Vineyard House
今年ココファーム・ワイナリーは1月3日からの営業で3日に帰京した僕は訪れることが出来なかった。秋の収穫祭に古澤巌さんを撮りにいかなくちゃという気持ちだけは持っている。写真は2008年の1月の夕暮れに包まれるココファーム・ヴィンヤードハウス

 世がCD時代に移って何回かこのレコードのCD化されたものを探したのがタイミング的にミッシングで手に入れることが出来ていない。だから実は今まで書いたこの演奏の記憶も随分自分に都合良く書き換えられている可能性は否定できない(笑)が音楽を聴くというのは自分の世界の投影とそのフィードバックによる自己確認だし、僕は音楽カメラマンであって音楽評論家でもないからこれでよいのだ。実際のところ評論家、あるいはジャーナリズムならその書き手の音楽に臨む世界観になにがしかのある統一性があって、その統一性が読み手との差異を分かりやすく明らかにし、読み手が書き手との距離感を計りながらいまだ聴いたことがない未知の演奏への想像力が掻き立てられるような文章を書かなければならないと思う。そういう点で僕が好きな音楽評論家は黒田恭一さんだった。
Cave du vin
こちらも2008年1月に訪れたときのワインカーブ。2枚とも ELMARIT 28mm と ILFORD XP2 によるモノクロだがなんか今の気分と良く合うので載せてみた。ブログに写真というのは便利なもので後日見返したときその時の自分の状態が分かる(笑)

 閑話休題。話を元に戻すと、バックハウスピアノソナタ32番をITMSで探していてみつからなくって(実は見つかったのだ、当然ポチっ、後日書く)イェネ・ヤンドーのを買ったとき既に70年代に指揮者に転身してしまったエッシェンバッハのコンチェルト No.1 ハ長調を探してみたのだ。結局無かったのだがその代わりと言っちゃえばなんだがその時ちょうど来日公演中の中国の新進気鋭ピアニスト、ラン・ランエッシェンバッハ率いるパリ管弦楽団と収録した No.1 ハ長調 を発見したのである。迷うことなく買った。ニューヨーク・タイムズがラン・ランの演奏を"息をのむ"、"センセーショナルな"、"スリルに満ちた"ものであると評するのはまったく納得が行った。既に巨匠の域に達したエッシェンバッハを相手に憶することなく堂々と渡り合っている。テンポの自由な解釈とフォルテッシモとピアニッシモの途轍もなくデフォルメされたダイナミックレンジには圧倒されるけれど対するエッシェンバッハは余裕綽々でパリ管らしいリズミカルで切れの良いハーモニー(実際ブーレーズの頃から変わらぬ弦楽器の乾いたギュッギュッという感じの中低域の美音は健在)をぶつけてみたり逃げてみたり。ハーモニーというより一見(一聴?)コントラストだけれどもやっぱりハーモニーはピタリと一つになった途方もない美しさ。

 この若き天才を銀盤のソリストに迎えて、かつて巨人カラヤンの前で緊張しおそるおそるソロへ入っていった自己を振り返る巨匠エッシェンバッハの胸中に去来するものはなんだったのだろうか?でもねラン・ランの軽やかな速弾きのタッチはカラヤンベルリンフィルのテンポにいつの間にかピッタンコン合っていった若き日の巨匠に比べてまだまだ音が軽いように聞こえた。ホンの僅かだけれど中低温域の音の芯が不足しているように聞こえた。リチャード・ティーが得意としたあのゴロンゴロンというような柑橘系の色をしたピアノ線の音ね、そう聞こえたのは僕がまだ過去の夢の記憶から脱しきれずにエッシェンバッハを贔屓して見ているかもしれないけれど。勿論ラン・ランはまだまだ成長するだろうけれど。それにしてもベートーヴェン、未だに演奏家が変わるたびに新しい魅力が涌きだしてくるし、そしてその新しい魅力に触れるとかつての過ぎ去ってしまった演奏家の名演奏をもう一度聴きたくなってくる。つくずく凄い音楽家だと思うし、人々を虜にして色褪せず輝く時間の長さはビートルズを遥かに凌ぐ。生半可で語り尽くせるような人ではないね。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番&第4番(DVD付)

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