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A fulfilled life - Jean Michel Kaneko Photograhie

知足是福。音楽家・演奏会の写真がメインのカメラマン、公開OKの作品は掲載中。IT企業役員、趣味で料理の YouTuber、趣味は仕事と同様大切でロードバイクと料理とワインフリーク。

貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人

ヴァイオリニスト梶野絵奈さんから教えていただいた貴志康一


Amazon に頼んであった梶野さんの「貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人」が届いた。在庫がないとプライムでも数日かかるのね。
興味を持ったらすぐにでも知らないを知るというのが僕の主義。今日は静かにベルリンフィルでも聴きながら読書にします。
貴志が手がけたけれど未完のプロジェクト、オペレッタ『なみ子』への考察と論が出てくるけれど、それが1910年代からベルリンのダンスホールなどを賑わしたフォックストロットなどひょっとすると両高橋さんたちによるアンペルマン 室内楽のベルリン1920'sに繋がって行くのかなどと想像するとワクワクする。ま、集中しすぎると疲れるから、疲れたら第九聴きながら歌詞でもなぞってみることにします。


梶野さんの本に触れるまで貴志康一なんていう人はまったく知らなかった。それでその本が届いてペラペラとめくっているうちに、昭和11年、ベルリンから帰国時、28歳、虫垂炎で亡くなった貴志康一という音楽家に俄然興味を持った。
1929年、今なら十数億円する1710年製のストラディヴァリウスを彼は6万円で購入している。- そいえば先日のBPOヴィルトゥオージ2019で古澤巌さんが弾いていたのは1718年製のストラディヴァリウス・サン・ロレンツォでした - 彼は日本人として山田耕作近衛秀麿に次いでベルリンフィルBPO)を指揮した3人目の人(近衛さんの前に山田耕作さんが指揮をしていると高橋徹さんからご指摘いただいたので訂正しました}、さらにBPOと自作曲をレコーディングしている。
彼がベルリンで活躍した時代はまさに1920年代、ナチスが成立する前の当時のベルリンは、人口が400万人を越え、「黄金の20年代」と呼ばれます。二つの大戦のはざまにあり、自由な雰囲気の中で文化や芸術が花開いた一方で、どこか危うげな香りを漂わせた時代だそうです。←ベルリンのベーシスト・高橋徹さんからの受け売りです。
興味を持ったら熱が冷めないうちに知れるだけ知ろうとApple Music を探したところダウンロードフリーはありませんでしたが、4枚のアルバムをゲットすることができました。
ほぼ全曲を手にすることができましたがオペレッタ「ナミコ」だけは手に入らず。

貴志康一:交響曲「仏陀」他/サンクトペテルブルク響

貴志康一:交響曲「仏陀」他/サンクトペテルブルク響

  • アーティスト:貴志康一
  • 発売日: 2009/05/20
  • メディア: CD
竹取物語◎貴志康一作品集

竹取物語◎貴志康一作品集

昨夜寝付けないでいるころベルリンのベーシスト高橋徹さんから電話。

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アンペルマン 室内楽2019 来日公演での高橋さん @文京シビックホール
親不知の痛みを心配してくれた連絡で、持つべきものは友なり。痛みの共有の後は諏訪根自子貴志康一、そしてベルリンフィルの話で盛り上がる。
高橋徹さんからは当時のベルリンの状況を複雑なままに複雑に話をしてもらった。高橋さんには諏訪根自子についての詳しいテキストがある(http://exci.to/2PQMNut)。
そして今日、梶野絵奈さんの「貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人」をだいぶ読み進み、梶野さんが貴志康一について、複雑なまま複雑に記述していることに改めて感嘆する。梶野さんもこの著作の中で貴志康一よりも諏訪根自子が評価された理由を当時の日本市場のヴァイオリニストへのニーズ、演奏家としてのレベルを当時の日本のヴァイオリン教育の状況とその演奏曲の難易度からアプローチして実像に迫ろうとするアカデミックな試みを以って複雑なまま複雑にしかし端的に記述している。
お二人とも自分のライフワークワークである音楽を演奏家ではなく語り手として語る時、複雑なまま複雑に語り、その複雑なままに伝えることに時間を割き留意していることに改めて気がつく。この態度は極めてアカデミックなんだと思う。その具体的な内容はただ音楽が好きで浸っていれば幸せという人の夢を壊す可能性もあるので内容には触れない。ヒントをひとつだけ出しておけば近衛秀麿は当時ドイツでは市民オケで若い団員ばかりだったベルリンフィルにギャラを払って指揮をし、小澤征爾さんは超一流になったベルリンフィルから請われて指揮をしたということ、だからといって近衛さんがレベルの低い音楽家なのかと問えばそうではないと言うことだ。
ただ自分の好きなことを自分の満足のためにだけやっている人はその道ではプロにはなれないということだけは指摘しておきたい。ゴーマンかますとプロの教育指導的関与がないアマチュアバンドのライブにお金を払ってまで行きたくない理由の一つがその点だね。
ジャンルは違うけれど先日久しぶりに再会した大好きだといった戦友女子も、自分の専門を人に伝えるとき複雑なままを複雑に語り、その複雑なままに伝えることにエネルギーを注ぐ人である。
ただし彼ら彼女らがその専門を人にぶつける時は極めてシンプル、聞き手に充分配慮された心を揺さぶる美しい音楽であり、食べ手を配慮した驚きを与える美味しい料理であり、それが僕にとってはシンプルな伝えるための音楽写真であったりする。プロとはそう言うものだと思う。
演奏家としてシューマンの美しいメロディーを理屈もなく聞かせてくれるけれどそのバックボーンには血の滲むような演奏への努力があっただろうし、ベースには研究者としての膨大な知識と情報を正確に取捨選択するアカデミックな態度とがストラクチュラリーに構成されているに違いない梶野さんはその著作の第一部を締めくくってこう語っている。
『世界的なヴァイオリニストになることを夢見て、貴志少年は日本を飛び出した。その夢が大きすぎたことに気づいた後も、ヴァイオリニストとしての自分の存在理由を模索した。しかしアンバランスな理想と現実の間の溝を埋めるのは容易ではなかった。過渡期ゆえに成功へのレールも見えないまま無我夢中で走り続けなくてはならなかった若い日本人--それが等身大の貴志の姿である。』
これは僕の周りにいて親しくしている貴志ほど著名にはなっていないけれどその世界の第一線でなんとか走り続けている友人たち共通で共感できる人の姿ではないか?


Youtube もよろしくお願いします。